宇宙を映す瞳 第05話

 華の両親の家は、星都の東の住宅街の一角にある。この辺りは海衣の屋敷のような大きな建物はなく、至って普通の二階建ての家々が立ち並んでいる。

 雲行きが大分怪しくなってきており、今にも雨が降りそうな重たい空だ。

 帰省に喜ぶ両親に、華は転属の話をした。すでに敏行は知っていたらしく驚かなかったが、母の香子は取りみだした。

「宇宙軍の親衛隊というのは男ばかりのところでしょう? 大丈夫なの?」

「士官学校だってそうでした。同じですよ」

 安心させるように華は言った。それにどこだって男だらけなのは、事実だ。

「学校と軍隊は違います。貴方、こんなことになって……」

 香子は責めるように敏行を見る。敏行は難しい顔をして腕を組み、顔を横に振った。

「瀬川准将の強い要望だったからな。逆らえんよ」

 それですよと香子は言い、悔しそうに口元を歪めた。

「誠実な子だと思っていたのに、とんでもない思い違いだったわ。あんな男に華をやらせるなんて……! 結婚はなかったことにしましょうよ、貴方」

「式の日取りも決まったのに、いまさら解消なんでできるわけないだろう」

 敏行に言われ、香子はかっとなって怒った。

「貴方って人は! 華がかわいそうだとは思いませんの? この子は女なんですよ」

「軍に入ったからにゃ、上官の命令は絶対なんだ。男も女も関係あるか」

「これだから軍人なんて生き物は嫌なのよ! だから反対したのにっ」

 ついに香子はわあわあ泣き始めた。彼女は士官学校へ華が入りたいといった時、猛反対していた。

 しかし華は海衣に夢中で、少しでも近くにいたいと必死だった。それは初めて会った幼い日から変わらない。だから必死に勉強して士官学校へ入学したし、女である事をからかわれながらも、男たちに混じって訓練した。配属先が陸軍の後方勤務でも幸せだった。フィアンセになれた時は天にも昇る心地で、しばらく仕事が手につかないほどだった。それ程、華は海衣を慕っていたから、母に悪くは言われたくなかった。

「とにかく、当分は家へ戻りません。明日から任務が始まりますのでもう帰ります」

「そうだな……」

 華に替わって、敏行が香子を宥めるように抱きしめた。おいおいと泣き続けている母の代わりに敏行が言った。

「華、身体は大事にな……」

「はい」

 差し出された手を握り、華は笑った。

 敏行にはわかっているのだろう。娘はいきなり最前線へ狩り出されたのだと。よりにもよって最愛のフィアンセの要望で……。

 香子の海衣への糾弾は、より華を傷つけてしまう事を。

 

 華は、両親に別れを告げて自動タクシーに乗り、自分のマンションへ向かった。流れる風景を見ていると携帯電話へ着信があり、華は耳に付けているピアスを操作して電話に出た。ピアスが携帯電話になっているのだ。

「如月です」

『川崎だ』

 耳元で先ほど別れたばかりの男の声が響き、華は下品にも舌打ちしたくなった。自分を嫌っている男の声など、好意的に聞けるはずもない。もっともそれは相手も同じだろうとすぐに思い直した。私情をいちいち挟んでいたら、それこそ海衣に迷惑がかかる。

「御用は何でしょうか」

『君のアドレスに、これから先の日程を送っておいたから確認しておくように。あと隊長から伝言を預かっている。渡すものがあるから、瀬川邸へ戻るようにとの事だ』

「了解しました」

『言い忘れていたが、雪様の公務以外の外出時、我々は私服で護衛する。服はあるか?』

「あることはありますが……」

 私服で任務に就いたことがないと、華は語尾を弱らせた。そうだろうなと川崎は言い、電話の向こう側で押し黙った。親衛隊隊員には華以外に女性が居ないので、川崎も考えあぐねているのだろう。

「動きやすい格好でしたら、特に問題はないですよね?」

『それはそうだが。とりあえず隊長に確認してもらえ。そちらの方が正確だ』

 確かにそうだ。

 川崎はさらに細かいあれこれを華に確認してきた。話しているうちに華は疲れてきた。川崎は以外にも世話好きな男らしい。

 この手の人間は几帳面で完ぺき主義が多く、何から何まで把握していないと我慢ができないタイプだろう。自分に厳しく他人にも厳しいという、厄介な性格というおまけまでついていそうだ。

