雪のように舞う桜の中で番外編 美徳さんの妻問い その1

雪のように舞う桜の中で


 陽が、湖の向こうへ沈もうとしている。
 茜色に染まった空と金色に輝く陽を湖が映して、それはそれは美しい光景であるにもかかわらず、百合は鑑賞する気にもなれず大きなため息をついた。
「……嫌だなあ。今度の新月の夜か」
 家の前を流れる川から水瓶にたっぷりと水を入れ、ずーんと落ち込んだまま、重いそれを両手に抱えて、百合は夕陽に背を向けた。
 長い自分の影すらうらめしい。その影の形がため息の元だった。
 百合は、おおよそ柳腰の美人の容姿とは言いがたく、控えめに言えばぽっちゃりで、容赦なく言えば太っていた。
 太っているとはいっても、どうしようもない肥満体というわけではなく、畑を耕したり、山で木の実を取ったり、川で洗濯するなど、常に全身運動を欠かさないので、引き締まっているところは引き締まっているし、他の女達に比べると動作はやや鈍るが、俊敏に動けるほうだった。
 しかし、人間というものは、美しいものに惹かれるようにできている。
 百合の住んでいる浅井の郷は、鬼の一族が住んでいる。鬼とは言っても、都の人々が言うような人に災いをするような厄介な鬼ではなく、鬼神のように尊い鬼で、大抵の人は神様のように美しい容姿を持っており、長の木津一族程になると、天上人を思わせる眩さだ。
「こんな私じゃ、永遠に誰も来てくれっこないわよ……」
 あと数日で新月が来るという現実が、百合をへこませていた。

 浅井の郷では、毎年長月の新月の夜に、妻問いが行われる。
 十七歳以上の未婚の男女は、全員参加する事が義務つけられているのだが、誰も訪れないという女もちらほらいる。その代表格が余所者で美しくない百合だ。今年で二十歳を迎えるというのに、今まで誰も来なかった。
 余所者が敬遠されるのが当たり前とはいえ、百合の容姿も手伝ってさらに敬遠されている気がする。
 都の高貴な姫君たちは、自分の姿を家族以外に見せないが、百合達の様な土着に生きている人間には関係の無い話だ。
「いっそ尼にでもなってしまいたいけど、お金もないのよね……」
 百合は数年前に父母にも先立たれて、一人ぼっちで暮らしているので、子供が居る家はとてもにぎやかで、とてもうらやましい。
 寂しいので飼っている黒猫の雌は、これがまた主人同様雄猫に相手にされないのか、子猫を産まない。そんなところまで似なくても良いのにと、ため息がまた出てしまう。
 小屋の様な小さな家に入り、壁際に水瓶を置いた百合は、足に擦り寄ってくる猫を抱き上げた。
「別に結婚してくれなくても良いから、子供が欲しいなぁ」
 とんでもない事を口走って慌てて口を噤む。
 大丈夫だ、誰も居やしない。百合はそれを思い出して、またため息をついた。

