願わくは、あなたの風に抱かれて 第13話

 かさねが見ている前で彰親が吹き飛び、外で生い茂っている木々の中に突っ込んだ。バキバキと木が折れる音がして、かさねは悲鳴を上げた。躬恒は容赦ないようで、いくつもの石や岩などを空中に浮かせると、彰親が倒れていると思われるところへ突き込んでいく。

「止めて! 何をするのですか!」

 なおも攻撃を止めない躬恒の腕にしがみつき、かさねは攻撃を止めさせようとするが、今度は炎を出現させた。彰親の様子は全く見えないが、こんな攻撃をまともに受け続けたら確実に死んでしまう。

「止めて! 止めなさい! あの人は私を助けてくれたのよ!」

「言葉巧みに我の妻を寝取った。万死に値する」

「私は死にかけていたのよ。貴方の代わりにあの人は……」

「そなたは我のものだ。何があろうと手出しは許せぬ」

 ごうごうと燃え盛る炎が眼前に展開され、かさねは彰親を助けようとして前へ進んだが、すぐに躬恒に捕まって引き戻された。

「離しなさい!」

「夫に対して何だその言葉遣いは。何を吹き込まれた」

「おだまり! 王であろうが夫であろうが、私の山でこんな狼藉は許さない!」

 かさねの心の中では怒りが渦巻いていた。自分を助けてくれた人間にたいするこの仕打ちは許せるものではなかった。彰親はまったくの善意で、おそらくは相当に危険な術を使ったのだ。全くの欲望を映さないあの瞳を見たあと、この躬恒の瞳はなんと欲に染まっているだろうか。これが本当に自分の愛した男なのかと、自分を許せない気持ちだ。

「かさね……」

 躬恒が唐突に攻撃を止めた。そして炎を消す。

 ぶるぶると怒りに震える身体を躬恒に抱きしめられ、かさねは暴れた。こんな男に触れられたくはない。

「許しておくれ。すぐにでも来たかったのだが、閉じ込められていたのだ、あの月華と父親に」

「……嘘」

「嘘ではない。私が父を倒して、それでもかなりの力を使ったために倒れていた時に、洞穴に封印されてしまったのだ」

「…………」

「今日、なんとか力を復活させて、ここへ来たのだ。そうしたら、愛しいかさねが他の男に取られていて、許せなかった。私が救いたいと思っていたのに、と」

「私を忘れていたわけではなかったのですか?」

「当たり前だとも。幾人も妻は居るが、一番愛しているのはかさねだ」

 かさねは躬恒を見上げ、涙を零した。それは今にも壊れてしまいそうな美しさで、躬恒は優しく優しく宝石を撫でるように、かさねの肩を撫でていく。

「私のために命をかけてくれたのだ。いち早く駆けつけたかった」

 かさねは黙って躬恒の背中に両腕を回した。躬恒は抱きしめ返してくれた。

 遠くから惇長の彰親を呼ぶ声が聞こえた。

 躬恒が手をあげると、ぶすぶすと煙がくすぶっている木々の間から、ぼろぼろの彰親が浮かびでた。すっと躬恒は自分の足元へ彰親を降ろし、自分の妖力を注いだ。みるみる怪我や火傷が消え、服以外は元に戻っていく。

「もう大丈夫だ」

 かさねは膝を付いて、彰親に謝った。彰親は深く眠り目を覚まさない。

 やがて惇長が現れたが、かさね達の姿は見えないようだった。惇長は彰親の様子を確かめ、大丈夫なのを悟ると、彰親をおんぶして山を下っていった。

(惇長もごめんなさい……)

 かさねは立ち上がって頭を下げた。 

「この山を出るぞかさね」

「……どうして?」

「あの二人は貴族共の密偵だ。お前を探しに来ていたのだ。このままではお前は人間の欲望の餌食にされてしまう」 

「私の姿は見えないのでは?」

「あの子供の祖父、安倍晴明は何でも見える霊力の持ち主だ。あの子供の眼を通してずっとこちらを伺っていた」

「…………」

 かさねは逆らわず、躬恒に抱かれた。そうすることしかできなかった。

 空間がぶれたかと思うと、二人は壮麗な宮殿の前に立っていた。大勢の妖達が居て、二人に膝を付いた。ざ……と音がする。

「新しい妻だ。かさねという。皆、仲良くせよ」

 よく見ると皆女性だ。

「ここは……?」

「我の奥の宮だ。月華を初め、大勢の妃たちが居る」

「…………」

 角を額に生やした、若い女性が進み出てきた。

「王よ。月華様がお呼びです」

「わかった。ではかさね、ここからはこの者に案内してもらえ。また夜に行く」

「……はい」

 躬恒が侍従を従えて中へ消えると、女性たちは立ち上がった。皆、かさねを値踏みするかのようにジロジロと見ているだけで、話しかけては来なかった。

「こちらへ」

 先程の女性がかさねに付いてくるように言い、かさねは壮麗な宮殿の門の外に連れ出された。細い山道をどこまでも登っていくと、小さな庵があった。

「こちらが貴女の住まいじゃ。宮殿の中に住むことは許されぬ」

 その声は冷たく、完全なる拒絶が見られた。

 しかし、かさねは何も言わず、黙って庵の中へ入った。入るなり扉は閉められ、呪符付きの閂が刺された。閉じ込められたのだ。

 中は狭く古びた家具ばかりだったが掃除がされていた。くたびれた布団が敷かれている寝台へ腰を掛け、かさねは無言で梁がむき出しになっている天井を見上げた。空が見えるので雨が降れば水浸しになるに違いない。