『では明日』

 通話が切れると、華は、タクシーの背もたれにぐったりと凭れた。

 下っ端からスタートだから、そんなに顔を合わせないと思っていないのは間違いかもしれない。この調子だとずっと貼り付かれそうだ……。

 瀬川邸に戻り、華は那美夜と一緒に厨房で早めの夕食を取った。那美夜も華の親衛隊入隊を知っており、海衣が居るから大丈夫などといって華を慰めてきたが、華はそれに対してあいまいな表情でうなずくしかなかった。弾除けに入隊させられたなどと、口が裂けてもいえない。

 結婚の話で浮かれた昨夜の華はもう居らず、その話はどこかに吹き飛んでしまっていた。

 海衣は仕事をしていて、部屋に入れそうもなかったため、華は手持ち無沙汰になった。これといって趣味がないので、時間をつぶすこともできない。親衛隊について調べてみても良かったが、あの川崎の態度だと、明日になれば嫌というほどわかるだろうから調べる気にもなれなかった。

 那美夜にねだって用意してもらった、使用人達の部屋の畳にごろりと転がると、心が落ち着く……。

 そのままだと寝てしまいそうになるので、華は海衣について考えた。

 海衣の立場はそうとう厄介なものだ。

 死傷者が出るほどの万青正后と雪との確執は、地球人には全く知らされていない。完全な報道規制が行なわれている証拠だった。おそらく、すべてが表沙汰になったら、暴動が発生しても不思議ではないくらいの密約が、万青と地球連邦上層部に結ばれているのだろう。そんな事は地球人なら誰でも知っているが、それだけで、内容に触れる事は叶わないので、誰もが知らぬふりをしている。内容を知らないからそんな暢気でいられるのだ。

 万青では、宗教を信じるものは野蛮人だという。

 華は普通の仏教徒で、特にそれを野蛮だと思った事はない。普通に信仰して、教えをまもっている。同時に日本の神も信仰している。それらは至って当たり前のように存在していたので、それを不思議に思ったりしたことはない。キリストを信じる人もいたし、アラーを崇拝する人もいる。宗教を戦争に利用する人間は野蛮だと思うが、純粋に幸せの為に信仰している人を野蛮とは思わない。言う方がおかしいのではないか。

 他星人を貶めるような、そして殺人もいとわないような心根こそが、野蛮というべきだろう。

「結局は、己が一番可愛いという人間が、一番野蛮だわ」

 華はそう結論付けた。

 ちょうどその時、海衣が呼びに来た。

 

 海衣はいつもと変わらない優しい面持ちで、華を迎えてくれた。何故か雪も居て、その美しさを目にした瞬間に、思い出したくもないのに川崎の姿が頭の中に浮上した。何故今思い出したのかわからないが、それほど二人はよく似ていた。

 何らかの血縁であることは察せられたが、今はそれについては言えるような雰囲気ではなかったので、華は思っただけで口にはしなかった。 

「華、辞令は受けたね? 雪様に挨拶を」

 海衣が言う。

「はい」

 華は雪に向き直り、きっちりと頭を下げた。

「雪様、至らぬ身ですが微力を尽くします。よろしくお願いします」

「お前はそんなふうに言えるのだな」

 馬鹿げたことに雪は感心している。猿扱いされているのは本当らしい。早く出て行きたくて、華は海衣を促した。

「お話があると、副隊長から伺いました」

「これだ」

 差し出されたのはあのV-DKW9だった。やたらと小ぶりで優美なフォルムだったので、よく覚えている。

「ずっと華に所持してもらいたい」

「ここでは……」

「構わない。むしろ盗聴されたいぐらいだ。この銃は華にしか扱えないのだと」

 華は話の前半部分には同意し頷いたが、後半部分についての疑問を口にした。

「まだこれは、開発途中だと伺いましたが」

「お前が撃つまでは、故障か未完成だと思われていたからな。だが、それは間違いであると結果が出た」

 雪が何故か説明を始めた。

「間違い……ですか?」

 雪から海衣へ視線を転じると、うなずいた海衣から銃を手渡された。

 この銃は、特に重たいわけでもなく、照準がぶれ易かったり反動がきつかったりすることもなかった。むしろ今まで扱った銃の中で、一番扱いやすい部類に入る。レーザー式なので手入れが格段に楽だったし、何より軽い。

