雪のように舞う桜の中で 第33話

雪のように舞う桜の中で


「これはどういう事か説明いただきたい」
 惇長は、中納言義行に向き直った。
 官位は同じでも、惇長の方が遙かに重く思われていて貫禄もある。
 惇長を子ども扱いしている義行には、それが癪に障って仕方がなかった。
「どういう事? それはこちらが聞きたい。私はそなたに呼ばれて宇治に向かう途中、そなたが突然その木の妖に囚われて川底へ消えたと聞いたのだぞ。陰陽頭に問い合わせたらこちらでも同じ事が起こったというから、こうして見に来たのだ」
「……私が、何故貴方を宇治に御呼びする必要があるのです? 多忙な人間をからかわれるのも、いい加減になされませ」
「何を。私を閑職と馬鹿にするのか!」
 暗に惇長が、義行を官位だけでなにもできない男だと言ったのを敏感に感じ取り、ぶくぶく太った義行の顔が醜く歪んだ。
 実のところは、義行は偽の呼び出して、惇長を宇治から戻る人の途絶えた道の途中で、山賊に襲わせて殺そうと企んでいたのだった。それが妖に先を越されて失敗した。妖の変化を怪しんで今こうして右大臣家に来たのだ。
「そう思われるのならそれで結構。新しい御世に変わったばかりの慌しい時期に、何ゆえ混乱するような行動をされるのか、中納言殿にお伺いしたい。それはこの都の平穏を望んでの行動なのか、それともご自分の平穏のためか?」
「知った風な口を聞くでない。そなたのような青二才に何がわかろうか」
 惇長は琴を抱えなおして、盛大に嘆息した。
「少なくとも、中納言殿が私の年であった時よりは、存じておるつもりです。私を除外されようが、撫子の御方を差し置いて、ご自分の娘を入内されようが一向に構いませんが、内裏でしか許されぬ修法をご自分のお屋敷で行われたのは行き過ぎでしょう」
 義行と哉親が、ぎょっとして後ずさった。
 自分達の秘密中の秘密を、惇長が知っていたからである。
 連なる家族を罪に引き入れるような二人の考えなしの行動に、惇長は深い憤りを感じており、今日という今日はとことん追い詰めるつもりだ。
「陰陽寮にも人はおります。誰も彼もがご自分達に従順であるとは、思われぬほうが良い。好き勝手されては困ります」
「彰親が言ったのかっ。お前はいつも……」
 哉親が彰親を人差し指で指し罵ろうとするのを、惇長が庇うように立ちはだかった。
「彰親は何も言わない。陰陽寮の話を私に直接漏らすなどまずない。それに反してそなたはどうか? 中納言殿に微細漏らさず情報を流して、それどころか内裏でしか許されぬ泰山府君祭を、一貴族の為に奉祭するとは、陰陽頭として恥を知れ!」
 義行が笑った。
「ははは……それを言うならそなたはどうじゃ。死んだ正妻を甦らせるために、反魂をそこの女に彰親に命じてしていたそうではないか。死者を預かる泰山府君を、私的に利用していたのはそなたも同じであろうが」
「…………」
「結局我らは似たもの同士よ。それすらわからぬのが青二才というのじゃ」
 笑みまけた義行に珠子は吐き気がした。
 先程の詔子との交流でも惇長は沈黙したが、それは自分の罪深さを深く恥じ入っているに、他ならない。
 しかし、この義行はまったくなんとも思っていないのだ、こんな男が政事の中枢にいるとは信じられない。

