天の園 地の楽園 第2部 第10話

 恵美が気づいた時には、キャデラックはすでに東京に入っていた。夜明け前の薄暗闇に見覚えのあるビル群が見えて恵美はびっくりし、隣で自分を面白そうに眺めている圭吾にも驚愕を隠せない。信号で車が止まった拍子に降りようとしたが、ロックがかかっていて無理だった。
「私をどこに連れて行く気!」
「……目覚めたらそれか」
「こんな事をする人だとは思ってなかったわ!」
 圭吾が鼻で笑った。
「私の非道ぶりは貴明が言っていたと思うが?」
「…………」
 確かに貴明は圭吾をとても嫌っていて、だからこそ恵美につきっきりでいてくれたのだ。それなのに恵美はそれを軽視してこんな事になってしまった。今頃貴明は大探ししているだろう。連絡をしようとした恵美は、ジャケットに入れてあった携帯端末が無くなっているのに気づいた。
「携帯端末なら捨てた」
「どうしてよ!」
「貴明にああだこうだ言われるのがうるさいんでな」
「あたりまえじゃない。教授の知りあいだなんて人を油断させて……」
「それがお前の馬鹿なところだ。あの教授が騙されているとは思わないのか? まあわざとだまされているのかもしれないが、私には知った事ではない。利用するものは利用させてもらう、当たり前だ」
 反対側の窓にしがみ付いた恵美を気にする風も無く、圭吾は煙草を咥えて火をつけた。
「……お前、捨て子らしいな」
 恵美はこの時ほど衝撃を受けた経験は無い。誰にも知られない秘密のはずだった。何故なら恵美は、戸籍上でもこの間死んだ両親と実の親子のはずなのだから。
「何を驚いている? お前の両親の本当の子供は、お前が捨てられていた日に死んだんだろう? いわゆるすり替えという奴だ。うまくしたものだとは思うが、その手を突けばすぐに事実が浮かび上がってくる」
「…………」
「お前、貴明にかこつけて、佐藤の家をのっとるつもりだったのだろう?」
「は? なんで私がそんな事をするんです?」
「公子から聞いた。一攫千金だとか言っていたそうだな」
 右腕を捻り上げられ、恵美は悲鳴をあげた。しかし運転席のドライバーは何も言わずに運転を続けている。助けはないのだと恵美は絶望しながらも、反論した。
「何の事だか……わからない」
「男をとりこにするのが上手らしいな。幼馴染も貴明も大学の男連中も、バイト先の奴らも何人も手玉にとって居たそうじゃないか」
「しらない……」
 公子がそんな嘘をつくはずがない、……となると圭吾が嘘をついているのだ。そうに決まっていると恵美は圭吾を睨みつけた。圭吾の目がきらりと光ったところで車が止まった。窓の外にホテルが建っていて、その周りを高い塀が取り囲んでいた。
「旦那様、着きましたが」
「……そのまま裏につけろ」
「了解しました」
 車はそのホテルの玄関口を通り過ぎ、反対側の壁しかない門についた。運転手が携帯端末で何かを言うと、自動的に門が開き、車は塀の中に入った。そこは殺風景な場所で荒れ放題の原っぱだった。ホテルの裏口らしい。
「どうぞ」
 運転手がドアを開けると、恵美は圭吾に乱暴に引きずり出され、ホテルの中に引き込まれた。普通のホテルにしてはなんだか異様な感じがする。何かが違う。そうこうしている内に、コンクリートがむき出しになっている場所から、突然大理石の床の、ヨーロッパの宮殿の様な華麗な廊下に出た。
 やはりホテルなのかと恵美は思いながら、圭吾の手を離そうと必死になっていた。叫んで助けを求めたいのに誰も通りかからない。
「離してっ」
「離してやるさ、ほら」
 圭吾の言う通り本当に恵美は解放された、が、次の瞬間には開けられたドアの中の部屋に突き飛ばされていた。見上げた恵美の目に入ってきたのは、ドアを後ろ手に閉めて鍵を閉める圭吾の姿だった。
「……そこに座れ」
 やたらと豪華な内装の部屋の中央に、ロココ調の華美なソファが置かれていた。どうやらなにやら詰問されるらしい。とにかく相手が納得するまで居るしかないと恵美は腹を括り、その赤いビロード貼りのソファに浅く腰掛けた。