「お前のほか四名に撃たせてみたのだが、何故か外れたり、バッテリーが故障したりした。どれだけ直しても故障が起きたのだ。使えない銃かと思われたので、これの開発は止めようとした時、お前がこの銃で撃った」

「まさかそんな」

「事実だ。俺が撃っても海衣が撃っても同じだった。皆壊れてしまう」

「…………」

 にわかには信じがたい話だ。疑うのなら、試しに出力を最小に押さえ、部屋の隅に置かれているゴミ箱を撃てと言われて、華は撃ってみた。普通にそれは当たった。あのゴミ箱は、あとで那美夜に怒られそうだ……。

「普通ですね」

「貸して」

 海衣に言われて銃を渡す。海衣が同じようにゴミ箱を撃とうとすると、トリガーが故障して引けなくなっていた。苦笑と共に銃を返されて、華がもう一度撃ってみると、トリガーが普通に引けて当たる。今度は雪に渡してみた。するとトリガーは引けたが、バッテリー切れの状態になってしまった。再び受け取って撃つと、バッテリーは通常に戻って普通に撃てた……。

 華は、何だが気味が悪くなってきた。

「なんですかこの銃は。男性差別でもしているのですか?」

「いや、女性にも試射してもらったが、同じだった」

 信じられないが、本当に華にしか撃てないらしい。

 雪が、気味悪がっている華をおかしく思ったようで、くっくと笑った。

「その銃は、お前にしか扱えないから、HANAと言う名にしよう」

 自分の名前の銃などぞっとしない華だったが、黙って受け入れた。面白がられてフルネームにされるよりは遥かにました。

「いつ使用すればいいのですか? 万が一の時に故障したら、任務に支障をきたします」

「ああ、それは使用する時が限られている。普段は普通の銃を使用しろ。だが、常に肌身離さずな」

「了解しました」

 そんなに重くないし大きくもないので、腰につけていればいい。

 海衣と雪は、ほっとしたようだった。

「では俺は部屋に戻る。二人で過ごすがいい」

 そう言って立ち上がって部屋を出て行く雪に、華は心底驚いた。あの宇宙港の時の意地悪振りは、なんだったのだろうか。

 くすくす笑う海衣に華は振り返った。

「地球では馬に蹴られて死ぬ行為だと、お教えしたんだ」

「はあ……。びっくりしました」

 雪にそんな配慮ができるのが驚きだ。王子なのだから海衣にべったりで、彼を独占するのだとばかり華は思っていた。

「雪様はお優しい御方だよ。本当ならあの方こそが万青の王に相応しい」

「海衣様」

 優しい笑みを浮かべていた海衣の顔が、厳しいものに戻った。そうだったと華は思い直す。今までのような気持ちで海衣に接してはならない。これから先は隊長と一隊員に過ぎないのだと。 

「華。親衛隊は厳しいが、負けないでほしい。できるね?」

「はい」

 雪の優しさに、海衣は甘んじようとはしてくれなかった。

 こんなに近くに居るのに、海衣は昨日のように手を伸ばしては来ない。華はそれが寂しくて仕方なかったが、心に押し込めて封印をした。

 唯一つ、どうしてもこれだけは聞きたい。

「海衣様、結婚はなしになりますか?」

「それはありえない。だが……」

 何かを言おうとするのを、華は止めた。それさえわかっていたらいい。それだけで自分は何があっても耐えていける。

「明日は早いのでもう寝ます。おやすみなさい」

「……おやすみ」

 外は雨に変わっていた。

 激しく叩きつける雨は、縁側の特殊ガラス戸を叩きつけて、滝のように流れている。

 明日にはやむといいのだが……。

 華が部屋を出て行った後、海衣が辛そうにうつむいたのを、華は知らない。 

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