ゲーム 第14話

 また明日ねと言う鈴木さんとメルアド交換して、宮下君と会社を出た。

 いよいよだ。

 日差しはだいぶましになったのに、暑さだけはアスファルトから発射されるように私たちを包んだ。 タクシーに乗った。

 会社帰りの車の混雑に巻き込まれ、タクシーがなかなか進まなくなると、これが嫌なんだよなと宮下君はうんざりしたように言った。

 四条のこの通りを通り抜けなければ、広山の家へはたどり着けないらしい。

 強引にバスは入ってくるし、歩行者は信号を無視して歩いているし、なんだかものすごい雰囲気だ。 はっきり言って、歩いたほうが早く行けると思う。

 ずいぶん長い間、タクシーは四条通をのろのろと進んだ。

 抜けるまでどれくらいかかっただろう。

 気がついたら車はスムーズに進んでいた。

 ふうと宮下君が息をつく。私も同じ気持ちだ。

 と、思った瞬間に、それはないかと思い直した。

 これから展開するであろう修羅場? に、気分がいいはずがないのだ。

 彼も私も。

 広山家は純和風の大きな邸宅だった。

 知らない道に入ったなと思っていたら、道のどん詰まりにあるここにタクシーが止まったので、首をかしげた。

 おかしい。中学時代の彼の家は、こんな家ではなかった。

 そもそもここはあの中学校の学区ではなく、見知らぬ場所だ。

「ここ? もっと普通の家じゃなかったかしら?」

「多分、林さんが連れて行かれたのは、おれの家だよ」

「ここに住んでたんじゃないの?」

「まさか。格下の宮下のおれがここに住んだら、なにされるかわかったもんじゃない。使用人の意地が悪いんだここは。奥様やだんな様にはいい人なんだけどね」

「主人に比例するんじゃないの?」

「例外もあるさ」

 立派な門の脇の小さな戸を開け、宮下君は私を誘った。

 重々しい雰囲気の玄関を通り過ぎ、隅のほうにある従業員専門のような入り口から中へ入った。

 宮下君はこんなところからごめんと謝った。

 ずらりと並んでいる靴は、綺麗に並べられていた。

 大きな家だから使用人も沢山いるんだろう。

 入ってすぐ、変なおじさんが私たちの前に立ちはだかった。

「なんだあ? 宮下。帰ってくるなら言え」

「長居しませんのでお知らせしませんでした」

「優ぼっちゃまなら、お前に話すことはねえの一点張りや。来ても無駄だ。そっちの女は?」

「優様がお呼びになったんです」

 変なおじさんは私たちをじろじろと見た。通り過ぎる使用人と思しき人たちは、みなひそひそとささやく。感じが悪い。あきらかに宮下君に向けた侮蔑の視線だ。

「林さんまで嫌な思いをさせてごめん」

「慣れてるけど。家の中じゃたまらないわね」

「仕方ないさ。おれは孤児で、立派な家柄の息子じゃないからな。この辺はそういう選民意識が高いんだ」

「嫌ね、時代遅れ」

「ここでは当たり前だ。もっともだんな様や奥様はそうじゃない。ただ、今日はおいでではない」

 それにしても広い上に綺麗な家だ。

 木の木目がこんなに美しい家はそうそうない。障子もまっしろ、高い天井も床もほこりひとつない。途中で通りかかった庭は、見事な日本庭園だった。

 こんなところに住んで、おぼっちゃま扱いを受けていたら、さぞ私なんかどうでもいい人間に思えるだろう。

 広山優。

 不思議なことに、あまりに別世界の家のせいで、嫌な気持ちも恐れる気持ちも沸いて来ない。

 どこまで歩くんだろう。

 長い廊下をいくつも歩き、最後に離れにたどり着いた。

 ずいぶん遠い離れに、広山優は一人で住んでいるようだった。

 ひとつの部屋の前で宮下君は正座した。私はもちろん座らない。宮下君も何も言わなかった。

「優様。林さんをお連れしました」

「……入って」

 とてもかぼそい男性の声が返ってきた。あまりの弱弱しさに老人なのかと思った。障子を上品に宮下君が開けた。奥のほうの間に布団が敷いてあり、宮下君そっくりの男性が上半身だけ起こしてこちらを見ていた。

 近くに若い女の人がいて、見覚えがあるけど誰だろうと思っていると、その女はいきなり笑い出した。

「あはははははっ! ブタチンってば相変わらずダサいわね」

 ブタチン。

 過去の嫌なあだ名だ。

 そしてすぐに思い出した。女王気取りの見城ほのかだ。あんまりにも粗悪に変わってるから気づかなかった。

 相変わらず嫌な女だと睨み付けると、見城ほのかはフンと鼻で笑った。

「なあに? 生意気よブタチンのくせに」

「お嬢様ならお嬢様らしくしたらどう? ど田舎者」

 思いもしなかった私の攻撃に、見城ほのかは少し驚いたみたいだけど、すぐにもとの調子に戻った。

「は? 何言っちゃってんの? ど田舎者はそっちの癖に、上方育ちの私を馬鹿にする気? お酒を飲んだら淫乱になるくせに」

「飲まなくても淫乱な人もいるようね」

「な……っ」

 あてずっぽうで言ったけど、なにか図星だったらしく、見城ほのかは私に向かって思い切り手を振り上げた。でも、彼女より先に私のほうが早く彼女の頬を打っていた。

「何するのよ野蛮人っ。よくも、よくも私を打ったわね! ただじゃおかないからっ」

「手癖の悪い犬は、こうやってしつけないと駄目なのよ」

 嫌なものを触った。ああ汚い。

 さらに打って来ようとするから再び避けると、悔しそうに見城ほのか悪態をまた繰り返した。

「ブタのくせに」

「今じゃあんたのほうがブタに見えるけど? 日の丸弁当メイクがださすぎ」

 真っ赤なルージュにごてごてメイクの白い頬では、言われても無理はないと思う。桜子あたりが爆笑しそうだ。

 中学時代とは違って至って好戦的な私に、広山優は目を丸くしていた。宮下君は会社の私を知っているから涼しい顔だ。

 これは桜子に教えてもらったことだ。もじりが入ったその言葉は、今頃になって妙に心にすとんと落ちた。

 攻撃をかける奴は一歩下がったら二歩入ってくる。絶対に下がってはいけないと。

 桜子はうっすらと私の過去を悟っていたんだろう。

 過去の、気弱で弱虫の林ゆきのはもういない。

 この女抱く気持ちはただひとつ。

 ふざけんな! という怒りだけだ。

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