願わくは、あなたの風に抱かれて 第07話

 「なかなか炙り出せないものですね」

 彰親は、降り続ける雪を御簾内から眺めながら、ふうとため息をついた。

 しつこく監視する嫌な視線を全く感じなくなり、かといって消えたかというとそうでもない。彰親の屋敷は相変わらず得体のしれない妖が飛び回っていて、式神及び子飼いの妖達が警戒を続けている。かさねに憑いている眷属の二人は、かさねの桜花殿入りに、彰親のつけた式神達と一緒に付いて行った。音沙汰はないから何事もないのだろう。

「正直な話、甘く見すぎていましたか。外へ連れ出せばすぐに手を出してくると思っていたのですけれど」

 書物を再開するため硯で墨を摺っているところへ、来客があった。葵が面白くなさそうにしている顔に、誰が来たかはあっさり検討は付いた。葵は客が部屋に入ったのを見届けるとすぐに下がっていく。

「相変わらずお前のところの女房は愛想がないな。教育するべきだぞ」

 入ってきたのは御嶽詣をするのかと聞きたくなるほどの見窄らしい成りの僧で、名を水恵といい、彰親より二つばかり年下の男である。今上の兄宮に当たる尊い生まれだが、母親が身分の低い更衣であったため後ろ盾もなく、早々と出家して、比叡山で修行している。師走のお互い忙しい時期であるのにわざわざ下山しての訪問に、彰親は頭を傾げた。

「俗世の縁を切った男に愛想をよくするのは、鬼のたぐいというものですよ。雪深い中よくいらっしゃいましたね」

「私だって来たくはなかったさ。彰親殿に会うのは嬉しいが、深い雪に難儀した。冬眠できず徘徊する熊にも遭ったし。ああ、私の下男は優秀でな、仕留めた熊を毛皮ごと持ってきたから好きにするがいい。少々痩せていたが、熊の肝は素晴らしい薬になると言うからな」

 大きな体躯と粗野な言動で宮らしからぬ立ち振舞のため、狂僧都という異名まである。彰親は何故か水恵に慕われており、幼い頃から時折祖父晴明の元へ訪れる彼との語らいは楽しいものだった。

 しばらくして葵が白湯を持ってきた。それも黙って置くと、さっさと下がっていってしまう。心底嫌っているのだ。

「それで、何用ですか?」

「うむ」 

 水恵は後ろに控えている屈強そうな体躯の自分の下男に、一つの黒塗りの箱を持ってこさせた。

「これは?」

「中を開けてみてくれ」

 訝しみながら蓋を開けた彰親は、瞠目した。そこにあったのは女性の髪で、あのかさねの髪そっくりの黄金の輝きを放っていた。いや違う。本人の髪で間違いない。

「これは……? どこで?」

「昨年、今は左近衛大将殿の北の方になっている、宮家の姫が住んでいた屋敷の焼け跡で」

 珠子のことだ。

 髪から伝わってくるのは純粋な悲しみ。これからの幸せを願う気持ちだ。

「当時、姫は焼け死んだと思われていたからな。力のない連中には生きてるなんてわかりっこない。とはいえ、私には関係のないことだから、そこを通り過ぎようとしたら、一人の若い女が私の行方を遮った。この通りの成りだから、そのへんの乞食坊主と一緒にされたんだろう。何を言うかと思えば、ここで焼死した姫のために経を上げてほしいときたもんだ」

「貴方のことだから……すんなりとは上げなかったんでしょう」

 こめかみを指先で突きながら彰親が言うと、ああそうだと水恵は返してきて、

「当然だ。陰陽師安倍彰親程ではないが、そこいらへんの僧より力はある私だ。苦労に苦労を重ねて得た力だ。ただでなんて虫が良すぎるだろう」

「……そうですけど……ね」

 水恵は身分柄かなり傲慢で意地が悪いのだ。宮中でも嫌っている者は多い。葵の態度など可愛らしいくらいだ。

「見返りを要求したら、女はこの下男から借りた刀で、自分の髪を肩のところで全てばっさり切って渡したんだ」

「…………」

 改めて髪を見下ろした。

「あなたは姫は生きているとご存知だったのに、経を上げたということですか?」

「ふん。無能な検非違使どもに教えてやる義理はないし、髪を切った女の気迫が凄すぎて真実は口に出来なかった。ま、あの惇長殿の北の方になっているとは驚いたが。成るほど、あの女の加護があればそうなるだろうよ」

