白の神子姫と竜の魔法 第22話
ああ、また夢の中だ。
この空間は記憶にある……。
確か、白木さんとオトフリートに夢の中で出会った時、こんな柔らかな空間だった。
ってことは、またあの二人が?
夢の中で肉体を得た私は、立ち上がって周囲を見回した。真っ白な世界が広がっていて、暗くも明るくもない。無の世界だ。暑くも寒くもない。
んー……、私、何で寝たんだっけ? 間違いなく今はお昼のはずなんだけど。ジークフリードはお城だろうし、ジーナは……ああそうだ、お昼過ぎに眠くなったからさがってもらって、寝椅子に横になったんだった。結構疲れたんだよね、お城探検。
誰が呼んだのかなと思っていると、目の前の空気が霧のように歪んだ。それは灰色に滲み、次第に人の形へ形成していく。やがてそれは女の人の姿になった。
なんとなく予感はあった。
「ラン様」
ラン様は、私を見てほっとしたように微笑み、近寄ってきた。
『鈴……。良かった、無事だったのね』
なんとなく違う意味の無事だけれど、私はうなずいた。
おしゃべりするのに立ったままは嫌だなあ……と、思っていたら、この夢はなんとも便利な世界で、横にテーブルセットが現れた。観念がそのまま形になるようだ。私たちは向かい合わせに座った。
「そんなに緊張しなくてもいいのよ」
ラン様は、春に優しく揺れて咲く、淡い色彩の花々のような笑顔を浮かべた。
本当にとても美しい人だ。でも、ジークフリードには全く似ていない。どうも彼は、外見の遺伝子を、すべて黒竜公から引き継いだらしい。まあ、女の人にあの精悍さはいらないよね……。
白木さんも美人だけど、いささかこの人には及ばない気がする。なんだろう……、虹のような淡い色彩が、この人の髪や瞳に塗りこめられていて、それが惹きつけて止まない美貌になっているような……。
ラン様は、上品にお茶を飲んでいる。
ジーナさんはこの人を病気だと言っていた。でも、今のくつろいでいる姿からは、病気などかけらも感じられない。
「……あの、ここへ私を呼んだのは、ラン様ですよね?」
ラン様はうなずいた。
『私は普通の人間だから、様なんていらないわ。でも、そうよ。呼んだのは私』
「……さっきの、あの」
逃げろって言ってたあれについて聞こうとすると、ラン様は、苦しそうに顔を歪めた。
『あの男たちは……、気に入った人間を閉じ込めるの。だから……、執着がまだそんなに強くない間に、この城から出てマリクから他の国へ逃げたほうが良いわ』
あの男たちって。
黒竜公は夫で、ジークフリードに至っては自分の産んだ子供なんじゃないの? 変な事を言う人だ。
「でも。フィ……ジークフリードは、私を助けてくれたんです。私、隣の国のギュンター王子に浚われてて……」
『誘拐されたの!?』
私の言葉にラン様は驚き、持っていたカップを乱暴にソーサーへ戻した。
「というか、妾にされそうになりました」
『とんでもない話だわ! 貴族や王族に、まともな人間なんかいやしない……』
ラン様は静かに怒り、睫を震わせた。
言いたい事はわかる。この世界って、本当に身分制度が徹底してるみたいだもん。罪人として牢に入れられていた時の、あの食事はなかったわ。大罪だったから仕方ないにしても、おなか壊して弱りでもしたら死刑にもできないでしょうに。
でもなあ……。
「ジークフリードは、根は良い人だと思いますが」
『……そうかしら。あの男を、そのままそっくり写したみたいよ。己に逆らう者は、誰であっても容赦はしない冷酷さがあるわ』
うーん、強く反論できないのが辛い。皆、口を揃えてそう言ってたし。
それより、なんだって自分の夫を悪く言うんだろう。
「あの、黒竜公がお嫌いなんですか?」
思ったままを言ってしまい、内心で慌てた。いくらなんでもこんなデリケートな話題を、ほとんど初対面の人に言うってどうよ?
ラン様は案の定固まってしまった。
やばい。あやまろう。
すみませんと言おうとした時、ラン様が先に言った。
「……嫌いなんてものじゃないわ。目の前から永遠に消え去って欲しいくらいよ」
「……え?」
ラン様の目には、黒竜公に対する憎悪が滾っていた。
「でも私は、あの男に呪いをかけられているから、永遠にも近い年月を我慢するしかないの」
激しい負の感情に、今度は私が固まる番だった。
「ご主人なんですよね?」
「違うわ!」
激しく横に頭を振り、ラン様は泣き始めた。その涙は黒真珠に変わって下に転がった。うわ、なんだこれっ。夢だからなの?
