白の神子姫と竜の魔法 第09話
なんか……あったかいな。すべすべしてるというか、あらぬところがべたべたしているというか……。
ああ、シーツはさらさらで気持ちいいなあ。毎日代えてもらってるからだろうな。
でもなんで、こんなに動きづらいんだろ。
枕が異様に固い。
ふんわりベッドなのに、枕が固いってのがよくわかんないな。
ん……。
「そろそろテレジアが起こしに来ますよ」
テレジアさん?
……そうね、彼女時間はいつもきっちりしてるからね。時計と共に生活してるような人だし。そういや今日の予定は、陛下と神殿へ礼拝に行くんだったっけ。
早く起きなきゃ。
………………。
ふっと、昨日の夜を思い出した。ってことは!
「今頃気づきましたか」
目の前に、ジークフリードの顔のドアップ!!!
悲鳴をあげなかった私は、ものすごく偉大だと思う。
「陛下はあと一時間ほどでおいでですから、それまでには、支度を済ませておいてくださいね」
ジークフリードは素っ裸でベッドから降り、順々に服を着ていく。こっちは恥ずかしくて上掛けをかき集めているっていうのに、この男の羞恥心は欠片ほどもないらしい。
昨日、あれからお風呂とか入ってないよね。
べたべたして気持ち悪くないのかな。
これからお風呂に入るのだろうけど……とか、思っていると、ジークフリードは面白そうににやにやした。
「なんですか、人をじろじろとみて。襲って欲しいのですか?」
「いっ……いえいえ!」
不意に顔を近づけられて、ぽすんと倒れた私の首元にジークフリードは顔を埋めた。同時に小さな痛みが走った。何すんのっ。
「じゃあ、今日も王妃役を頑張ってくださいね」
涼しい笑顔で言い、ジークフリードは陛下に変化して、颯爽と部屋を出て行った。
入れ替わりにテレジアさんが入ってくる。
「さあさあ、早く起きてくださいね」
「す、すみませんけれど、私裸で……」
「気になさらないでください。王族の方は侍女にすべてまかせるものですし」
私は王族じゃないんだってば!
だけど私の叫びは見事にスルーされ、続いて入ってきた侍女さん達に裸でベッドから追い出された。さすがにそのままで部屋の外には出されず、浴衣のようなふんわりとした柔らかな服を着せてもらった。お風呂場は、王妃の館の中で少し離れた場所にある。
いい匂いのする石鹸を侍女たちは泡立て、いつものように椅子に座った私を徹底的に磨き上げた。いつものことなら、恥ずかしくないって? 違うのよ。ジークフリードとあれこれした名残が、身体のあちこちに残ってるのよおおおおっ!
恥ずかしさを通り越して虚脱した私を、侍女達は、部屋の中央にとても綺麗な泉がある、禊の部屋へ連れていった。
そこは、神へ拝謁する時にだけ使用される、青い大理石で出来た部屋で、こんこんと湧く泉をぐるりと囲うように、何百年も前に建設されたとジークフリードが以前説明してくれた通りだった。
空気が他の部屋と違って澄みきっていて、時間の流れがゆっくりに感じる。
しかし、身を清めるのはわかるけれど、こういう場合、数日前から精進潔斎するもんじゃないの? 前夜に男とあれこれするか普通? それともこれが、この世界の常識なんだろうか。
侍女とテレジアさんは、時間になったら迎えに来ると言って、下がっていった。
清らかな白の一衣は脱ぎ、お風呂に入るような気分でそれを畳んで、近くの台のような物に置き、静かに泉へ足を浸した。
清らかな水は、人肌ほどの温かさですこし冷たい。全身を沈めると身体が黄金色に輝いてびっくりした。
なんだろこれ……、偽者だとこうやって光るとか?
