白の神子姫と竜の魔法 第26話
翌朝、妙な色の飲み物を、シャルロッテに手渡された。
クリスタルのグラスに入っているそれは、白色に七色の虹が混ざっているような、見かけは上品で美しいけれど、口にするにはかなり躊躇う色彩を放っている。
何の添加物が入ってるんだこりゃ……。
「何よこれ?」
「ご心配なく。別に貴女様を操るとか、眠らせるとか、そういった類の飲み物ではございませんわ。殿下より、それを飲まない限り外出は許可しないとの仰せです」
なんていう交換条件だ。卑怯者!
匂いを嗅いで見ると、妙に甘ったるい。砂糖でも蜂蜜でもなく、花の匂いのような……。何かに似てると思ったら、洗顔料っぽいんだよ。もしくは、洗髪料でも通じるよこれ。
新手の嫌がらせか?
ちらりとシャルロッテを見ると、ふんと彼女は鼻で笑った。
「お疑いのようですが、本当にそれを飲まれませんと、外出のお支度ができかねましてよ?」
……媚薬とかじゃないだろうな?
シャルロッテの背後に控えている侍女二人は、外出用のドレスを持って待機している。どうやら本気で飲まないと駄目らしい。むっちゃくっちゃ飲みたくないけど、これは水だと思って一気飲みした。
そして思い切り後悔した。物凄く甘い。甘すぎる。砂糖にキャラメルソースとチョコレートと蜂蜜をぶっ掛けたぐらい、甘い!
水を要求すると、存知顔のシャルロッテが、水の入ったグラスと空のグラスを交換してくれる。舌に残った激甘い味が、だいぶマシになった。まじでなにこれ……。
あれ……? 身体が楽になった。
「さ、お支度を」
きょとんとしている私に、どことなく不快な表情を浮かべながら、シャルロッテは侍女二人に私の支度を命じた。
貴族の子女がよく着る様な、品のいい、動きやすいドレスを着させられ、鏡台の前に座る。
「あ……」
顔色が、先ほどより格段によくなっている。
…………。
まさかさっきのあれ……、誰かのほにゃららじゃないでしょうね。
いやしかし、あれはイカ臭くて、激にがいと言う話だし。
じゃあなんなんだろ。
化粧を施されながら、ぐるぐる考えてみる。考えれば考えるほど、嫌な答えにしかたどり着かない。
止めよう。
私の精神安定のためにも。
支度を終えると、ギュンター王子がやってきた。私と同じような、貴族が身をやつしたような格好で、驚くべき事にオトフリートが居た。
「なんで居るの?」
「供に呼ばれましたので」
この人、マリクの人間ではなかったかな? なんで、アインブルーメの王子の命令を、聞いてるんだろうか。もう一人のお供は、まだ中学生にしか見えない少年だった。ギュンター王子と同じように、剣を腰に帯びている。
「そちらは?」
「弟のエリアスです。殿下の親衛隊に所属しております」
オトフリートに促され、エリアスは無表情に頭を下げた。なんか暗そうだ。
「飲み物をきちんと口にされたようで、よかったです。身体が楽になったでしょう?」
二人で親密に話し合うなといわんばかりに、ギュンター王子が会話に割り入ってきた。
あれは何でできているのか聞きたかったけれど、もしもあれだと言われたら立ち直れないから、飲まなければ外出できなかったからとだけ答えた……。
館の出口で馬車に乗り、王宮の外へ出た。久しぶりの屋外に、溜まっていたストレスが、さあっと霧が晴れるように消えていく。
アインブルーメの王都は、活気があってにぎやかだった。皆笑顔だし、服装も華やかだ。路地裏っぽいところを通りかかっても、浮浪者などの影はない。ただの平民の生活といった風景が、広がっているだけだった。
「綺麗ね」
「戦争がここ数百年ありませんから、平和そのものです」
ギュンター王子は誇らしげに語る。変態だけれど民を思いやる、王族にふさわしい一面をちゃんと持っているらしい。
逃亡計画の地図のため記憶しておきたいのに、町の区画が思ったより入り組んでいて覚えきれない。おまけに似たような家が多く、目印になるものが見当たらなかった。あるとすれば東側にある神殿だけだ。でも、それも街中に埋まるように建っているので、そこから先の目印には頼りない。見える山もはるか遠くにそびえ、これといった特徴もないなだらかな形で、記憶に残すには難があった。
「有事に備えて、三百年前に町を大掛かりに変えたのです。当時のアインブルーメはマリクの属国扱いでした。でもその後、こちらに光の神子と影の神子が降臨しましたので、立場をなんとか平等にできました」
「それだけれど、黒竜公の奥様も影の神子だし、しら……マイさんも影の神子よね? 一体、何人居るわけ?」
「三人です。神子の降臨は二種類あります。ひとつはいけにえを捧げての人為的召喚。もう一つは、何もなしていないのに召喚される自然召喚です。黒竜公の奥方は人為的召喚で、リン王后とマイ殿は自然召喚でした」