 とんとんと閉ざされた戸を叩く音がして、開くと、小桃と疾風が居た。

「姫様。こちらをお召し上がりください」

 初めて話した小桃に、かさねは驚いた。

「こんなところでもお仕えさせていただきます」

 疾風がそう言い、頭を下げた。

「二人共話せたのね……」

「お許しください。あの山では話すことを封印されておりました。姫様。必ずここからお出しいたしますから」

「これは誰の意志なの?」

「我らにもわかりません。わからぬようにされているのです」

「そうなの。それでも仲間なの? 酷いことを上の方はされるのね」

「妖も人も、一部の上の人間が好きなように振る舞います。力のない者は餌食になるしかないのです」

 悲しい話だ。かさねは二人から食べ物や着るものを受け取った。

「すぐに窓を閉めなければなりませんが、屋根は空いておりますから、真っ暗にはなりませんからご安心ください」

 妙な疾風の慰めに、かさねは微笑んだ。

「雨が漏れてくるじゃないの」

「桶を用意します。楽しい音が出ますよ!」

「まあ!」

「笛を吹くことは禁じられておりません。話すこともです。ずっとおそばにおりますから」

 小桃がかさねの両手を握ってくれた。とても温かい。

「俺だって」

 疾風の手も重ねられた。

 その夜、躬恒は現れなかった。

 翌日、二人が持ってきた朝食を食べ終える頃、月華がやってきた。

「卑しい人間にふさわしい住まいを用意してやったが、よくお似合いですこと」

「貴女が用意したのですか?」

 かさねが窓の中から聞くと、月華の後ろに控えている侍女が怒った。

「直答はならぬ! 膝を付かぬか!」

「…………」

 かさねは黙って土の床に膝を付いた。この庵に木は張られていない。

「躬恒様は多忙です。お前にかける時間など微塵もない。お前はただ、あの方の願いを叶えるのです。それがお前の仕事」

「何故貴女は、躬恒様を閉じ込めたのですか?」

 侍女が目を吊り上げて罵ったが、それだけはかさねは聞いておきたかった。

「後始末をしたまでじゃ。あの方は優しすぎる。敵をできる限り駆除して差し上げるのが、私達の役目というもの」

 顔を上げると何らかの攻撃がされそうな気配が漂っていたため、かさねは土の床を見つめているしかなかった。

 眼の前にはらりと紙が落ちてきた。何かよくわからない絵が書かれている。

「それを目の前にかざしてみよ」

 言われるままにかざすと、人間たちが自分の前に並んでいるのが見受けられた。貴族の男たちだ。

 これは何だ?

「時空を繋げてある。躬恒様が許可された者共です。お前の仕事はこの者たちの願いをかなえること。わかったか?」

「私はみっつしか……」

「お前は自分の力もよう知らないのか。一人につきみっつまで。全く呆れた妖だこと」

 男の一人が、ニタニタと笑ってかさねに声をかけてくる。聞きたくはなかったが、この庵にそういう呪がかけてあるのか、月華がかけているのか、逆らえない。かさねは操られるように貴族たちの願いを叶え始めた。

 窓は閉じられた。その庵を、小桃と疾風が心配そうに見ている。月華がその二人の前に歩いてくると、侍女が口を開いた。

「死なぬ程度に霊力の入った食事を与えなさい。さぼるでないぞ」

 二人は黙って膝を付いた。

 悔しいが逆らえないのだ。

 どれだけ今、かさねは苦しいだろう。辛いだろう。

 あの聡明な魂が醜く歪んでいくのが辛い。きっと、かさねはもう笑顔を見せてはくれない。それでも二人はかさねを助けたかった。その方法をずっと探している。あの躬恒や月華の力が及ばない所がきっとあるはずだ。

 かさねの力が弱まっていく。願いを叶え続けるのだ、そうなって当たり前だ。

「何故かさね様は、黙ってついてこられたのだろう? あんなに山を愛していらしたのに。ここにさえ連れてこられなければ……」

「わからないわ。とにかく、食事を用意しなくては。行くわよ疾風」

 二人は、輝きを失っていくかさねが気がかりだったが、それを少しでも食い止めるためにその場を立ち去った。

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