「そこじゃない。こちらに座れ」
 一人掛けに座った恵美は、三人掛け分はありそうなソファに座った圭吾の隣を指された。ハッキリ言ってとても嫌だが、話がすすまなさそうなので我慢して座った。自分は馬鹿だ。こんな暴力傲慢男の何に惹かれたのだろう。あの歴史好きは自分をだますためのテクニックで、それにあっさりだまされた自分に猛烈に腹が立った。好きだっただけに今ではこの男が虫唾が走るくらい大嫌いだ。
「何を怒っている? 怒りたいのはこちらだ」
「……財産目当てとか、男をたらしこむとか、めちゃくちゃな作り話を言われて怒らない女なんていません」
 恵美は圭吾を思い切り睨みつけた。威圧感があろうが、大企業の社長だろうが失礼な男にはガツンと言ってやるに限る。圭吾の切れ長の目が細くなった。
「公子が嘘を言っていたとでも?」
「公子さんは嘘を言う人じゃないです。貴方が嘘ついてるんです!」
「……私は人をだます事はあるが嘘はつかない」
「同じ事だわ」
 圭吾の長い腕が伸びてきたので恵美はわずかに怖気ついたが、その腕は恵美の後ろの背もたれを持っただけだった。先程の平手打ちはかなり痛かったので、今度叩かれたら問答無用で引っかいて逃げようと恵美は思った。
「あの警戒心が異様に強い貴明を陥落させるだけあって、なかなかどうして度胸があるな」
「貴明と私の関係に気づいて、公子さんに接近したのですか?」
「それはただの偶然だ。公子の家の膨大な借財を肩代わりする代償に、公子と工場の経営権をもらっただけだが」
「……最低」
「お前には最低かも知れんが、あちらは大喜びだ。借金は消える、娘は社長夫人、新たな得意先はこれから発展していく企業だとな」
「公子さんの気持ちはどうなるのよ」
「……さあな。どちらにせよあの女が選んだ事だ。いやならば逃げれば良かったんだ。会社も家族も見捨てて……な。世の中ずるいものが勝つのは当たり前だ」
 恵美は圭吾の台詞に吐き気をもよおしていた。なんと自分勝手な論理だろう。この男には思いやりとか、弱者へ対する同情もない。なんでもかんでも会社中心の冷たい心しかないのだ。
「馬鹿みたい。お金が消えたら幸せでなくなる人生なんて」
「お前の方が馬鹿だ。金があれば世の中の争いの大半が消え去る」
「貴方みたいな人が争いを起こしているんでしょう!」
「違うな。馬鹿が身の程知らずに吠えて、己の身の破滅を呼び込んでいるだけだ
 圭吾の言葉には一切迷いが見えなかった。彼の言葉には誰にも覆せない太く頑丈な芯があり、恵美を戸惑わせた。自分の方が間違っているのかと思えてくるから相当だ。恵美は首を横にぶんぶん振った。
「私は……、……私は普通に暮らしたいだけ。それが身の程知らずだというの?」
「そうだな。お前に普通など似合わない。あの貴明を落としたのだから、それ相応の嵐はあると思っていただろう? 代表格が母親のナタリーだな」
 ナタリーというのは貴明の母親だったのかと、恵美は始めて知った。
「大企業などと呼ばれているが、うちはこの十年で急激に成長しただけだ。古くからある旧財閥連中から見たらただのなりあがり者で、不愉快な相手だろう。その中で戦っていく人間でなければナタリーは認めない。お前にその覚悟はあるのか?」
 恵美が不安視していた現実がいきなり目の前に現われ、恵美は目を泳がせた。一方の圭吾はじっとその恵美から視線を外さない。
「それは……でも、だから私は貴明と別れようとしたわ。……結婚……しようだなんて思ってないっ」
「ほう。では愛人として貴明に寄生しようとしたのか?」
「違いますっ!」
 恵美はソファから立ち上がり、深く背もたれに凭れたままの圭吾を改めてにらんだ。
「……貴明とは、貴明とはただの友達でいたいと思っています。確かに私は貴明は好きだけどそれは男女間のそれじゃない。結婚なんて考えた事もありません」
「じゃあ何故寝た?」
