見つめないで 第07話
「……よく似てるだろ? 忍の弟のホテルのレストランとさ」
にやにやしながら、早野チーフが私の顔を覗き込んだ。なんなんだろな、この人。
忍さんが周一郎さんのホテルへ私を連れて行ったのは、これが言いたかったのだろうか。でも、どちらが真似をしているのかまでは、わからない。私はただの客室係で、そこまでじっくりと何から何まで見る必要はないから。
それに、ひとつが流行れば誰もがそれを真似をする……なんて、良くあることだから、どちらが悪いともいえない。
メニューは確かによく似ているし、この部屋の内装もそっくりだけど、他の部分は似ているとは思えない。たとえばホテルの外観とか、フロントとか、客室のレイアウトとか……。要するにここだけなのだ、似ているのは。
「流行ではないですか?」
早野チーフが忍さんと親しいとしても、どの辺りまでなのかわからないから、うかつな事は言えない。あんな腹黒男が困ってもどうってことはないけど、何らかの形で私がとばっちりを食らうのだけは御免だ。何があっても、今このホテルを辞めるなんてできないんだから。
私の返答に、早野チーフは首を竦めた。
「今はその答えで良しとしよう」
早野さんが頼んだワインは、忍さんがあの日頼んだのと全く同じ、サンヴィルとペルラだった。
赤と、鮮やかなピンク色のそれも、記憶に新しい。
「このワインのワイナリーはかなりのど田舎で、それもごくごく少数しかやってない、しかも外国人が大嫌いな、フランスの頑固爺がオーナーなんだ。それをフランスのレストランで働いて、顔なじみだった滝澤さんと輸入業者が交渉して、やっと輸入できた代物さ」
「では、日本で出回るなんて、ありえないんですね」
「ああ。本社に脅されて、輸入代行者が契約の変更を申し出てくるまでは、うちにしか置いてなかった。滝澤さんはカンカンさ。頑固爺の信用を、完全に失ってしまったんだからね。だけど本社が決めたことには、忍も逆らえない」
「…………」
ワインの色越しに見る早野さんは、ふざけているような怒っているような、ふしぎな顔をしていた。
前菜、肉料理といただいている間も、その表情が消えないまま、シェフの代わりに料理の説明を受けた。周一郎さんのホテルのやたらと品のあるフランス料理と違って、滝澤さんの料理はとても優しく豊かな味わいのものが多く、香り立つような食材の色が酷く印象に残った。
「なんか、フランス料理の中に日本料理っぽいものが、あるような気がします」
素直に感想を述べると、早野さんは目をきらりとさせた。
「へえ、忍が言ったとおり、感覚が鋭いんだ」
またこれだ。
事あるごとに、忍さんの名前を出すのはなんなんだ。
「私と総支配人は、ただの義理の親戚です。一体、どういう風にお聞きになってるんです?」
「同棲してる恋人同士だろ?」
肉を切っていたナイフを、思い切り皿と接触させてしまい、冷や汗をかいた。
もうっ! お皿に傷をつけたら弁償ものじゃないっ!
くっくと早野さんは笑った。
「だってあいつ、えらく浮かれてるもん。あの顔立ちだからひどくもてるのに、今まで女のおの字もなかったんだ。それなのに先日、いきなり同棲するって電話してくるから。俺も滝澤さんもそりゃもう楽しみにしてたんだ」
本当は違うと言いたいけど、同棲は事実なだけに誤解を解く気も起こらない。
脅迫されて恋人やってるんだって叫べれば、どれだけいいか……はあ。
「ずいぶん遊んでるように見えましたが」
「あの顔だけ見てりゃね。俺と違って真面目だよあいつは。昔っからね」
「他に知ってる人は……」
「親族と俺ら二人だけ。安心して」
安心なんてできるか!
