白の神子姫と竜の魔法 第04話
目覚めた時、自分の部屋ではなくてがっかりした。
あーあ……、やっぱり妙な魔法のノートに摂り憑かれてるんだ。なんで読めたんだよ私。
夜に入っているようで、あの光る石が花びらみたいになってるベッドランプが、右手側に優しく点灯していた。電球じゃなくてかさ自体が光ってるのがいかにも異世界だ。
午前中にぶっ倒れて夜まで寝てるって……寝すぎだ。
はあ……。
お腹すいたな。
むっくり起き上がって、朝と同じようにベッドの端に移動したら、小さなテーブルに埃避けの布がたらされた軽食があった。多分あのテレジアさんが用意してくれたんだろう。ありがたく頂戴することにする。
元の世界と同じようなものがならんでるのは、きっと過去に召還された神子姫の要望をこっちの料理人さんが応えているからなんだろうな。
あの魔法のノートはムカつくけれど、料理人さんには感謝だ。
食材は元の世界と大体同じみたいで、ジャガイモのポタージュと、肉と野菜を炒めて美味しいソースがかかったもの、ペンネと木の実のパスタみたいなの、果物のデザートだ。
この木の実、胡桃っぽいな。
本格的なイタリア料理や、フランス料理でないのは、日本の神子姫が多かったからに違いない。
食べ終えてなんとなく気になって、レースのカーテンの上に引かれたビロードのカーテンを潜り抜けて窓から外をのぞいたら、外灯が一斉についていて、見張りの兵隊さんが所定の位置に立っていた。人は変わっているんだろうけどご苦労様だ。
もぞもぞとカーテンを反対側に潜り抜けたら、いつの間にか人が居た。
「え?」
「外を見ていたのかな?」
微笑んでいるのは、伊達君……というか、陛下だ。一人でお供も居ない。
カーテンにもぐっていたからノックも何も聞こえなかったらしい。
「あ……の?」
「また倒れたと聞いた。宰相がよからぬことを言ったのではないか? あれはなかなか口が悪いからね」
陛下は困ったように肩を竦めた。こうやって見ると王としての威厳より、年相応の青年っぽさがあるような……。
そこまで考えて衝撃の事実に気づいた。
気になって部屋の隅にある鏡を見ると、やっぱりそうだった。私はどう見ても高校三年生じゃなくって、二十歳を超えた女性になっている。陛下も稔も同じだ。
これってあの魔法のノートのせい? 書かれていたリン王妃と同じ年齢にされちゃってるんだよね?
「質問があるんですが……」
「質問?」
怪しまれてもいいや。皆風邪のせいにしてしまおう!
「あの、私、18歳だったと思うんですけど」
「本当に里心がついているようだね。ああ、確かに君は、ここに来た時は18歳と言っていた。でも今は25歳だ。私や宰相と同じ年だ。またあいつのおかしな悪戯に巻き込まれているのかい? リンは生真面目だから気をつけなさい」
王妃に悪戯って、やっぱりあいつは口調が丁寧でも性格悪いんだな!
「そんなことを言ってるようじゃ、まだ身体の具合は良くなさそうだね。もう一度寝たほうがいい」
いや、寝たくない。
さっきまで寝てたから頭が痛いぐらいだ。さすがに寝すぎだと思う。
時計は元の世界と同じだったから見上げると、夜の九時を回ったところみたいだ。
というか今頃思い出したけれど……、私と、この人は……夫婦!
「リン」
考え込んでいるところを背後から呼ばれ、思い切り肩がびくついた。
い、いくらなんでも……、このままベッドインとかないよね!?
キスは許容範囲でも、あれはしたくない。
おびえているのに陛下は気づいたらしく、不審げに眉を顰めた。
「どうも最近気が塞いでいたり様子がおかしいね。新しい神子についてそんなに気になるのか?」
あれ? 話が明後日の方向に行ったな。
どちらにしろ助かる。
「もちろん気になります。同じ世界の方ですから!」
白木さんかどうかがものすっごく気になりますとも!
