願わくは、あなたの風に抱かれて 第10話

 蜜月とも言うべき日々を送っていたかさねと躬恒は、ある秋の朝、二人の人間が山へ入ってきたのを探知した。いつもなら里の人間が狩りや山菜などを取りに来ることなど気にもとめなかったのだが、わざわざ見に行ったのは、二人が初めて見かける貴族の少年だったからだ。二人が乗っている鹿毛と黒毛の馬はよく手入れされているものと見え、毛並みが良くつやつやしており、足運びも美しい。

「一体この山に何の用なのかしら?」

 かさねは首を傾げた。貴族は都で豪華な暮らしをしていると聞く。二人のうちの一人は、身をやつしていても上質なものとわかる服を着ていた。

 二人は何かを探しているようだった。立ち止まり、あっちこっちを覗き込み、見上げ、草をかき分け、丘に登って見下ろしたりしている。

 貴族が望むようなものはこの山には何もない。しかし、躬恒は難しい顔をした。

「あの二人には関わらぬほうが良かろう」

「どうせ見えないわ。私は妖だもの」

「そうであったな。人は我らを見ることはできぬ。かさねのような美しい女人を見たら、たちまち恋に落ちて、連れ去ろうとするやもしれぬと案じた」

「まあ、躬恒様ったら」

 かさねはおかしくてくすくす笑った。

 日がかなり傾いた頃、少年達は、山の中腹にある社へ入った。そこへ寝泊まりするつもりらしい。一緒に連れてこられていた柴犬が、馬泥棒を警戒しているのか、繋がれた二頭の馬の近くでうろついている。不思議なのは、もう一人の高位貴族の子息であろう少年が、供の一人もつけずにいるところだった。おまけにもう一人の少年と、煮炊きするための木切れを仲良く拾って集めている。二人の仲に身分差はないようだった。

「めずらしいこともあるものだな。かさねは知らないだろうが、あれほどの高位貴族の子供はもっと傲慢で、人を顎でこき使うものだが」

「そうなの?」

「妖の世界でも同じだ。私もそうであるし」

「躬恒様は私を顎で使ったことなどありませんよ?」

「愛しい妻を顎でこき使うわけがなかろう。だが、高位の者はそうでなければならぬ。そう幼い頃よりしつけられる。身分の差ははっきりさせておかねば、物事がうまく回らなくなるゆえ」

「よくわかりません」

「かさねは知らなくても良い。さ、人間たちのことなどどうでもよいではないか。家へ戻ろう?」

 躬恒に急かされ、かさねは家へ足を向けたが、視線を感じて振り返った。視線の先には、身分が低い方の貴族の少年が居た。少年は切れ長の目を瞠っている。がさりと音がして、向き直ると、熊が居た。少年はこれに驚いているようだ。熊はかさね達を迎えに来ただけだったので、おとなしくかさねたちについてきた。

 家へ戻ると、かさねも煮炊きを始めた。躬恒が手伝ってくれるが、高貴な生まれの彼は、相変わらず手付きが危なっかしい。それでも一心にやっているので、かさねは手伝ってもらって嬉しいと思っていた。夕餉はすぐにできて、二人で楽しく食べていると、ふいに躬恒が箸を置いた。

「どうしたの?」

「すまぬ。来たようだ」

「何がですか?」

 躬恒が外に出たので、かさねもついていくと、いつも外で縫い物をするさいに腰掛けている石におおきな梟が止まっていた。

「大きな梟ね」

「妖だ。いかがした月華」

 月華と呼ばれた梟は、翼を広げて羽ばたいて、大きく鳴いた。

「行かねばならぬのか? 今?」

 かさねにはわからないが、二人は会話しているようだ。やがて躬恒が深くため息を付いた。

「どうなさったの?」

「すまない。一週間ほど帰れそうもない。南の方で怪しい動きをしている妖の集団がいるらしくてな」

「戦になりますの?」

「ならないだろう。何、大したことはない。話し合いで多分折り合いはつく」

「そうなの」

 かさねはほっとした。戦というものは知らないが、婆から、人が沢山殺され、田畑が荒らされ、火が放たれたりする恐ろしいものだと聞いている。そんなところへ躬恒が行ってほしいとは思わない。