絶品の仔羊のハーブソテーが、あいつのせいで駄目になりそう。この赤ワインのソースと融和してとろけるようにおいしいのに……。
王様の母親に、眠り姫の子供を殺して食卓に出せと言われ、ためらったお城の料理人が、それとばれないようにこしらえたとても美味しいソースって、きっとこんな味だったんだろうなーっと浸ってたのに。
フォークとナイフを置き、口を拭いた。
「忍さんと、どういう知り合いなんですか?」
「中学時代からの友達」
「はあ……」
「忍は、くそ真面目でもあの面だから、俺ほどではないにせよ、女によく告白されてたんだ。でもみんな振ってもったいなかったなあ。一時期俺とホモ疑惑が出たぐらい。俺が女癖悪いのが有名だったから、そんな噂もすぐ消えたけど」
和田チーフの警告を思い出した。
「やっぱり早野チーフは、女癖悪いんですか」
「悪いのかな? 結婚したくないから、特定には絞る気はない」
女性を魅了する笑みを、早野チーフは浮かべた。成る程、これで皆コロっと騙されちゃうわけだ。
肉料理が終わり、デザートが運ばれてきた。
果物のアイスクリームに、ビスキュイ(ビスケット、クッキー)が添えてある。
アイスクリームは程よく冷えていて、すっととける甘さが至福のひとときをくれる。おいしすぎる……! 作ってある容器ごと買い取って食べたいぐらいだ。
「春香ちゃんて、なんでもおいしそうに食べるね。遠慮しないし」
「ご飯もおやつも美味しくいただくのが、当たり前ですから」
「だからちょっと太ってるの?」
「余計な一言ですね」
気にしてることを言う。でも最近痩せてきた。もちろん、忍さんと同棲を始めてからの気疲れだろう。まったく!
早野チーフは、うーんと首を傾げた。
「俺としちゃ、女の子はちょっと太ってるほうが好きかな。流行のスレンダーなタイプは、固くてどうも行為に熱中できない。やわらかーい身体の方が楽しめる」
「…………」
駄目だこの人。食事の席でセックスを連想させるような会話するなんて、マナーもへったくれもない。
「よくそんな話して、女性をとっかえひっかえできますね」
「ん? 嫉妬?」
「しませんよそんなの」
「ふふ。春香ちゃんしか言ったことないなあ。春香ちゃんは、俺をフィルター越しに見てないし」
なんのフィルターだ。
ああやだ。忍さんの時も思ったけど、顔がいいと自覚してる奴はナルシストで嫌いだ。
「騙されたいのが、女性の本音なんでしょうね」
「やっぱりいいわ春香ちゃん。俺、そういうずけずけ言う女、タイプなんだ」
妙なことに感心されても困るし、職場に快適さを求めたいから、好意等持たれたくはない。
「私は、モテる自覚がある男性はキライです」
「モテないって、悲観的な男よりはいいでしょ」
あっという間にデザートを平らげた早野さんは、再びワインを口に運んだ。
「そうですね。悪口と愚痴しか能のない男より、どんな手を使ってでも上を目指す男の方が好きです」
「でしょ? そんな野望を持つやつが、モテないわけない。違う?」
……手ごわい。
「違いませんが、それはあくまで極論です。私が好きなタイプは、誠実で前向きな人ですから」
「へー……忍をよく見てるねえ」
やけに早野チーフは感心したように言い、私は思わずむせそうになるのを必死にこらえた。あの男、どれだけ外面がいいんだ。早野チーフは完全にそれに騙されてる。
それだけ忍さんがタヌキなんだろう。
やれやれ。
気を取り直し、丁寧にアイスを食べ、ビスキュイを齧る。
少しずつ、少しずつ、惜しむようにゆっくりと。
出来る限り、甘い至福が長持ちするように。
そんな恋がしたい。
別に顔が良くなくてもかまわないし、お金も野心もなくていい。私だけを愛してくれて真面目に働く人がいい。