「だが、彼女は今離宮に居てね。ちょっと合わせられないのだよ」
なんだ会えないのか。がっかりだ。
「リン……」
いきなり抱きしめられて、今度は心底びびった。
「そなたは誤解している。私は確かにマイに興味を持ったが、それは必要があってのことだった。内密な内容ゆえそなたに話せないままだった。それを貴女は気に病んでしまったのだろう?」
「え……と」
どうも時間的には、あの暗い小説のちょっとばかし未来らしい。あれからリン王妃は病気に倒れてしまったようだ。あれだけ思いつめていたらそりゃ倒れるよね……。
でも。
「わ、わたし、貴方のリン王妃じゃありません」
「リン?」
懸命にもがいて陛下から離れた。陛下は戸惑ったような顔をして、しばらく私を見つめていたけれど、やがてその顔つきは、あの小説のような、なんだかお腹にあくどいものを詰め込んでいるようなものに変わった。
な、なんなのこの人……?
くすくすと陛下は笑い始め、どさりとソファに座った。
甘い雰囲気が消し飛んで、完全に正体を現したような陛下に今度は私が戸惑っていると、やがて陛下は笑いをおさめ、手を叩いて人を呼んだ。扉の向こうに控えていた近衛がすぐに入ってきた。
「宰相を呼べ」
「は」
近衛が出て行くと、陛下はまた一人でくすくす笑った。
なんだか嫌な感じだ。
嫌だなと思っているのがわかったのか、陛下は私を見て、言った。
「そうだ、そなたは私のリンではない。お前は「鈴」という漢字を書いて「リン」。私のリンは「華凛」という名から「リン」と呼んでいた。なんとか記憶消去という事にして代わりにしたかったが、そなたは私のリンとは違って、本当に我が強い。相手が誰であろうと流されぬようだ」
「リン王妃はどこにいるの?」
「宰相の家で眠り続けている。あの舞踏会の日の夜に倒れてから、ずっと目覚めぬままだ」
「目覚めない?」
「心の負担から来る眠り病ですよ」
扉が開いてもいないのに、突然稔が部屋に現れた。
「ジークフリード、ちゃんと扉から入ってこないか」
陛下は不快に思ったようだ。
「話を早くつなげようと思いまして」
悪びれもせずに稔は言い、私に向き直った。
「さて鈴。貴女が騙され続けてくれそうでないから、すべてを明かしましょう。このノートに書いてあるのは私の創作ではなく、事実です。王后陛下はこれほどに思い悩まれ、眠り病に倒れた」
「五年間もずっと?」
「ずっとです。最初は誰も何も言わなかったのですが、そのうち眠り続ける王妃を廃し、マイを王妃にしようというやからが出始めました。今ではそれを抑え切れません。何故なら、マイはこの小説にあるように本当に王妃にふさわしい度量の持ち主ですし、影の神子として物質的な富を国にもたらしておりますから。ですが……」
「ですが?」
私の言葉に、陛下が続けた。
「私にはリン以外の后は考えられない。マイは側妃として愛せても、王妃にはできぬ」
一夫一妻制の国から来た私にはなんともむかつく答えだけど、相手は国王様だから、ここは堪えよう。
「リン王妃は、陛下が大好きだから絶望したんでしょ? あんなふうに見せ付けられたら、線の細そうなリン王妃ならそりゃ気に病んでしまうわよ」
「そうであろうな。わかってはいる。私も後悔している。私は愚か過ぎた。マイを何人得ようともリンひとりにはとても敵わぬ」
喪ってから気づくって奴か。や、亡くなってはいないけど。
「困っているのは、マイが王妃になる野心を持ってしまったからだ。最初は彼女も拒否していたが、だんだん人にそそのかされて、ついには私に直接願うようになった。それゆえ隣の離宮に今は住まわせている。王宮にいては王妃然として振舞ってしまうので皆が混乱します」
「……成程」
それは困った話だけれど、責任の一端は完全にこの陛下にもあるからね。
「それで、私に身代わりをしろというわけですか? 私はそんなにリン王妃に似ていますか?」
「性格以外はそっくりだ」
稔がいやにハッキリと言った。
「身代わりなんて、嫌って言っても無駄なんでしょうね?」
