白の神子姫と竜の魔法 第11話
舞踏会というものに出るのは初めてだ。
国王主催なので名だたる貴族が列席し、しかも今回は、諸外国の貴族や王族が招かれている。ジークフリードに叩きこまれた人名は三百をゆうに超えていて、覚えきれているか心配だ。流石に何百人も呼ばれやしないだろうけど、それでも結構な人数だと思われる。
ずっと眠り病に罹っていたリン王妃が、久しぶりに公式の場へ姿をあらわすのだから、大掛かりになるのもわかるのだけど……。
私は偽者なのよー。とほほ。
リン王妃がもう少しで目覚めるんだから、目覚めてから本人に出てもらえばいいのに。
でも、かなりの人員や経費が使われているから、日にちの変更はできない。
ジークフリードが、必死にマナーやらダンスを仕込んだわけだ。
大丈夫なのかなあ。及第点はもらってたけど、見破る人とかいそう。
この間のお見舞いより緊張する。
そうそう、皇太后も第二王子ウルリッヒも出席するらしい。いーやーだな。本性が出て遊んだら困るじゃないの。
でもま、人目があるから、表立って変な真似はしでかしてこないだろう。己の恥になるもんね。
それにしても、重い。
きらびやかなドレスは正式なもので、質素に見せかけて、贅沢な布地がこれでもかとばかりに使われている。多分……余裕で二十キロは超えてると思う。光の神子をイメージして作られているらしく、きらきらと虹色に輝くレースが眩しい。
髪はなんとかつらをつけられ、くるくるとカールした髪が肩や背中に流れている。シルバーのネックレスは、散りばめられた宝石のせいかむちゃくちゃ重い。
全身重くて大変なのに、履いてるのがハイヒールなのよ。転んだらどうするんだ。
そしてこの満身創痍の状態で、ダンスをさせられる私……。
「まあ、とても素晴らしいですわ」
支度が終わると、鏡越しにテレジアが褒めてくれた。
うん。鑑賞する方は嬉しいよね……。
ノートには、鈴は美しく着飾り、別人のようだとある。
どーせ別人ですから。
国王夫妻は、やはりいちばん最後に臨席する。神殿へ向った時の根性で、舞踏会が行われる城の大広間……通称光の間まで歩いた。神殿よりは断然近いけど、動きにくいわ重いわで、こっちのほうがきつく思えた。神殿の時の礼装なんて軽いもんだ。あんなので文句を言ってた自分を蹴り倒してやりたい。
自分を貶したおかげで、少しは緊張がほぐれた気が……するわけない。
「リン」
途中で、王の部屋から陛下が出迎えてくれた。こちらも正装に近いようで、上から下までゴテゴテの装飾の軍服に、白のマントもめちゃくちゃ重そうだ。
陛下が差し出す手に己のそれを重ね、はにかみ笑顔に気をつけつつ、光の間へ辿り着いた。
ここがゴールじゃないってのが、またキツイ。
でも頑張るしかない。
開かれた扉の向こう側は、ものすごかった。
まず部屋! 夜なのに昼のように明るい。いたるところに光石が埋め込まれていて、それが煌めくシャンデリアと一緒になって、部屋中に光を放っている。鏡のように磨かれた床がその光を反射し、その名に恥じない部屋だ。
次に、一斉にこちらを見る、華やかなドレスや軍服や礼装の貴族たち。人の視線って結構な殺傷力があるんじゃないの? 寿命が絶対に数年縮んだわ!