「……どうでもいいですが」
 妙にのんびりとした美徳の声が響いた。
「左府は全てご存知ですし、近いうちにどなたかに、陸奥の歌枕を見て参れとかおっしゃるかもしれませんね。定員は二名ほどになりましょうか」
「な、なんだこいつは雑色の分際で!」
 涼しい顔をしている美徳に義行は気色ばみ、哉親が老木に向かって呪を唱えた。
「うわあっ」
 成時が仰天して尻餅をついた。
 目玉の付いた黒い触手が辺りの地面を割って、数え切れぬほど飛び出してきたのだから無理もない。しかも、口を開けて黄色の細かい牙をむき出しにして、緑色のよだれをだらだら零している。
 珠子は、見覚えのある妖が当たり一面に埋め尽くすのを見て、恐ろしさに胸がつぶれそうになった。惇長が走り寄って抱いてくれなければ、成時のように腰を抜かしていただろう。おまけにまた、高熱とだるさと気持ち悪さのある身体に戻ってしまったので、辛くて気持ち悪くて仕方が無い。こんな調子で琴など弾けるのだろうか。
 その二人にも、触手が突き刺さるように飛び掛ってきたため、惇長が腰に帯びていた太刀を抜いて触手を叩き斬った。
 ぼとぼとと黒い血を流して触手は地面に落ちたが、切断されたそれはすぐに再生してまた元通りになった。
「これは死なぬのか?」
「何しろ地下の霊脈に繋がっておりますゆえ」
 惇長の問いに、美徳が触手と応戦しながら言った。
 彰親が、成時の前に立って、結界を作ってやっているのが見えた。
「あれが珠子欲しさに、詔子姫からの伝言をなかなか言わなかったので、陰陽頭に出し抜かれました。今や桜の老木は奴の手足になっています」
 黒い触手は義行と哉親の周りにおらず、惇長は詔子の伝言を思い出して呟いた。
「それで……琴、か」
「琴?」
「私達二人に琴を弾かせろ。さすればこの桜は開放される」
「何を根拠に」
 美徳は手から波動を生じさせて、触手を弾き返した。
 ひっきりなしに触手が襲い掛かってくるため、話をするのが困難だ。
 助けにと考えていた他の草木は、まだ芽すら出ていない。桜の妖だけが勢いを誇っており、ましてや霊脈と通じている。明らかにこちらが不利だ。
 ついに、美徳の水干の袖が触手に破り裂かれた。珠子達が妖に殺されるのは時間の問題だった。
「珠子、琴を……!」
 叫んだ惇長の前の地面が、土塊を飛び散らせながら割れ、新しい触手が飛び出した。そしてその触手達が牙をむいて珠子に襲い掛かり、熱で朦朧としている珠子の腕から翠野を咥えて奪い取った。
「あっ!」
 珠子は取り戻そうとしたが、あっという間にそれは手の届かない場所に触手が持ち上げた。
 惇長の太刀も美徳の波動も届かない。
 触手は翠野を哉親の手へ渡し、哉親はそれを義行に渡してしまった。
「返してっ!」
「よせ、妖にやられる」
「だって、惇長様……っ」
「……お前達の考えは我らにはお見通しじゃ。そうだ……新しい筋書きを考えたぞ」
 義行が翠野を地面に叩きつけ、沓で踏みにじった。胴体が折れた翠野は糸がからまってひしゃげた。琴を弾かなければ妖を封じられない。
 歯を噛み締める惇長に珠子は申し訳なかった。熱でぼうっとしていた自分がいけなかったのだ。
 また触手が三人に襲い掛かり、惇長が斬って美徳が弾き返した。しかし二人がいかに腕に覚えがあろうとも、幾度斬っても無限に再生する妖の相手では、さすがに息が上がってきた。