「無理矢理よ。付き合っていた恋人はあの男に殺されたのよ。どうしてそんな男を愛せるの。ああ……忌々しいわ。嫌いよ、嫌い、大嫌い……」
「…………」
恋人を、黒竜公に殺されたのか。そりゃ嫌いになるだろう。
泣きながらラン様は、セットされている髪をかきむしった。この人の中に眠っていた狂気が垣間見えて、背筋が冷たくなってくる。ジーナの忠告を思い出したけど、夢の中ではどうにもならないよね……。
もしかして、現実にも影響するのかしら。そうだとしたら、起きてからジーナに謝るしかない。
泣き続けるラン様を前に、どうしたらいいのか考えあぐねていたら、光がラン様の横に立って、オトフリートになった。
ううううわっ!
「オトフリートさん?」
『お久しぶりです』
オトフリートは、優しげに笑った。そしてラン様の肩に手をかけた。
『蘭……』
『正樹!』
ラン様は、弾かれたようにオトフリートに向き直り、みるみる笑顔になった。そして、ためらいも無くその胸に飛び込んだ。
『ずっと待ってたのよ! どこ行ってたのよ……!』
『ごめんね……仕事が忙しくて。元気だった?』
『元気じゃない。寂しかった』
『うん。そうだね……僕もだ』
オトフリートに優しく頭を撫でられて、その胸に顔をうずめるラン様は、まるで子供のようだ。
……にしても、オトフリートの本名って正樹なの? 人妻のラン様とまるで恋人同士のような……、怪しい雰囲気だな。私、お邪魔虫?
ラン様はそのうちおとなしくなり、眠ってしまった。夢の中で眠るってのが、よくわからない。わからないから深く考えるのはよそう。
ベッドが現れて、オトフリートはそこへラン様を横たえた。
「ラン様、貴方を正樹って呼んだけど……」
『殺された、ラン様の恋人だった男の名前です。私にそっくりだそうで、時々夢の中でお会いして慰めて差し上げています』
「黒竜公にばれたりしない?」
あの人かなりおっかなそうだけど……。
オトフリートは声を上げて笑った。
『私しか、ラン様の精神の崩壊を食い止められないのです。悔しくても我慢するしかないでしょうね』
ラン様が座っていた椅子に座り、オトフリートは私をしみじみと見た。
『鈴、この前とは見違えるようですね』
私は、顔を真っ赤にした。元気になるってことイコール、ジークフリートと寝ちゃったってことなので、こればかりは仕方ない。オトフリートは苦笑しただけだった。
『誰かがパイプになってくれないと、貴女の夢に来れなくて。ラン様の夢に入れてよかった』
そういや、前の時も白木さんが居たなあ。
「魔力があったら、誰でもできそうな気がしますが」
『できるのは神子姫と、竜族でも上級クラスです。恐ろしく体力を消耗しますから、余程必要に迫られない限り、誰もしようとは思いません』
オトフリートは、必要があってここに現れたというわけだ。
ジークフリードはオトフリートに良い感情を持っていなかったけれど、私はどうしてもオトフリートを悪くは思えなかった。敵意や欲という物が、彼からは微塵も感じ
られないからだ。
「私なら大丈夫ですよ? 別に……ジークフリードのものになっても、構わないし」
オトフリートは、深いため息をついた。
『そう言うでしょうね。貴女は、彼を愛してしまっている。でも、それは本当に自分の気持ちなのかと、疑った事はありませんか?』
悩んでいた気持ちをずばりと当てられ、肩がびくっと震えた。
『その気持ちは、本当に自分自身の気持ちかと疑いませんか? 彼の魔法が断ち切れたなら、その想いを確認できたのです。でも今となってはそれも叶わない。成程、ロザリン姫はジークフリードを想って、気も狂わんばかりでしたからね』
ロザリン姫。
その名前が出て、彼女について何も知らないのを思い出した。
「ロザリン姫について、オトフリートさんは詳しいの?」
『幼馴染でしたから』
「……彼女について、教えてくださいますか?」
オトフリートは神妙な面持ちでうなずいた。
『彼女は……とても美しく、そして愚かだった……』