 躬恒は、家の中へ戻り、服をこちらへ来た時の綺羅綺羅しいものに着替え、寝台にかけてあった玉造の太刀を佩いた。かさねは知らなかったが、それはあらゆる魔を跳ね除ける術がかけられているのだった。

 家の周囲には、いつの間にか、おびただしい数の妖で溢れかえっていた。物々しい雰囲気と、殺気立った多くの眼を見てしまったかさねは、おそらく話し合いなどでは解決しないと直感した。交渉は決裂しており、もう、戦に入るのだろう。躬恒はかさねを心配させまいとして、話し合いで済むなどと嘘をついたのだ。

「王は戦がお好きなのですか?」

「好きでも嫌いでもない。反抗してきた妖は潰すしか無い。だが、今回は……大丈夫だ」

 やはり躬恒は本当のことを言わない。

「かさねはここで待っていてほしい」

「嫌です。どうすれば戦はなくなりますか?」

 ばれているのかと、躬恒は苦笑した。

「無理であろう。人も妖も上に立ちたいと願い、他者を支配したいと他者のものを欲しがるのだから。食っても食ってもくちくならない腹を抱えている餓鬼のようにな」

「…………」

 傲慢な躬恒が、妙に疲れた顔を見せた。そこへ、梟が家の中まで飛んで入ってきて、一声鳴いた。躬恒は梟を睨みつける。

「黙れ。そのようなことは望んではいない!」

 不機嫌に言い放つ躬恒に、梟はかさねをちらりと見て、さらに鳴き喚いた。

 躬恒は殺気立ち、剣の柄に手を掛けた。梟を殺すつもりなのだ。すると梟は髪の長い美しい女性に変化した。

「何故望まれぬ? そのために貴方はここへいらしたはず」

 髪に耳に首に、おびただしい数の宝飾品をきらきらとさせ、幾重にも色とりどりの袖を重ねた服を着ている月華という名の女は、さながら女王のようだ。

「それ以上言うなら、斬る」

「ほほほ! できるわけがない。我が父を敵に回すおつもりですか?」

「試すか?」

 本気だった。かさねは眼の前で人が斬られるのが恐ろしく、背後から躬恒にしがみついた。躬恒は優しい目でかさねを見下ろし。大丈夫だと言った。

「かさねは何も知らない。我らはこのまま去る」

 月華が目を吊り上げた。

「そのような事が許されるとお思いか? それこそこの小娘の力が必要でしょうに」

「頼らずともできる」

 するとまた月華は笑った。

「できるわけがない。だから貴方はずっと兄君に水をあけられておいでなのです」

 そしてかさねに目を向けた。

「そこの小娘。躬恒が愛おしいと思うなら、躬恒が王になるように願いなさい。さすればそなたが案じている戦は無くなるでしょう」

 しがみついていた躬恒が、突然前のめりに倒れた。かさねが抱き起こそうとすると、躬恒は苦しそうに目を閉じて呻いた。目に見えない何かに締め上げられているようだ。月華が何かをしているに違いない。

「貴女は躬恒様の何?」

「私はこの躬恒の正后。この方にはあと5人妾妃が居る。そなたは6番目です。私は心が広い妻ゆえ悋気は妬きませんが、夫のために力を出し惜しみする妾は許しませんよ」

「力を出し惜しみ?」

 かさねが首を傾げると、それが気に触ったのか月華が吃と睨んだ。いきなりかさねの着物の左肩の部分が裂け、血が飛び散る。かさねは驚いて悲鳴をあげた。逃げようにもぐるりと妖に取り囲まれている。

「知らぬふりをしているのですか? お前は3つだけ願いを叶えられる、金色草のはず。お前が愛している人間のみ、その資格は与えられるはず。お前は躬恒を愛しているでしょう?」