「絶対美徳様よね~」
「わかるわ、私も狙ってる」
「ふふふふふふ」
 村の女達と一緒に染料の花を摘みながら、あけすけに殿方を品定めする彼女達に、百合はいささか閉口していた。
 美徳というのは、どこぞの宮様の御子だという、浅井の木津の殿様の跡取りの君だ。
 恐れ多すぎて、百合はお目にかかるなど考えただけで目が回りそうになる。
「絶対にお戻りになったのは、今度の妻問いに参加されるからよ。いつもこの時期は郷においでにならなかったものね。お年はもう十九歳の齢を重ねられたし、そろそろ跡を継ぐお子様をってところかしら」
 熱心に言っているのは、彩子(さやこ)という今年十四になる、郷で一番美しい娘だ。
 若い未婚の男の視線を独り占めにしている彼女に、妻問いの夜は彼女の家の前で、乱闘が起きるに違いないと百合は思っている。
 あれくらい自分も美しかったら……、ううん、贅沢は言わない、あの半分くらいの美貌があれば、今頃は結婚できているのにと百合は儚い願望を抱いてしまう。
「でもさ、知ってる? たまに本当の鬼が現われて、女を喰らってしまうそうよ……」
「やだ! 怖い話しないでよ」
「だってここは鬼の住処の浅井の郷よ。本物が出たって不思議じゃないわ」
「やだーっ」
 百合は、黙々と作業に徹して、おしゃべりには参加しなかった。
 余所者としての壁は厚く、歩み寄ろうとしてもどうしても超えられないものがあるのだった。
(へー……。本当に鬼って人を食べるんだ)
 暢気に考えていた百合は、突然悲鳴を上げて逃げていく彩子達にはっとした。
 反対側の藪の奥に何かいる。
『大丈夫、怖いものじゃないよ』
 近くで木の実をついばんでいるかわせみが言った。
 そこで百合が、何が出てくるのか身構えていると、よれよれの泥だらけで、あちこち破けた水干を着て、烏帽子ではなく旅用の破れたボロボロの笠を被り、覗いている顔は髭と髪がぼさぼさの男がのっそりと出てきた。
 この風体では、皆が悲鳴をあげて逃げるのも無理はない。何よりものすごく臭い。
 そういえばこの村に流れ着いた頃、ちょうど自分達がこんな風だった。当時、人々が嫌そうな顔をしていたのも無理はない。鼻が曲がりそうで、こちらにまでうつりそうなほど臭うのだから。
 異様なのは、男が伴っている猫のほうだった。
「……猫…………じゃない」
 猫の尾は二又に分かれていた。金色の毛並みに茶色の縞模様が全身に入っていて、目が毛色と同じく金色に爛々と光っている。家で飼っている黒猫の「宵(よい)」より倍ほど大きい。
 怯えている百合に、男が言った。
「大丈夫だ、この猫は何もしない」
「え?」
「私の使っている式神だ」
 思ったより若い男の声に、百合は驚いた。
「……申し訳ないがとてもお腹が空いている。何か分けてくれないだろうか。さっきの女人達にも言ってみたのだが、逃げられてしまって」
 どうやら、お腹をすかせた気の毒な人らしい。
 しかし百合は村で一番貧しく、持っている弁当は煮干が数本と、雑穀の握り飯が二個だけだった。とても恥ずかしくて出せたものではない。
「あの、村長のお屋敷まで行かれたら、きっと立派な膳をだしてくださると思います。長はどんな方でも必ず屋敷に招きいれてくださる方ですので」
「そうですか……」
 男は猫と共に、へなへなとその場に座り込んだ。動くのも精一杯なようで、男のお腹がぐるぐると物凄い音を立てるのを聞くと、さすがに粗末な弁当でもないよりましだと思い、百合は自分の弁当を差し出した。
「……あの、これ、かなりこれ……」
「ありがとうっ!」
 食べ物を前に男は急に元気つき、あれよあれよと言う間に百合の差し出した弁当を全て平らげていった。
 百合は太ってはいるが一食ぐらい抜いても平気だったので、食べ終わった男が食事はまだなのではないかと聞かれても、もう食べたからと嘘をついた。

 手早く起こした火で沸かした食後の白湯を飲みながら、男は百合に頭を下げた。
「ありがとう。おかげでなんとか家に帰れそうだ」
「いえ、あのようなもので恥ずかしいのですが」
「とんでもないです。助かりました」
 百合は自分は食べなかったとはいえ、久しぶりに人と食事を共にしたのでむしろうれしかった。
「……貴女は所作が少し変わっていますね、こちらの人ではないのですか?」
「ええ、郷を追われてこちらに流れてきたんです」
「ご家族は?」
「五年前に亡くなりました。一人も慣れました」
 ちっとも慣れてなくて、さびしくて仕方がないのに、人の前では百合はいつもそう言う事にしていた。男はもじゃもじゃの髭を引っ張って何か考えていたようだったが、もう行かなければと言って立ち上がった。
「あの、長のお屋敷へ向かわれるのですか?」
 言った瞬間、男の纏う雰囲気が氷のように冷たい物に変わった。差し出がましいことを言ったらしい。
 百合が怖気ついたのを見て、男ははっとしたように元の柔らかな雰囲気を取り戻したが、もう百合には男と打ち解ける気は失せていた。
 そう、これがこの村でやっていく規則なのだ。よそ者の自分は、誰に対しても必要以上になれなれしくしてはならない。
「いや、このまま北に行くだけです。気を使っていただいて……」
「いいえこちらこそなれなれしい口をきき、失礼を致しました。式神を使役されているのでそれなりの方とお見受けしますのに」
「あの……その」
 男が百合と自分の間に薄い壁が出来たのを感じ取り、誤解を解こうとしてきても、百合は取り合わなかった。どのみちもう会うことなどないのだから……。
 男は何故か、名残惜しそうにしながら立ち去っていった。
 やがて女達が戻ってきて、置いていった事を百合にしきりに謝ったが、百合は気にしないでとだけ言い、黙々と作業を続けた。