光るだけで害はないみたいで、天罰ーって感じでもない。
光はやがて消えた。
なんだったんだ。
……あとでテレジアさんに聞かなきゃ。
それにしても、自分の貞操観念が崩れていくなあ。好きでもない男に感じるってどうなんだろ。
竜の唾液のせいだ。やっぱりやばいわ。
まだ二回目なのに、一回目の時のような悲しみとかが、湧いてこなくなってる。一度やると二度も三度も同じになるんだろう。
とんでもない話なのに、そう思わないと精神を正常に保ってられそうもない。
少し時間が経った頃、再びテレジアさんたちが迎えに来てくれて、綺麗に身体を拭い、真っ白で質素なドレスを着せてくれた。
なんとなく古代ギリシャの巫女みたいだ。
王妃の部屋へ戻り、椅子に腰掛けようとしたところで、陛下が白の軍服で現れた。
「后よ。準備はいかがか」
目覚めないとはいえ、最愛のリン王妃と過ごせたせいか、陛下はすこぶるご機嫌そうだ。
「もう済んだみたいです」
侍女たちが頭を下げて動かないので、終わったのだと判断し、差し出された陛下の左手を取った。陛下はおそらくリン王妃へ向けた笑顔を浮かべ、私を部屋から連れ出した。親衛隊の隊長が控えていて、こちらは普段の軍服だった。
神殿は王宮の敷地内でも北西に位置している。いくつもの建物と石畳の渡り廊下を抜けて、二十分ほど歩かされた。
着慣れないすそを引きずるドレスでの移動は、とっても疲れる。今度からは私も軍服にしてもらえないだろうか。陛下は優しくリードしてくれるけれど、おんぶして欲しいぐらい疲れる移動だ。
だから、壮麗な神殿の前へ辿り着いた時には、心底ほっとした。
……それでも五十段ほどはある階段が、最後の試練のように立ちはだかってるんだけどね。くそう。
思わずよろめいてしまい、大丈夫かと陛下に心配されてしまった。
でもそこはくそ度胸を決めて、陛下ににっこりと力強く笑い返したら、その意気だと励まされた。
この階段は最後の清めだと言われており、陛下といえども自力で昇らなければならないものなのだ。
神様って、本当に意地悪だなあ。
段差がかなりあるし、……男の歩幅で物を作らないで欲しい。日本のお城の階段みたいにでこぼこしていないのだけが、唯一の救いだ。
陛下が引き上げくれるのについていきながら、息が上がるのは止められない。
帰りはもっと大変そうだ。
なんとか根性で昇り抜き、神殿の中央部分に用意されていた椅子に、陛下と並んで腰をかけると、休む間もなく、白いひげを長く伸ばしたおじいちゃんが現れた。
「アドルフ、久しいな」
陛下に親しげに話しかけられ、アドルフと呼ばれたおじいちゃんは膝を折った。
「ご冗談を。先の週にもお会いしましたのに」
「ははは。だから久しいと言ったのだ」
この世界では、月日や週に関する考えが元の世界と同じだから、ものすごくわかりやすい。なんかドイツの名前の人が多いし、凄い偶然だ。
アドルフは私を見て頭を下げた。
陛下が、私にしか聞こえない音のボリュームで囁いた。
「声を掛けてやれ。この国では公式の場で、侍従などの役目以外の者が、王族へ声を掛けるのは許されておらぬゆえ」
礼拝も公式の場なのね。聞いてなかったから、ジークフリードに文句を言っておかないと。
「あの、お久しぶりです」
「本当に……ご尊顔を拝しまして、安堵いたしました。これからも陛下と仲むつまじくあられんことを」
「……はい」
なんか騙しているみたいで嫌だなあ。
ま、すべての責任は、陛下とジークフリードが背負えばいいんだけどね。
やがて大神官が、月桂樹のようなもので飾られている祭壇に向って、木の杖を厳かに振るい、祈りを始めた。陛下の真似をするようにと言われていたので、胸の前で両手を組んでうつむいた。祈りの言葉はお経のようで眠気を誘う。寝たりしたらやばいので、必死に眠気をこらえた。
「民の平和を祈れ」
陛下が囁き、私は皆が平和でありますようにとだけ祈った。
すると、さっきの禊の泉で見た、あの黄金のオーラーが私の身体から立ち上った。
それらはあっという間に部屋を満たし、祭壇を通じて外に向って放射されていく。
身体が痛くなったり、だるくなったりする気配はない。
陛下からはそんなオーラは出ておらず、私だけがそれをまとっていた。
大神官の祈りが終わるのと同時に、そのオーラは消えた。
杖をおろし、頭を下げる大神官に陛下はうなずき、私の手を引いて起立させる。そしてそのまま神殿の外へ出た。親衛隊隊長を含む親衛隊隊員二十人が、私達の周りに列を作って、来た時と同じように歩き出す。階段は陛下が横抱きにして降りてくれた。これは助かった……。
「神の下されものをそなたは神殿で賜ったゆえ、帰りの階段は、国の代表である王が神への感謝を持ってこうするのだ」
陛下が耳元で囁いた。
他に聞きたいことは山ほどあるけれど、私語は許されない雰囲気だ。
階段を降りたら、石畳の床へ降ろされた。ここからは歩くらしい。
微妙に下り坂だから歩くのは、来る時より楽だった。
途中で、第二王子と出くわした。
王族だからべらべらと話しかけてくるかと思ったら、道を譲って頭を下げただけで、何も言ってこなかった。目も合わせようとしない。
皆が皆そうで、改めて自分は今王妃なんだと心苦しく思った。すると、陛下に王妃らしく優雅に振る舞えと、小さな声で叱咤された。そこで私は、はにかみの笑顔が崩れているのを知り、ゆっくりと笑顔を浮かべた。
皆、頭を下げていて見ていないけれど、気配でわかるもんなのだろう。
疲れるわ…これ。
部屋へ戻った時は、頬は引きつり、身体はくたくたに疲れきっていた。陛下も同じ思いなのか、テレジアさんだけを部屋に残してソファに腰を掛けた。
「初めてにしてはうまくやったな、鈴」
「緊張しました」
「そうだな、ジークフリードの協力があってこその賜物だが」
「どういう意味ですか?」
「金色のオーラが出ただろう?」
「はい」
聞きたかった事だったので、私は先を急かすように頷いた。
「あれは光の神子しか発せられぬ、祈りの気だ」
光の神子は、リン王妃だけのはずだ。
「ジークフリードが王妃と同じものを持つそなたを、この数年かけて見つけ出してくれた。あやつがおらねばなせなかっただろう」
「顔しか似てないと思ってましたが、本当だったんですね」
「ふ……」
軽蔑さえをその美貌に載せて、陛下は私を鼻で笑った。でもそれを嫌味に感じないのは、陰湿さがないからだ。
「だがそれでは身代わりは務まらぬ。魂の質は当然として、私と響きあう者でなければならなかった。確実にせねば、皇太后たちに気取られる」
響きあう者。
白木さんを不意に思い出した。
「白木さんは違うのですか?」
「あれは影の神子として響きあう者だ。それだけだ」
「それだけって……」
冷たいなあこの人。本当に白木さんは、珍しさから手折られただけの花みたい。
「そなたが余計な話をして変に希望を持たせたゆえ、やけにはりきっておって迷惑だ。早く誰ぞに下げ渡さねばなるまい」
人を物のように扱う発言にむかっとした。
「それはないんじゃないですか?」
「訪れもせぬ王を待つほうが、よほど残酷だ。新しい夫を持てば新しい幸せが築けよう? 影の神子を望む貴族は多い。ましてあの美貌ならな」
「あのですね!」
「何を怒っているのやら。妙な女だ」
バカにされたみたいで、悔しい! いやいや、実際バカにされてるんだろうけどね!