周一郎さんは、とても優しくて誠実そうだから恋に落ちた。でも、疑惑が胸に満ちてくるのは、止められない。
きっと正妻があれこれやってるんだ。周一郎さんはそれに逆らえないんだ。そうに決まってる。
……と思いたいけど。いい大人が母親のいいなりだなんて、ありえない。
もやもやするなあ。
早野さんは、空になった自分のグラスに、ワインを注いだ。
「忍は庶子だから、ものすごく風当たりが強いんだ。でもそれをすべて踏み台にして、立派にここまでやってる。大したやつだと思うよ」
「正妻側から見たら、愛人の子供がいるだけで苦痛でしょう?」
「まあね」
早野チーフは、思い切り忍さんに肩入れしているらしい。
正妻はともかく、周一郎さんはどう思ってるんだろう。
一度新居訪問しようとした時、用事が入ったから行けずじまいだ。今度の水曜日に行く予定になってるけれど……。
忍さんの恋人としての訪問は嫌だ。でも、少しでも周一郎さんを知りたい。疑惑を晴らしたいのもある。
周一郎さんには、千夏を幸せにしてくれる人であって欲しい。
心からそう思ってる。
コースが終わり、再び挨拶に来てくれた滝澤さんに、心からお礼を言って頭を下げ、私と早野チーフは再びエレベーターに乗った。
「今日は楽しかったよ春香ちゃん。また誘ってもいい?」
私達二人しか乗ってないのに、何でこんなに近くに寄るんだこの人。もうちょっと離れて欲しい。
目で制しても、気にもかけない早野チーフは、私に顔を近づけてきた。後ろは壁だから下がれないから困る。
「他の誰かがご一緒なら」
邪気のない笑顔に、潜む獣が見えるわこの人。
「本当にお堅いなあ。忍そっくり」
「冗談じゃないですよ。あんな極悪人と一緒にしないでください」
「あれ? 恋人なのにずいぶん手厳しいね」
ギク。
いけないいけない。一応恋人同士として、ひっそりつきあってるのに。
誤魔化そうとして笑いかけ、顔を上げた私の前に影が被さった。
…………え?
エレベーターがぐんぐん下がる感覚と……、唇に当たる優しい感触。
熱を持ったそれはすぐに離れ、一階にエレベーターは着いた。
扉が開いた。
「最高のデザートをありがとうね、春香ちゃん」
子供のように微笑み、早野チーフは私の頭をかき混ぜた。
こ……っ、こ、この男っ! キスしやがったーっ!!!
「忍は真面目で女には清いけど、性格に大いに問題があるのはわかってるよ。だって、俺みたいな奴と親友なんだからね」
してやったとばかりに微笑み、さっさとエレベーターを降りて歩いていく早野さんに怒鳴りつけようとしたけど、向こう側から入ってきた人たちに一瞬遮られてしまった。何とかエレベーターを降りた時には、足の速い早野さんの姿は廊下にはなかった。
「────……っ!!!!」
あああああっ、この怒りをどこにぶつければいいの。
シルバーのスマートフォンがメール着信し、見ると、いつの間にメルアドをつかまれたのか、早野さんからだった。
”その調子だと俺にもチャンスがあるね。これからがたのしみだよ。よろしくね~。メルアド登録しといて。 早野 ”
もうひとつ着信があり、それは忍さんで、時間は、食事前にもらったメールの時刻と、そう離れてなかった。多分、慌しい厨房の中で着信したから、気づかなかったんだろう。
”ブス子は、ブスだから大丈夫だと思うが、早野チーフは女癖がひどいから気をつけろ”
「だったら他の人選んで頂戴よ……」
しゅうしゅうと空気が抜けていく風船のように、近くのベンチに座り込んだ。
最悪だ。
ここへ来てから、問題ありな人ばかりに出会ってる気がする。
「……早く帰ろう」
これ以上、疲れる人間に会いたくない。
疲れた身体に鞭打って、よろよろと立ち上がり、私は守衛のおじさんに見守られながら家路についた。