私達が席につくと、舞踏会は始まった。
男女がペアになりあい、手をとって優雅に踊り出すのは壮観だった。全員がダンスをするわけではなく、部屋の端の方で談笑しあっている人達もいる。まるで、元の世界で見た洋画の一場面のようで、夢を見ているような心地がする。
初めての私と違って皆慣れていて、心底楽しそうだ。
物珍しそうに見るのは、久しぶりに出席するとはいえリン王妃らしくないから、私はそれらしく振る舞う。
ちらちらと視線を感じるのは、気のせいではない。眠り病から目覚めた王妃に、皆気が惹かれるのだろう。
次々に挨拶にやって来る招待客に、私達二人はにこやかに対応していく。外国からの招待客は偵察も兼ねているのか、探るような色を瞳ににじませている人が多かった。
それにしても、誰が誰だかわからない。この世界には写真がないから、名前は覚えられても顔がわからない。リン王妃はこういう場に何度も出ていたから、相手は見知っていたりする場合があるので、誰これとは言えない。もっとも、陛下がうまくカバーしてくれてるけれど。
ジークフリードは、陛下の斜め前に立ち、陛下に話題を振られた時にだけ短く答えていた。
侍従が次々に名前を読み上げていく。
「アインブルーメ王国、王太子、ギュンター殿」
その名で、わずかに場がざわめいた。
進んできたのは蜂蜜色の金髪の、ややきつい青の瞳を持つ若い男だった。陛下と同じ年ぐらいだろう。
「喜んで馳せ参じました。お二人におかれましては、お健やかでいらっしゃるようでなによりです」
「三年ぶりほどか、ギュンター殿」
「ええ。遊学で一年という短い滞在でしたが、私が王太子になるために国へ帰ったとき以来です。リン王妃よ、初めてお目にかかります」
微笑みながら僅かにうなずく私を、ギュンター王子はあけすけに見つめた。
「陛下、リン様をダンスにお誘いしても構いませんか?」
ええええええっ!
断ってくれと、はにかみ笑顔の裏側で汗を流していると、ジークフリードが言った。
「今宵は、陛下と臣のみを御相手されます。ご容赦を」
「それは残念」
くすりと笑ったギュンター王子の、探るような視線がさっきより痛い。やだなあこの人。
ギュンター王子を最後に、招待客への挨拶が終わった。その間も舞踏会は続いている。
侍従が飲み物のグラスを捧げてきたので、一口飲む。緊張が続いていて喉がからからだ。テレジアさんは身分柄、この場には出席できない。招待されたのは上位貴族のみだ。
彼女がいてくれたら、もう少しリラックスできたのにな。
「お疲れのようですね」
声をかけてきたのは、真紅のドレスの白木さんだった。神子姫は特別な存在なので、声をかけてもいいらしい。
「いいえそんなことは……。マイ様は……」
よく見ると白木さんは心なし顔色が悪い。どうしたのだろう。
真紅のドレスと美貌がよくあっているだけに、それが浮いて見えた。
「マイ。ギュンター殿の相手を」
唐突に陛下が私を飛び越えて、白木さんに言った。白木さんは一瞬だけ陛下を睨んだけど、おとなしくギュンター王子の元へ行き、ダンスの輪の中へ入っていった。
「あれは、メッテルニヒ公爵へ下賜する事が今日決まった」
「え……」
驚いて陛下を見ると、何故かジークフリードに視線で制された。
「公爵はあれより十ばかり年が上だが、それなりの容貌で性格もいい。きっとマイは幸せになるだろう」
「…………」
何も言えず、白木さんを見た。白木さんはギュンター王子と話をしながら、楽しそうにダンスをしている。
でも、そんな。
あんなに喜んでいたのはつい最近で……。
「そなたが気に病む必要はない。私の決定に意を唱えるなど出来ぬのだからな」
「……メッテルニヒ公爵は、どちらに?」
「あの柱の前にいる」
目を凝らすと、白木さんを見つめている、やや中年の男性がいた。なるほど、陛下には及ばないけれど素敵な人だ。次に白木さんと踊るため、待っているのだろう。隣で話をしているのが、例の第二王子ウルリッヒなのが気になるけど。
「ウルリッヒ殿と親しいのですか?」
「いや? 性格が逆だからな」
この話は終わりだと言わんばかりに陛下は立ち上がり、私に向って手を差し出した。音楽が止まった。陛下に連れられて広間の真ん中まで来て向かい合う。
異様に静まり返り、緊張がこれ以上はないという程高まる。そんなに見ないで頼むから。気になるのはわかるけどさ!