 数日後、彩子や百合達は木津のお屋敷の掃除に呼ばれた。掃除とは名目で、一種のお目見えのようなものだと女達は皆知っている。皆が嫌がる縁の下の掃除を引き受けた百合は、一心に蜘蛛の巣や枯葉と格闘していた。
「これはかなりひどいかも。高貴な方の家はこれが面倒ね。うちなんて屋根があるだけで床は土間だものね、ふふふ、楽な家に住めてよかった」
 蜘蛛や虫達にごめんねとあやまってどいてもらいながら、百合は箒でどんどん縁の下をきれいにしていった。
 ほぼ半日かけて屋敷内がすっかり綺麗になった頃、彩子がわざわざ自分を呼びに来てくれた。
「お茶をくださるそうよ。母屋の方へいらっしゃいって」
「そう、後から行くわ」
「早く来たほうがいいわよ。美徳様がどこかでご覧になってるんだって」
「……そう」
 それなら行かないほうがいいだろう。百合は、蜘蛛の巣や土で汚れた自分を見下ろした。
 彩子が行ってしまうのを確認したかのように、庭の烏がばさばさと百合の足元に降りてきて、納得がいかないという口調で、ぶつくさと文句を言い始めた。
『馬鹿だなあ。なんで行かないのさ?』
『さすがに行く気にならないわね、こんな汚い格好見られたくないもの』
 百合には木や花、水などの自然や、動物達と心の中で会話ができるという不思議な力がある。
 幼い頃からずっとそうで、それを他人に言うと変人扱いされるので、誰にも言っていない。
『とっくに見られてるって。美徳様、影からご覧になってたもの』
『それならなおさらもういいじゃない、お目見えが終わったようなものだもの』
『ったくもう、何にもわかっちゃいないんだからな』
 烏は呆れ、庭の松に戻っていった。
 縁の下を完全に掃除し終えると、百合は家人の老人にお暇すると言い残して家路を急いだ。汚い身体を川で綺麗に洗ってしまいたい。
 後もう少しで村はずれというところで、稲という名の村人が、百合を見てびっくりして声をかけてきた。
「百合ちゃんどうしたのそれ?」
「縁の下を掃除したらこうなったんです」
「あらまあそれで。えらいわねえあんな汚いところを。これあげるわ」
 稲が野菜籠から取り出した野菜をくれ、百合は丁寧に礼を言って受け取った。
 何かと気にかけてくれる稲を、百合はこっそり母のように思っているが、稲を困らせてしまうと思っているので内緒にしている。
「百合ちゃんにも、いい背の君が見つかるといいのだけどねえ」
「いいんですよ。住まわせていただいてるだけで幸せですもの」
「そりゃそうかもしれないけど! まったくうちの息子どもの目は節穴だね!」
 稲の二人の息子は彼女に似た優しい男達で、百合も胸がときめいたものだった。
 残念ながら二人とも、他の女を選んで、幸せな家庭を築いているが……。 
「ふふ、お幸せそうでいいじゃないですか」
「だけどね……、わたしゃ、百合ちゃんが背の君と歩くところを見るまで安心できないよ」
「大丈夫ですよ。それじゃ、本当に身体洗いたいんで」
「変な男に絡まれないように気をつけるんだよ」
「はい」
 家の前で待っていた宵に煮干を数本やって洗濯をした後、川の流れに身を浸した。このあたりは誰も住まないし、たずねても来ない。だから裸になっても平気だ……と、百合は思っていた。
 屋敷から追ってきた烏が、近くの木に止まって羽根をつくろっている。