陛下はソファの背もたれに凭れたまま、目を閉じた。
効く耳持ちませんって態度だ。
王様って本当傲慢だな!
プンスカ怒っている私に、陛下は忠告めいた一言を放った。
「口は慎むことだ。かえって話がややこしくなるぞ……」
「マイさんを愛してあげてって、言ってるだけですけど?」
「そなたは愛を知らぬ。それはリンを捨てろと言っているのと同じだ。マイは光の神子として、また側妃として遇しておる。それ以上何を求める? まことに愛していると言い切れるのは、后のリンのみ。後は皆同じで、誰が上や下という話ではない。そういう仕組みであるとふやけきった頭に叩きこめ」
そう。この世界では一夫多妻が当たり前。そして男の立場が確実に上。国王ともなるとさらにその傾向は強く、誰も逆らえやしない。
元の世界の常識を、この世界の人に持たせようとするのは、労力の無駄だと今思い知った。
確かに私が白木さんにしたのは、余計なお世話だ。
多分この調子だと、陛下は確実に白木さんを誰かに下げ渡してしまう……。希望を持たせてしまった分、残酷だ。きっと白木さんはリン王妃を恨むだろう。
「大体、私がマイを心底愛したらリンはどうなる? 今度は命を断つかもしれぬ」
陛下の言葉は私の胸を抉った。そうだ。リン王妃は陛下の心変わりを嘆いて、眠り病になったんだった。お前は所詮妾だとマイさんを見下すような性格だったら、そんな病にかかるわけがない。
でも、だとしたら、眠り病につかせるほどリン王妃を苦しめたのは誰なのよ! 一時的に異世界人の白木さんを寵愛して、期待もたせたのはあんたでしょうが!
リン王妃も白木さんも、こんな薄情者を愛して、気の毒に。
「ジークフリードなら、そなた達の望みを叶えられるであろうな。竜族は一生で一人しか愛さない」
「そうなんですか?」
何故か顔が熱くなり、私はそれをごまかすように窓を開けた。
涼しい風が入ってくる。
「だが一方で、竜に愛された人は哀れなものよ。他の者を愛していても無理に奪われ、一生をその竜に捧げねばならぬ。相思相愛であればよいが、違えば生き地獄だ」
「誰かご存知のようですね?」
陛下はテレジアさんが捧げ持ったグラスの水を受け取り、一口飲んでテレジアさんの持つトレイへ戻した。
「ジークフリードの両親がそれよ。あれの母はそなた達と同じ世界の人間だ。その世界で好きな男がいたのだが、ジークフリードの父の黒竜に目の前で喰われてしまってな。その憎い相手の番となって、今も束縛されておる」
すさまじい話を聞いて絶句する私に、陛下は、さすがにこの話は自分にもきついと、美麗な顔を歪めた。
「どちらが幸福かはあきらかだろう? 新しい恋を見つけて、人間らしい生を生きられる方が良い。竜の番となれば、永遠に近い生を望みもせぬのに与えられ、逃れられぬのだから」
「竜ってそんなに長生きなんですか?」
「何万年もの時を生きると言われている。百年ばかりの生の我々には、気の遠くなるような年月だ。よって、ジークフリードの母は気が触れておるらしい。あやつは母に抱いてもらったことも、話してもらったこともない。ゆえに私などより冷酷さは際立つ。怒らせぬことだ」
陛下は意地悪く笑いながら立ち上がり、私の顎に軽く触れた。
悔しいけれど、本当に私は傀儡なのだった。
テーブルの上のノートが目に映る。
早く帰りたい。
強くそう願った。