でもここはくそ度胸よ。元の世界に帰るために頑張らねば。
練習通りに優雅に腰をかがめ、陛下の手を改めて取った。
音楽が再び始まった。
ドレスが重たくて苦しいけれど、頑張って優雅にステップを踏む。
皆が見ている。私達の一挙一動を。
一番強く見ているのは白木さんだ。嫉妬を多分に含ませたそれが痛い。
ごめんなさいと、思った。
でも謝れない。それは彼女への侮辱だ。彼女は陛下の心を掴み損ねた。それだけなのだ。
気に病むことはないとは、そういう意味だ。
やがて皆が追従するようにダンスを再開した。
陛下は、力強いステップを好むらしい。やや荒いリードに私がついていく形になった。白木さんの視線はいよいよ強い。
機嫌よさ気に陛下は笑う。
「お人が悪いのでは?」
「私は誘惑にのれなかった。あきらかなあれの魅力不足だ、すぐに手放しても惜しくないほどに」
ひどい男だ。
でもその傲慢さが、陛下に抗えない魅力を与えている。この男に選ばれたいと女に思わせるのだ。私は選ばれたいとは思わないけど。でも今はリン王妃だから、興味のない素振りは出来ない。
「本当はジークフリードにと思ったのだが、断られてな」
「ジークフリードに?」
「ああ。まあ、断られるとは思っていた。奴には好きな女がいる」
胸が怪しく騒いだ。好きな女がいて私をあんな風に抱くなんて……。
「なんだ。気にして。まさかそなた、ジークフリードに心を奪われているのか?」
「まさか!」
それは、リン王妃の演技でも何でもなかった。だからちょっと違和感を感じさせたかもしれない。
皆の踊りの中心で、私は心が騒ぐのを必死に抑えた。
何を騒いでいるの? 不安に思っているの?
ジークフリードが私を抱くのは、魔力を注ぐ必要があるからなのよ。
それ以上でもそれ以下でもないの。
「ジークフリードは、好きな女以外には冷たい男だ。それなのに女が次から次へと寄ってくる。罪作りなことだ」
音楽が切り替わり、私は陛下に再び連れられて、席へ戻った。
ものすごい重労働でよろよろ状態なのに、それを隠して優雅に振る舞うのって大変だ。それなのに私は、ジークフリードにダンスを求められて応じてしまった。むしろ踊りたいと思った。陛下は意外に思ったようだったけど、何も言わずに私の手をジークフリードへ導いた。
特にこれを不思議に思う人はいなかった。誰も注視していない。そういえば稔のあの小説で、リン王妃はジークフリードにエスコートしてもらってたっけ……。
くるくる踊りながら、ジークフリードが目を細めた。
「今日はとてもお美しいですね」
「……ええ。少し大変ですけど」
「その分貴女は、立派に見えます。この場で一番美しいのは貴女だ」
ジークフリードには、いつも貶されているので褒められても疑いたくなる。でも本人は本気で言っているようだった。なんかこの人昨日からおかしいな……。
「お疑いのようで悲しい限りです。でもこれはうれしい誤算でした。貴女は磨けば光る性質らしい」
「私はものじゃないわ」
「そうですとも」
礼装のジークフリードはとてもかっこいい。陛下の時は遠慮しがちだった貴婦人方の視線も、ジークフリードには積極的で熱い。もてるんだろうな……。
目の端に、第二王子ウルリッヒとギュンター王子が話をしているのが映った。白木さんの相手は、メッテルニヒ公爵に変わっていた。
「第二王子と隣国の王太子って、ちょっと、良くない気がする組み合わせね」
「ですが、従兄弟同士になりますから。特に珍しくもない」
「ええ」
「マイ様を真っ先に所望なさったのは、ウルリッヒ様です。もちろん裏が見えているので陛下は却下なさいました。すると今度はギュンター様をすすめるのですから、あそこまであけすけだと陛下も苦笑を隠されるのが大変そうでした」
「し……、マイ様は、大丈夫なのでしょうか」
ジークフリードの私の手を握る力が、不意に強くなった。
「気にされませんように。貴女の罪ではない。陛下の寵が衰えたのにここにいるのは、彼女にも不幸なのです。よくあることですから誰も彼女を貶めやしません」
「でもあの方は……」
「貴女らしい配慮ですが、彼女のためにできることはありません。また、神子姫としての力が、これによって悪く作用されることもありません。御安心なさい」
そう言われても、自分の考えなしの言葉が、白木さんの望まぬ方向へ追いやったという気持ちは消えなかった。