白の神子姫と竜の魔法 第10話
そして、再び私は、ジークフリードのダンスの猛特訓を受けていた。
この男も忙しいだろうに、よくつきあうもんだ。
元の世界で言う、スロースロークィッククィック……ってなリズムで、辛いのなんの。
ダンスって、マラソンの如きハードスポーツなのね。
テレビや舞台で観た時は、笑顔で優雅に皆さん踊っているものだから、気づかなかったわ……。社交界の全身運動の大変さよ。
だから、役者さんて頑丈な人が多いんだな。
「舞踏会は明日の夜ですが、それまでに蝶のような軽やかさを身につけてもらわないと」
「こんなに踊り続けたら、バケツ持ってる小学生状態なんだけど(大昔の)」
「よくわからない例えですね」
さもつまらなそうにジークフリードは返してきて、蹴躓きかけた私をリードしてくれた。
窓を全て開け放っても、カーテンを閉めているせいで暑い。この館にはダンスホールもあるのに、偽者とばれるかもしれないので、王妃の部屋の中で練習するしかない。この部屋も十分広いけれど、ダンスホールはもっと広くて涼しいらしい。そっちでやりたいなあ。
「疲れると笑顔が苦しそうですよ。笑ってください」
疲れてるのに笑うってどんな苦行よーっと思っても、逆らうと何されるかわからないので、我慢して笑う。テレジアさんはそんな私たちに、一日中つきあっている。侍女っで職業もいろいろ大変だな。他のことがしたいだろうに。
「テレジア。貴女から見てどうですか?」
「王妃様がそうしていらっしゃるようです。合格点ではありませんか?」
「ふむ……」
もう終わりにしてくれるのかと思い、目を輝かせると、腰を抱き寄せられた。
「では仕上げに入りましょうか」
涼やかに笑うジークフリード。鬼だっ!
猛特訓が終わったのは、夜もすっかり更けた頃だった。汗を流してさっぱりして、遅い夕食をとる。お腹が空きすぎてなんでもかんでも美味しい。
「食事マナーは、いつも素晴らしいですね」
「うち、厳しかったもの」
食べながら、壁に背を預けているジークフリートに言うと、何故か一瞬痛ましそうに目を伏せた。
「そうでしたか」
ん? いったい今の何に、不幸そうな要素があったっての?
「猛特訓はしてないよ?」
「わかってます」
黒髪をかき上げて、ジークフリートは窓際まで歩いた。カーテンはやはり開けない。
陛下は今夜も、リン王妃の傍らで過ごすらしい。ずっとそれが続いている。
「……他のお妃様達は怒らないのかなあ」
「なんですか突然」
ジークフリードは面食らったように振り返った。
「だって、ずっとほうったらかしじゃない」
食事を終えた私に、テレジアさんがハーブティーを淹れてくれる。
あー、癒されるなっ。
「宰相様、お茶は」
「必要ありません」
テレジアさんがお茶をすすめても、ジークフリードはやんわりと断り、窓際の椅子に腰をかけた。
ジークフリードは夕食をとっていない。午後からずっと一緒で、何かを口にしているのを見ていない。竜はお腹が空かないとか?
「鈴は、誰も愛した経験がないとみえる。陛下のおっしゃったとおりだ」
「何よ。子供っぽいというの?」
「その通り。小学生よりひどい。お茶を飲みながら話すような、軽い話題ではありません。どれだけ繊細で重い話かを、貴女はまったくわかっていない。でもそれも私の罪でしょうから、仕方ない」
「どうしてジークフリードの罪になるのよ?」
ジークフリードは首を僅かにかしげた。
「中途半端な状態にしたのは、私の責任ですから。五年の時間というものは、それほど人に影響を与えるのでしょう」
「どうかなあ。私、基本恋愛って興味ないし。高校生から社会人の間で、いきなり恋愛体質になるとも思えないな。基本、リアルに人に興味持てないし」
「そうですね。貴女はただ、王妃の真似事をして贅沢に埋もれていればよいのです。難しいことは我々に放り投げておけばいい」
懐から、真珠に似たネックレスを取り出し、ジークフリードはにっこり笑った。ひと目で高級な品だとわかる。
「……何?」
「プレゼントです。貴女はよく頑張っている。今のところバレていません」
「高価そう……」
「高価ではありませんから安心なさい。でも、質に出したらそれなりのものでしょう」
それってつまり、高価なんでしょう。
陛下は、ジークフリードには逆らうなって言っていた。本当はいらないけど、もらっておくか。
ジークフリードが私の後ろに回ってきて、ネックレスをつけた。
「……ありがとう」
頭を下げると、ジークフリートが背後で驚く気配がした。
「貴女が宝石を素直に受け取るとは、思わなかった」
「くれるものはもらっておくわ」
「貴女は、私以外の男でも、そう言って受け取るのですか?」
「や、もらわないけど」
なんか下心ありそうで、不気味だもん。
「陛下でも?」
「儀式とかならもらうしかないと思う。でも、基本高価なものは受けとりたくない」
「ならどうして、今受け取ったのですか?」
変な男だな。
プレゼントしておいて、なんでもらうんだって聞くのは妙だ。
本当はもらってほしくなかったのかしら?」
これってもしかして、なんかの試験?
悲しいけれど、生まれてこの方、男性に高価な物をもらったことないのよね。
うーん……。
「ジークフリード……だから?」
言った瞬間、ジークフリードに椅子越しに抱きしめられた。な、なんだいきなり。なんか今、私、ジークフリードが感激するようなこと言った?