 あけすけに言われて恵美は恥ずかしさのあまり顔を赤らめた。どうしてそんな事を圭吾が知っているのだ。貴明がこの男に言うはずはないが、誰かに話したのは間違いない。
「貴明の想いを踏みにじりたくなかったからよ」
「私に惹かれていたくせに?」
 どこまで自意識過剰なのかと頭に来ながらも、それは事実だったので恵美は頷いた。
「ええそうよ。でも貴方には奥さんがいる。だからあきらめようとした時に、貴明に別れを言ってた自分の残酷さに気づいたのよ。だから貴明を振り切れなかった、それの何が悪いってのよ!」
「全てが悪いな。お前のあやふやな自分勝手は貴明を破滅に追いやろうとしている」
「そんな……」
 まるで自分は、岩を砕こうと何度も寄せてはあっけなく跳ね返されている波のようだ。恵美は全てを否定されてふらついた。そんな彼女に圭吾はさらに続ける。
「ナタリーの親族は、ドイツ貴族の古い家柄で手広く事業をしている。血筋にはかなりうるさいし、会社の経営ぶりも凄まじいものがある。貴明はその血を引く王子様なみの御曹司だ。その男をお前は結局たぶらかしたんだ……、どこの卑しい人間の娘かわからないお前がな!」
 容赦のない圭吾の言葉の刃が、恵美の信じてきた何かと、積み上げてきたもの全てを一刀両断した。今の恵美は圭吾という神の前で裁かれる罪人だった。ふらふらと恵美は膝をついた……。
「……どうしたら、いいんですか?」
「貴明とは金輪際会うな」
「……はい」
 言った刹那に恵美の心は砕け散った。身体が震えて仕方ないが、それを助けてくれる人間は今近くに居ない。
「そして大学も辞めて行方をくらませろ。同じ場所に居たのでは、すぐにあの馬鹿はお前を追いかけてしまうからな」
「……はい」
 泣くまいと我慢しても、涙が頬を伝わってジャケットの上の胸のふくらみに落ちていく。倒れそうなのに倒れまいと耐える恵美の姿は、圭吾の中にある嗜虐心を強く刺激した。圭吾は立ち上がると恵美の腕を再び引っ張って部屋の奥に向かって歩いた。放心状態の恵美は涙を手で拭いながらされるがままになっている。次の部屋に続くドアが開けられ、それを見た恵美は逃げようとしてつかまり、天蓋のカーテンが揺れているベッドに押さえ込まれた。
「や! なにすんのっ」
「貴明から聞いていただろう? 何を今更」
 恵美は力いっぱい手足をばたつかせて抵抗した。
「奥さんがいるのに最低っ」
「その私にのぼせていたのは誰だ?」
 影になって身体全体で覆いかぶさってくる圭吾が恐ろしい。貴明の時は破瓜が怖かっただけだが、今は何もかもが怖い。貴明よりも男として身体が完成している圭吾の肉体は恐怖以外の何者でもない。
 そうだ、自分は結局貴明以外は受け入れるなんて嫌なのだと、今更ながら恵美は気づいた。
「もう嫌い! 世界で一番嫌いっ……、やだっ、誰か来て……!!」
 服の裾が下着ごと捲り上げられ、飛び出した乳房を圭吾に思い切り掴まれた恵美は、必死に抵抗して圭吾の頬を爪で引っかいた。その手首は圭吾に捕らえられ、頭上で一まとめにされて布団に押しつけられた。
「……あともう一つ付け加えるか」
「何が……うう」
 ぎゅうぎゅうに揉まれる乳房が痛い。優しさのかけらもない愛撫に恵美はまた泣き始めた。
「私が飽きるまで私の愛人になれ。飽きたらお前は自由だ。全て許してやる……」
「別に許されなくてもっ」
「お前一人で貴明に見つからない場所が探せるのか? あいつの情報網をなめると痛い目に会うぞ」
「やだ、やだっ……いやーっ!!」
 どんどん服が肌蹴られていき、みるみる肌が露呈していった。耳の付け根に圭吾の熱さを感じた恵美は、恐怖と何かがない交ぜになり混乱する。今自分は何をしてどこにいるのだろう。この先どうなるのかわからない。飽きるまで愛人とはなんだ。自分も公子と同じように好きでもない男に下げ渡されるのか。
 貴明の心配そうな顔が脳裏によぎる。
「そう怯えなくていい。貴明より数段いい気持ちにさせてやる」
「ああ!」
 もう駄目だ。
 恵美はこの時、なにもかも諦めた……。