「どちらが神子としての力があるの?」
「差はありませんが、自然召喚の方がこちらへなじみやすいようです。大体が、元の世界に未練がない女性なようですから」
そうなんだ。
黙っていると、ギュンター王子は苦笑した。
「本当ならば、常に二人しか世界に存在しない。黒竜公の奥方は、黒竜公の呪いを受けているので、長命なんですよ」
ギュンター王子の隣に座っているオトフリートが、とても苦しそうな顔をした。そういや彼、どうやってラン様と知り合ったんだろう……。
話している間にも車窓は進み、街を抜けた。
「どこに向かっているの?」
「貴女は美しい景色をお求めなようだから、見晴らしのいい丘へ向かっています。ああ、あれです」
見ると、馬車で三十分ほどかかりそうなほどの距離に、小高い丘が見えた。
マリクと同じで、街を抜けた途端に、のどかな田園風景が広がっている。一面の景色は緑豊かで、栽培されている野菜や穀物はすくすくと育っているようだ。
この国も、とても豊かなんだ……。
「先代の影の神子姫は、荒地の開墾に力を入れてくださった方です。元の世界で、同じような仕事をされていたんだとか」
「へー……」
なんとなしに車窓から空を見上げた。
ん? 何かが飛んでる……。鳥にしては長すぎる。…………蛇? いやいや、蛇が空を飛べるはずがない。よく見ると手足がついていて、翼がゆっくりと羽ばたいている。
あれは……竜?
「竜がどうして飛んでいるの?」
ギュンター王子に聞くと、王子はくすりと笑った。
「不届き者を捕らえるためです」
「不届き者……って」
足を組み替えて、王子は首を傾げた。
「わからないふりをなさっているのでしょうか? 貴女を奪還しようとする、不届きなやからをおびき出しているのですよ。あまりに隙だらけにすると、見え透いているでしょう? ある程度は警戒している風を装っているんです。ここはアインブルーメで白の竜族の領域。黒の竜族の好きにはさせない。そうだろう? オトフリート?」
「……はい」
オトフリートは固い面持ちでうなずき、私と目が合うと、さっと視線を外へ逸らした。
……なんなんだ、一体。
「近々、貴女との結婚式を華やかに催そうと思っています。したがって、各国から来賓を呼び寄せる事になる。マリクももちろん招待しますよ」
「結婚って……」
「あと半年ほど、待たなければなりませんが。ふ……、ロザリン、貴女はとても美しい花嫁になるでしょうね」
「花嫁って、冗談でしょ? 貴女、沢山側妃がいらっしゃるじゃないの」
「子供は沢山いるほうがいいですから」
何言ってるの。ていうか、すでにいるのか!
「愛しているのは貴女だけです。後は皆、王太子は規則として五人の妃を持たなければならないという、因習に従ってつけているだけですよ」
「シャルロッテも?」
「あれは妃ではありませんが。一人くらいは、子供を生ませてもいいかもしれませんね」
……なんだこいつは! 女性を子供生産機と勘違いしてないか?
でも、きっとそれは、王位継承者が、過去の戦乱で次々と死んだ名残なのだろう。戦いは人の殺し合いだ。アインブルーメ王族は、何度も滅亡の危機に瀕したはずだ。そのためには王族が多いほうがいい。王座を巡る簒奪劇があっても、絶対王政のこの国では、滅亡よりははるかにマシなんだろう。それはマリクも同じで、リヒャルト国王も妃を何人も囲っていたし。
どちらにしろ、世界の倫理観にはついていけないなあ。
ジークフリードは、もてるけれど、浮気者ではなかった。
うん、やっぱりジークフリードが一番だ。
…………。
早く逃げなければ。
このままでは、ギュンター王子の后にされてしまう。
だけど、どうやって?
丘に到着して、馬車から降りた私の頬を、少し強い風がさらっていく。空は雲が流れて、その合間を何匹かの白の竜が飛び交っている。
「美しい……、私のロザリン」
うれしそうに、ギュンター王子は私の頬に口づける。
「私は鈴よ」
「いいや、ロザリンだ。ロザリン以外の何者が、私を夢中にさせられるというのだ?」
逆らえない王者の瞳で、ギュンター王子が私を見据える。
「……私がロザリンならば、貴方を愛さない事も知っているでしょうに」
ロザリンが愛したのは、ジークフリードだけだ。
果たして、ギュンター王子は哄笑した。
「そんな事、言われなくてもよく知っているよ」
「知っているのなら……」
「ロザリン」
用意された椅子に私を座らせ、見上げる私にギュンター王子は言った。
「それでも貴女は、今度こそ私と結婚するんだ。必ずね」
そう言って、私の手の甲に口づける。
初めて、心の奥底から、ギュンター王子を恐ろしいと思った。
その時、そんな私をじっと見つめるオトフリートに、気づく余裕はなかった。