「物分りがいい女は嫌いではない。リン王妃とノートを魔法でつなぎ、同じ魂を持つ女性を私は探していた。ノートが読めるのは、リン王妃と波長が合う者のみ。数年がかりで探しました、嫌だと言って逃げてもらったら困ります」
稔が逆らえばどうなるかわかっているだろうな? という恐ろしさを滲ませた目で私に言う。そんな事だろうと思った……。ああ、何だってノートが読めちゃったんだろうな私。
「偽者ってばれたらどうなるの?」
「ばれないようにしてください。王后陛下が目覚められるまでは」
「目覚めた後は?」
「王后陛下の呪縛が解けるのと共に、ノートの呪縛も解けます。元の世界へ戻してあげましょう。時間枠も年も元に戻して」
「他に何かいいことはないわけ?」
「がめつい女ですね。ここでの裕福な暮らしで十分見返りはあるでしょう?」
「ばれないように気を張る生活なんだけど……って、きゃあっ!」
突然稔に横から抱きつかれ、目の前にあの竜の手を見せてられたかと思うと、首をなぞられた。
ちり……と爪が皮膚を撫でて、かすかな痛みが走る。
のんきな高校生だった私は、じゃれるように学生生活を共にしていた稔の突然の豹変に驚いた。その目は恐ろしく底光りした殺気に満ちていた。
……怖い。
爪を見せられたときと同じだ。
稔は稔じゃなくて、ジークフリードという見知らぬ男なんだ……。
「ごちゃごちゃとうるさいし、いい加減欲が深いですね。いいですか? 貴女が果たすべき仕事はいたって簡単、大人しく微笑んでいるだけでいいんですよ」
「神子姫の仕事なんてできないわ」
勝気な性格なのに、恐ろしくて語尾が震えた。ふ……と稔が小さく笑った。
「それについては、結婚と同時に陛下と一緒にする勤めばかりに変わりました。陛下が皆受け持ってくださいます」
都合のいいことばっかり言ってるなこいつ。こういう男は大嫌いだ。稔って意地が悪いと思ってたけど、結構いいところも沢山あったのに、本当はこんな奴だったのか。興ざめにもほどがある。
怖いけど、負けたくない。
「脅迫なんてこわくないわ。私、したくないもん」
「したくなるように、してあげましょうか?」
ぐいと鋭い爪が、首に食い込み、痛みと共に血がたらたらと流れた。
恐ろしい魔を思わせる目とまともにぶつかる。
うそ……。
こいつ、本気だ。
背筋が一気に凍りついた。でも落ち着いて、私を殺して困るのはこいつらなんだから!
「殺したら身代わりなんて無理よ?」
底冷えがするほど冷たい笑みを稔は浮かべた。やけに端正な顔立ちだから、酷薄さが倍増だ。
「殺して、思い通りになる人形にしたてあげたっていいんです。それをしないのは、まがりなりにも同じ学校生活を送ったよしみですよ。ちなみに私の人形になったら、魂が束縛されますから、心は生きているのに思い通りに身体が動かせないという苦痛が待っていますよ?」
それは嫌だ。
くっそ、結局こいつらの思い通りに偽者になるしかないわけ?
私は沈黙した。二人が射るように見ているけど、すぐに脅迫に負けたと思われるのは癪だった。だってこんなのない。こんなやつらに数年間、学校で目をつけられていたなんて信じられない。それもまったく関係のない世界の都合とやらで。
たしかに王妃のリンはかわいそうだけど、それは私とは関係ない。
命張るなんてとんでもない話よ。
ああ、だけど。
私はこの世界を何も知らない。だから、この二人の言う事を聞いて、リンの真似をして彼女が目覚めるまで彼女の身代わりを引き受けるしかない。
ため息が出た。
「……私を守ってよ?」
「それはもちろん。テレジアだけには詳細を話して置きましょう。彼女は信用が置ける女ですから」
よかった。一人だけでも事情を知ってる人がいると大助かりだ。
「わかった。引き受ける」
「では、契約を」
稔がいきなり私の首筋に吸い付き、流れ出る血を吸って、舐めた。
ぎゃーっ! 何すんのよこいつっ。
そのまま抱き上げられ、奥の寝台に下ろされる。
この展開は……まさか。
びびって身体を守るよう縮こまった私を見下ろし、稔は笑った。
「私と、寝てもらいます。それが契約です」
陛下の姿が、いつの間にか消えていた。