 義行がうれしそうに笑った。
「泰山府君祭を行ったのは確かに私だが、それは一の宮立太子が叶わず、新帝を恨んだ惇長に娘を誘拐され、脅されて仕方なく行ったことにすればよい。それでそなたはこの桜の妖を使って、娘を殺そうとした。罪深いお前は御仏の怒りを買って、反対に自らを喰われてしまうのよ……良い筋書きだろう?」
 新たな触手が多数現われ、今度ばかりはその数の多さに応戦も限界に達し、皆触手に縛り上げられ、空中で身動きが出来なくなった。
 風が吹き荒れ、雪が強く舞う。
 哉親が美徳を睨んだ。
「まずは生意気な雑色。お前だ!」
 ぼきり、と骨が折れる嫌な音がした。
 美徳の右腕が触手によって折られ、だらりと下がる。
 声も上げずに美徳は脂汗を額に滲ませ、睫毛を震わせた。
「どうくびり殺してくれようか。身分も弁えずに中納言様に無礼を働きおって」
「雑色の次はその小娘だ。せっかくの計画を水の泡にした張本人だからな。余計なことをして我らの邪魔をしくさって! 宮家だかなんだが知らぬが、しゃしゃり出て来るでないわ。おかげで有子はぴんぴんしておる」
「中納言様、ならば直接手を下されては?」
「それはよい。妖にまかせるより私が直接殺してくれよう」
 妖は義行の前に、ぐるぐる巻きの珠子を降ろした。
 身動きできない珠子の首に、義行が抜いた太刀の鋭い刃がぴたりと当てられ、珠子はもう声すら出なかった。
「やめてくださいっ。姫は私の正妻にとの約束ですっ」
 遠くの場所で、妖に縛められている成時が叫んだ。
「は、止めておけ止めておけ、後ろ盾皆無の若さだけが取り得の女など。財も権力もある家の姫など幾人もおろうが」
「なんということを……、人を殺めるなど天罰が下りましょうぞ!」
 鼻水まで垂らして泣いている成時を、義行は嘲笑った。
「ははは、こやつは人ではなくてその辺の蛆虫と同じだ。それに、妹姫を毒殺した男が何を言うておる。もっぱらの評判ぞ、前右府と石山の源晶とそなたが手を組んで、源とつながりのある厄介者の姫を殺したとな」
「違うっ、あれは毒などではない! 詔子に渡したあれは本当に薬だったんだ」
「はははは……っ! 誰がそのような話を信用するものか。なあ惇長? お前の妻はあの男の毒で死んだのよな?」
 惇長は口元まで触手に縛められて動けず、じっと兄を睨んでいた。
 珠子は刃に震えながらも、成時の必死な形相から目が離せなかった。下手をすれば自分も殺されるというのに、このような土壇場で嘘がつけるものだろうか。
「本当だ! 父も、私も、源晶も……っ、詔子を救おうとあらゆる手を尽くしたっ。放っておいたのではない」
「ほうほう、現右府の養子になっていても、罪人の父をかばうとはあっぱれよな」
 成時は天を仰いだ。その目からは涙が次から次へ溢れて零れ落ちていく。
「誰も信じてはくれぬ……。父はあの薬が毒だったと思い、愛するわが子を失った悲しみにその場で同じものを飲んで死のうとした。でも死ねなかったのだ。何倍の量を飲んでも父は死ねなかった。あれは本当に普通の薬で……詔子の死は天命だったんだ」
 珠子が惇長を見上げると、惇長はじっと成時を見つめて何度も瞬きをした。
 疑いよりも衝撃の方が大きいようだ。
 その惇長に、成時はこの数年心の奥底に溜め込んでいたものを、次々に吐き出していく。
「……確かに前右府はお前に冷たかったろうが、詔子を疎んじてはいなかった。不器用ゆえ愛情の表現が下手だっただけなんだ。最後にはお前との仲を認めていたが、その矢先に詔子が病に倒れて……」
「ああうるさいのう中将殿、内裏では物静かだと言うに。中将殿からあの世へ行くとよいのやもしれぬ」
 義行が珠子の首に当てていた刃を放し、沓の先を成時に向けた。その時だった。

「佛子時答 決疑令喜」
 読経と共に、笠を被った墨染めの衣の僧が現われた。
 静かでそれでいて周囲を圧倒する言の葉の清浄さが、妖に歪められた気を一気に消し去り、触手はその僧には近づけず皆退いていく。
 義行は訝しげに僧を見、大きく目を見開いた。
 僧は読経を止め、被っている笠を静かに取って、義行に会釈した。
「お前は……」
「中納言殿、お久しゅう」
 その僧は、珠子も知っている源晶だった。