「加護? 憑いている眷属たちですか?」

 桃の木の精と猫又の妖かと聞くと、一瞬、水恵はきょとんとした。

「ああ、視る力は私のほうが上だったか。この髪を切った女は人間だったが、前世が妖だ。それも厄介な奴だ」

「厄介?」

「妖本人は無害そのものさ。だが、俗世間で欲に塗れてる連中にとっては、喉から手が出るほど欲しい、妖様さ。何しろ彼女が望めば何でも叶ってしまうのだからな。あの女はこう望んだのだろう。姫がどうぞこれからも幸せになれますようにと……」

 箱の中の髪が強く輝いた。

 同時にぱちんと何かが弾け飛び、彰親の脳内に懐かしい記憶が溢れる。

 ああ、自分もかさねの力に、記憶を封印されていた。

 当時、彰親は十二歳で、惇長は十一才。元服目前だった。

 記憶の戻りは一瞬で、大した抵抗もない。一般の人間なら一週間は寝込むほどの苦痛だが、彰親は鍛錬しているので影響は少ない。

 それでも気持ちのいいものではなく、他人が自分の人生が乗り込んでくるような感覚が不快だ。

 記憶の中に浮かぶのは、かさねの前世の姿。

 美しい女人だった。

『命は皆同じ重さよ。人間にはそれがわからない』

『皆、私の力を欲して狂っていくの』

『私はずっと一人ぼっち……』

 そして最後はどうなった?

 そこだけが思い出せない。

『純粋に私を愛してくれる人が居てくれたら、それだけで、いいの』

 寂しそうに微笑んでいた。

「金色草(こんじきそう)……」

「そういう名の妖だったな。本性は木で草の姿が見えるが、見事なものだ」

 水恵は白湯を啜った。

「ただの黒髪だと思っていたが念が強すぎるので捨てることもできず、そのまま持っていたのだ。それがここ最近この有様でな。彰親殿には思い当たるふしがおありのようだ」

 大ありだ。かさね本人に違いないのだから。

 しかし、かさねの髪は昨年切ったとは思えないほど長かった。どういうことだろうか。

「強力な力を持つ妖がこの髪の持ち主を呼んでいて、髪だけが反応している。あの女にも良くないと思って、こうして下山してきたのだ」

 良くないどころではない。

 彰親は家人を呼び、車を出すように命じた。

 話は桜花殿に戻る。

 気を失ったかさねを抱きかかえた彰親に、珠子が問うた。

「どうしてかさねが来たの? 新参の人が来ると聞いていたのだけど」

「それがこの人です。上はかさねとどういう仲なのですか?」

「お友達よ。前の屋敷でよく来てくれたから……」

 また、かさねを攫おうとする風が強く吹いてきた。今度は現実に吹く凄まじい勢いの風だ。彰親は人差し指と中指を揃え外に向かって鋭く突き出し、呪言を唱えた。ばりばりと空気が避ける音がして、女房達の悲鳴が上がった。

(退け! 陰陽頭!)

「退かぬ! そちらこそ去れ!」

 桃の木の精と猫又の妖が飛んできて、彰親に加勢した。それでも風の勢いは治まらず、室内がめちゃくちゃになっていった。遅れて来た水恵が加わり、なんとか押し返していく。

(……っ、あともう少しだというのに!)

 男の声が悔しそうに響き、風は引いていった。

 騒ぎを聞きつけて、惇長と由綱を始め、たくさんの家人が集まってきた。

「何が起こった?」

 惇長が聞く。

「かさねを狙っている親玉がついに姿を現しましてね。危機一髪でした。水恵殿、ありがとうございました」

 かさねの胸元から呪符を取り出すと、ボロボロになって床へ積もっていく。それほど風の勢いは凄まじかったのだ。

「いきなり車から飛び降りて走っていくからびっくりしたぞ。しかし、厄介な妖同士のいざこざだ。良いのか? 大将殿も……」

 惇長は水恵と顔見知りだ。彰親ほど親しくはないが、敵対はしていない。惇長は彰親の親しくしている相手というだけで水恵を信用しているし、水恵も惇長の処理能力の高さを世間一般の人々より評価している。

「承知で預かった女房殿ですから。それに、今、彰親の屋敷へ戻したら、妻が承知しませんし」

 ずっとかさねを心配して、顔を覗き込んでいた珠子が、はっとしたように立ち上がった。普通の高貴な女人なら、殿方が幾人も居る前で素顔を晒すなど躊躇するものだが、珠子は普通ではない。

「当たり前でしょう。得体の知れない妖に、かさねを好き勝手にされるなんて我慢できないわ! かさねはとてもいい人なの。幸せになるべき人なんだから!」

 水恵が大笑いした。

「これはこれは……なんとも肝の据わった方でいらっしゃる」

 彰親と惇長は静かに肩を落とした。

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