「…………」

 かさねはガクガクと身体中を震わせた。左肩の痛みはひどく、血がどくどくと出ている。こんなに恐ろしい思いはしたことがない。

「そのために躬恒はここへ来たのです。それなのに今になって、この方は何を血迷っておいでなのか」

「躬恒…様を悪く言わないで」

 弱々しくかさねは言い返したが、返ってきたのは鞭のようにしなる命令だった。

「だったら願え!!! 躬恒様を妖の王にすると」

「でも……でも、躬恒様は」

「構わぬのですよ私は。躬恒の兄が王になっても。私は二人の正后だもの。強い妖がこの私を手に入れられるのだから。このような気弱な男はいなくなってもよい」

 月華は、先程かさねにしたように、躬恒の肩を視線だけで切り裂いた。脅しではない。躬恒は苦しそうに喘いだ。

「やめて!」

「ならばはやく願え!」

 身体中から汗が滲み、息が苦しい。月華がかさねに与える威圧感は、凄まじく重く、かさねに反抗を許さなかった。震えるばかりのかさねにじれたのか、今度は躬恒の右足に血が迸った。じわじわとなぶり殺しにしていくつもりなのだ。

「貴女は躬恒様を愛していないの!?」

「愛しているに決まっている。だからここに、そなたが居ることを教えてやったのです。さあ、早くしなさい。グズグズしている間にも、敵がここを目指している。あやつらもお前が欲しいらしい。優しい言葉でそなたをたらしこむ者もたんといるでしょうね。その前にそなたが愛しているこの里を焼き払い、人の血肉を喰らうであろう。山にも里にも火は放たれ、そなたは今度こそひとりぼっちになる」

 月華は微笑みながらかさねの長い黒髪を掴み、ぐいと上に引き上げた。かさねはひきつる痛みに歯を食いしばる。

 このままではみな、死んでしまう。

 この美しい山も里も……失くなってしまう。

 長い間見てきた命の営みが消えてしまうのは、かさねにとって何よりも辛いことだった。

 婆の強い眼差しが、脳裏に甦った。

 頑健だった婆が死の床についたあの日、婆はかさねに言った。

『お前は、生きとしいけるものの願いを叶える、金色草(こんじきそう)という妖なんじゃ。それゆえ、断じて邪悪な者の願いを叶えるではないぞ』

 邪悪とはなにかとかさねが尋ねると、我欲に満ちた者すべてだと婆は吐き捨てた。

『財宝が欲しい、権力が欲しい美しい女が欲しい……。人の幸せを破壊し、己の欲だけを満たすものはすべて邪悪じゃ。私は、お前が生まれた時から、お前を邪悪な者達から護ってきた。でも、もう、できそうもない』

 婆はもう幾日も褥から出ていない。回復せず弱っていくばかりだった。ここ数日水以外を口にしない。できないのだ。

『嫌よ婆様。私をひとりにしないで』

 かさねが涙を流すと、婆は安心させるかのように微笑んで、涙の流れるかさねの頬に触れた。

『幸せにする願いだけを叶えるのじゃ。そして、最後の願いだけは己の願いを叶えるのじゃよ』

『婆様』

『私は死んでしまうが……、必ずかさねを愛してくれる者が現れる。孤独を恐れるでないぞ』

『どうしたらその人がわかるの?』

 その問いに、婆は少し考え込んだ。

『この者なら、と、感じることができたなら……じゃが、出会うまでわからないじゃろうなあ……』

 きっと、これは、幸せにする願いだ。

「……わかり、ました」

 かさねが承諾すると、月華は髪を放してくれた。かさねは躬恒を見下ろし、意識を映すように集中させた。すると辺りが黄金の光りに包まれ、それは目を開けていられぬほどの明るさになった。闇夜に現れた彗星のようにその光は妖達の目を直撃し、妖達は目をかばって地に伏した。

 きっと、躬恒が「この者」なのだ。

 戦が好きではない躬恒なら、願いを叶えても良い。言っているのは月華だが、躬恒が王になったら、戦がなくて楽しい世にしてくれるだろう。

 今、自分に新しく美しく楽しい日々をくれているように。

 正妻や妾妃が居ようが関係ない。

 かさねは躬恒を愛している。

(躬恒は妖の王になる)

 黒髪を黄金の風に揺らせながらかさねが宣言すると、熱い力がかさねの胎内から抜けていき、躬恒に吸い込まれていった。

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