おまけに首が痛いのに、顔を横に向けられて口付けられる。
でもジークフリードはいつもの冷静さをぶっとばして、感情のままにキスをするのをやめない。
苦しい苦しい苦しい!
首痛い!
やっとキスから開放されたと思ったら、締め上げ地獄が待っていた。
ん?
なんか……、ジークフリード、身体が震えてる?
「鈴……、鈴! 鈴っ…………!」
囁いては頬に口付けるジークフリードに、戸惑ってしまう。いたく感激して喜んでいるけれど、一体何が彼をそこまで感激させているのかな?
テレジアさんの方を見たら、なんと彼女も涙ぐんでいる。
何なのよ一体!
「あ、の。……ジークフリード?」
「……なんですか?」
僅かに湿り気を帯びさせた声で、肩に顔を埋めたジークフリードが返事した。
「過去に同じようにプレゼントして、突き返されたりしたの?」
「いいえ」
「じゃあなんで……」
ようやくジークフリードは私を離し、私の両肩をゆっくりと撫でた。頭に口付けをされる。
「貴女はわからなくていいんです。すべて私の都合ですから」
「都合?」
「はい」
ジークフリードは目配せをして、テレジアさんを部屋から退出させた。
ちょっと、今夜するつもりじゃないでしょーね。ダンスで全身筋肉痛だから困るよ。
私の座っているテーブルの向かい側につき、ジークフリードは夕食は食べなかったくせに置かれているお酒のボトルを持ち、手酌でグラスにお酒を注いだ。琥珀色のそのお酒は、甘いけれどかなり強いお酒で、テレジアさんがジークフリードのために置いていったものだった。
ジークフリードはグラスのお酒を煽ってたちまち空にし、再び注いだ。
お酒に強いんだろうな。私は全くダメだけど。
「……鈴」
「何よ」
「実は、リン王妃がもうすぐ目覚めそうなんです」
「え? 本当っ!?」
それは朗報だ。ここへ来てほぼ一ヶ月経つけれど、思ったより早かったな。
私が来る必要はなかったんじゃないかな。
「なんでそれがわかったの?」
「陛下の呼びかけに、なんとなしに反応されるそうです。まつげを震わせたり、指先を動かしたり」
「へえ……」
ノートが終わるまで帰るのは無理だと思っていたから、とても嬉しい。でも、ジークフリードの顔は晴れなかった。さっきのあの歓喜? は何だったんだってくらい、沈んだ目をしている。
「おそらく、数日後にはお目覚めになる」
「そんなに早いの。じゃあもうすぐ帰れるのね」
「しばらくは貴女が必要ですよ。何年もお眠りだったんです。いきなり動けるはずが無い。リハビリが必要です」
異世界でもリハビリって言うのか。……って、違う!
「入れ替わり完了はいつになるの?」
「魔力を注がれながらのリハビリになりますから、大体二週間ほどです。その間、私は休暇をもらい、自分の屋敷で過ごすことになります」
「それも早いわね。休暇ってことは、リハビリにジークフリードが付き合うってこと?」
「そうです」
「ふーん。大変ね」
そこでジークフリードは黙りこんだ。
何か変なこと言ったかな。
ジークフリードはグラスを置き、右腕で頬杖をついた。こんなふうにジークフリードが向い合ってくるのは、初めてだった。あの時以外は、私に対していつも他人行儀な姿勢を崩さなかった彼が、砕けている姿はなんだか新鮮だ。
光石のランプに照らされるジークフリードは、凛々しい爽やかさが漂っている。
どこから見てもいい男だ。
いい男だけど、人を脅迫する最低な男でもある。
国が大事で、異世界人の人権とか考えてない。
マリクにはありがたい人材で、異世界人の私には嫌な人間。
「寂しいと、思ってくれないんですか?」
「寂しい?」
ジークフリードはうなずき、手を伸ばして、私の左手の甲に口付けた。
うわ……! さまになってるけどいきなり何をすんのよっ!
さっきといい、今といい……、どうしちゃってんの?
「私は、寂しいです」
目の前の黒曜石の瞳が揺れた。
ジークフリードの双眸から目が離せない。吸い寄せられるように見つめ合い、ジークフリードの求めてるままに唇を重ねた。
何度となくしている行為なのに、初めてしたような気がするのは何故だろう。
「鈴……」
ぐいと手を引かれ、立たされる。
抱きしめられて、さっきより深く口付けられた。そのままベッドに運ばれて服を脱がされ、ジークフリードも脱いだ。
疲れているのに嫌だと思った私は、もういない。
「これから先、何が起こっても私を信じてください。私だけが貴方の味方です」
ジークフリードは真剣だった。
「ジークフリード?」
「フィンです」
「フィン?」
「これからは、ふたりきりの時はそう呼んでください。フィン、と」
それは誰も呼んでくれない、ジークフリードのもう一つの名前なのだという。
ジークフリード・フィン・マリク・グロスター。
嫌に切なくそう教えられ、胸がやたらと震えた。
何なんだろうこの感覚は。
胸が締め付けられそうで苦しいのに、もっとその目で見つめて欲しいと思ってしまう。
こんな気持はしらない。
誰も教えてはくれなかった。
「鈴……鈴」
「フィン……っ」
熱い熱量が押し入ってきて、たまらなくてフィンの背中に縋った。
「フィン……あ、……あぁっ」
疲れているのに力が満ちてくるのは、フィンの魔力が注がれているから。
ああそうか、だから私を抱いたんだ。
がっかりする一方で、違うかもしれないという私もいる。
違うって、何が?
考えたけど、気づいたらダメだと思い、私は行為にひたすら溺れていった。