宇宙を映す瞳 第06話

 華が雪の親衛隊に入隊し、二ヶ月が過ぎた。
 親衛隊での生活は、想像以上にハードだった。
 新任が古参にこき使われるのは、どこに行っても同じなので華は気にしていなかったのだが、軍事訓練が陸軍と勝手が違い、これに大いに手を焼いた。  陸軍所属だった華は、宇宙空間における作業や、宇宙戦艦内戦闘においての訓練をほとんど受けていなかったため、訓練についていけず、何度も上官から叱責を受けた。それらの訓練は士官学校でも受けたはずなのだが、より実戦状態に模擬したそれは、華の肉体に特別に重い疲労をもたらしていた。特に無重力下における三半規管の狂いは耐え難く、宇宙小型戦闘機の戦闘訓練では、無重力に加えて、くるくると視界が回転したり、曲線を基本とする飛行のため、車酔いや酒酔いよりも酷く酔ってしまい、訓練後は何度も吐いた。
 吐かなくなったのは、本当につい最近だ。


「あー……、今日もしごきがきつかったな、如月、お前大丈夫かよ?」
「……なんとか」
 一緒に装甲服を片付けながら、同じ少尉の三澤が気遣ってくれる。三澤は華より五年後輩にあたり、士官学校で主席卒業のエリートだ。
「ふらふらだぞ?」
「やべえわ。お前、ここは俺たちがやってやるから、早く寝ろよ」
 一緒になって気遣ってくれるのは、三澤と同期の野本と加納だ。彼らは、同期トリオと呼ばれている。そのままの呼び名だ。ちなみに階位は華と同じ少尉である。
「……大丈夫。それに、女だからって優遇しなくてもいいの。四人でやったほうが早いし。それとも何か? 私、足手まとい?」
 華がじろりと睨むと、二メートルを越す巨体の加納が慌てた。
「いやいやいやそんなことはない! お前、すげえもん。女だてらに巨斧平気で振り回すし、射撃も百発百中だしよー」
「そーそ。さっきの雨宮の陰険野郎の喉を丸槍でぶっ刺した時、胸がスカッとした奴一杯居るぜ?」
 野本がうんうんと言いながら付け足す。こちらはひょろっとしたもやしみたいな体型だ。  それは、先ほどまで行なわれていた、戦艦内での模擬戦闘訓練での話だ。殺傷能力はないが、それでも相手を昏倒させる程の威力を持っている武器を渡されて、隊員たちは四つのグループに分かれて戦う。
 華は、先が丸くなっている槍で、装甲服の上から雨宮中尉の喉を突き倒した。あれはまったくの偶然だと華は思っている。たまたま、加納が援護で雨宮の足元にレーザー銃を放って床に転がっていた銃を転がし、それを雨宮が避け損ねてくれたから華は攻撃できたのだ。
「あの野郎。射撃だけが取り柄だったのにお前に負けてから、いっつも目の敵にしてやがる。女にいきなり腹筋と腕立て伏せ500回とか、ありえねえわ。俺たちでも大変だってのに」
 それは華も覚えている。最初の訓練でそれをさせられて、華は死ぬ思いでそれを消化した。かろうじてやりとげた華が面白くなかったらしく、雨宮はそれ以来何かと言い掛かりを付けたり、あれやこれやと用を押し付けてくる。
 
 他の三人も同じ目に遭っていて、雨宮を嫌い、彼のことを陰険中尉と呼んでいる。そういうことから、模擬戦闘の華の快挙は、三人にとって格好のうさ晴らしだったというわけだ。  すべてを片付け終え、副隊長の川崎に四人揃って報告し、やっと夕食にありついた華は静かにため息をついた。この二月で華の体重は六キロも減少した。
(それにしても……本当に疲れるわ)
 下っ端の華は、隊長の海衣には新任の挨拶で会ったきりだ。遠目では何回も見ているが、当然声をかけられず、さらにそれまで三日に一度はあった電話も無くなったので、寂しくて仕方がなかった。
 当初、海衣の婚約者だから入隊できたのだと白い目で見られ、今では仲良くしてくれるこの三人も、かなり距離を置かれていた。いじめこそはないものの何かにつけ目を付けられては、口汚くののしられたり、恐ろしいほどしごかれて、宇宙訓練以外でも何度もトイレへ行って吐いていた。
 隊に慣れて、ようやく訓練についていけるようになった今、雨宮以外の隊員は、表向きでは普通に接してくれるようになり、下っ端仲間のこの三人は特によくしてくれる。何しろ女は華しかいない親衛隊だ。ある程度はかばってくれる人間が居ないと、寝こみなど襲われたらやっていけなくなる。実際何度も襲われかけ、その度に華はかろうじて逃げていた。
 女性の権利が強くなった現在では、民間の女性なら公に訴えるだろう。だが華はそれを決して言わなかった。海衣が責められるのが目に見えていたからだ。自分のせいで海衣の立場が悪くなるのは、華には何よりも耐えがたい事だった。
 三澤が言った。
「明日は北海道に移動だ。寒いぞ」
「宇宙に比べりゃ暑いだろうよ」
 野本がちゃかす。華と加納は笑った。しかしそれはすぐに治まり、加納が、ふうと息をついて、フォークを置いた。
「王子はやたらと旅行されたがるが、一体何なんだろうな」
 移動のたびにこきつかわれるため、加納は不服顔だ。それには華達も同意見だ。加納はその巨体もあって力持ちで、移動のたびに大荷物を持たされている。華達も手伝うが、さすがに加納ほどの膂力はない。運搬ロボットがあるといっても、最後には人の手が必要になる。そして、そういう雑用はすべて新任下士官の仕事なのだ。
「ここだけの話、雪様は危険をかわすために、ひっきりなしに移動されているらしい」
 声を潜めた三澤の一言で、三人はしんと静まり返った。
「同じところに居ると、命を狙われやすくなるだろう?」
「地球へ来ても変わらないのか」
 野本が舌打ちしながら言う。
「変わらないらしいな」
 海衣が言っていた、雪が命を狙われている話は、親衛隊の中では周知の事実だ。隊の外には漏れていないようだが……。
「総督府で執務を取られるようになったら、それこそ激務だな」
「ああ」
 華は黙って、疲労回復剤入りの野菜ドリンクを飲んだ。いつも腰に呑んでいるHANAが重く感じる。  雪は総督に就任したものの、まだ仕事らしい仕事をせずに、あちこち旅行しまくっている。それらは旅行に見せかけた視察であるのを、華は知っていた。仕事ではない物見遊山を、あのお役目大事の海衣が許すはずが無い。


 寄宿舎になっているホテルの一室に戻り、華はどっとベッドに倒れ伏した。このまま寝てしまいたい。そう思ってまどろんでいたら、携帯電話が着信した。だるい指先を操作してピアスに触れると、母親の香子の声が飛び込んできた。
『華。やっと繋がったわ。今どこなの?』
「新潟のホテルだけど……。何? 眠いんだけど……」
『もう! 毎日電話しなさいって言ってるのに、一向に電話してこないから、こうやって私からしてるんじゃない』
「あのねお母さん……」
『お父さんだって心配してるのよ。親衛隊はどう? いじめられたりしていない?』
「…………」
 面倒くさい。
 どこの隊だって、新任がいびられるのは同じだ。そんな事をいちいち報告する軍人が居るだろうか……。
『聞いてるの華!?』
 駄目だ。もう眠くてたまらない。明日も朝は四時起きだ。
「……聞いてるよ」
『瀬川様は大切にしてくださる?』
「してくださってるわ」
 会ってもいないがと内心で付け加える。香子はさらに何かを言っていたが、眠くてたまらない華は、そのまま眠りに落ちた。
 香子は華の返答がなくなり、寝てしまったのを文句を言いながら、通話を切った。
 そのあと、携帯電話がふたたび着信した。
 軍関連のメロディではないので、華は起きなかった。その呼び出し音は何回も鳴り続けた。数分をおいてまた鳴る。音量がかなり大きい上、ピアスのそれはかなりうるさいにも関わらず、疲れきっている華は深い眠りに入り、電話に出ない。
 普通ならば着信記録となって残るが、相手方の配慮でこの二月あまり残らないままで、華は発信相手にいつも放っておかれていると寂しく思っているのだった。
 母親の香子の伝言で埋め尽くされるのを避けるため、プライベートの伝言を受け付けない設定にされている。伝言でもあれば、華はもっと海衣を信じていられるのだが……。  翌日、四時に起きる予定だった華は、四時をとっくに過ぎて、ディスプレイが四時半を指しているのを見て飛び起きた。大急ぎで着替えて、ホテルから車で十五分ほどの距離にある、早朝訓練が行なわれる軍の訓練所へ行き、出勤記録をつけていると、先に来ていた三澤が身体は大丈夫かと聞いてきた。
「ごめんなさい。目覚ましが鳴らなくて」
「いや、いいんだよ。俺たちがわざと鳴らさないようにしたんだ。お前、顔色悪いからな」
 そのアラームは、三人の部屋だけに設定されているものだった。グループごとに起床時間が変わるのだ。設定はおのおののグループが行なっている。
 寝坊したのは、どうやら三澤たちの配慮らしい。それなら前日言ってほしいものだ。
「それより気をつけろよ。あの陰険中尉、何か良からぬ事企んでるらしい。野本が聞いたんだ。あの小生意気な女に鉄槌を食らわせてやるとか、ほざいてたそうだぞ」
 早朝訓練に使う武器の重い箱を運搬しながら、三澤が耳打ちした。
「……何それ」
「恥をかかされたと根に持ってるのさ」
 華は、同じ箱を肩に持ち上げた。軍倉庫から訓練所までの細い廊下には自動カートが入らないため、いつも華達が運び込む。怪力の加納は、その重い箱を左右の肩に二つずつ運んでいく。
「気をつけろとしかいえない。ごめんな」
 三澤が謝る。華は横に首を振った。三澤が悪いわけではない。どんな報復だろうかと考えたが、思いつかない。第一考えている暇はなかった。華たちは箱を運び込むと、訓練所の掃除を開始した。  そんな四人を、浅黒い顔色の雨宮が物陰からそっと覗いて、暗い笑みを浮かべた。
「よし……。今に見ていろよ小生意気な女め」
「何の話だ?」
 雨宮の背後に、いつの間にか厳しい目で自分を見ている川崎がいた。いつからいたのか、足音がしなかったので雨宮は気づかなかった。親衛隊はその役目上、足音を立てないように歩く訓練をしている。また、気配を消す事も。
 川崎は人一倍その能力に長けていた。
「いえなにも。こちらの話です」
「そうか。お前たちのグループはもう直ぐ交代の時間だ。早く行け」
 雨宮は足早に立ち去り、川崎はその後姿を見送った。訓練所内では、華達が一心に清掃している。統率が見事に取れていて、彼らの優秀振りがうかがえる。
 しばらくそこに居た川崎だったが、やがてその場を立ち去った。