白の神子姫と竜の魔法 第28話

 侍女たちが、おろおろと懇願している。

「お鎮まり下さいませ、王后陛下。どうか、どうか……」

「お前たちこそお下がり。私はその娘にしか用はない」

「王后陛下!」

 王后陛下? そりゃ侍女たちも困るはずだ。一体どういう用事でここへ来たんだろう。というかそもそも、そんな身分の高い人間が案内もなしに訪問なんてありえないと、リン王后教育の時に、ジークフリードに厳しくしつけられた記憶がある。変わった女性のようだ。

 どんな女性か見てみたいのに、オトフリートのでかい背中のせいで見えない。あ、正樹さんか。

「いくら王后陛下と言えど、王太子殿下の后の部屋へ、案内もなしにおいでになるのはいかがかと思われますが」

 正樹さんの咎めに、王后はひるまない。

「お前こそ、この国の人間でもないのに、何故ここに居るのか不思議でなりません」

 そこへギュンター王子が乱入して来た。

「王后陛下! 私の許可もなく后の部屋に入られるとは……っ」

「貴方が、素性の知れない女を囲っていると聞いて、自ら足を運んだまでです。一時の遊び相手なら大目に見ても、后にしようとお考えとは……」

「ご承知なら説明は無用です。お戻りを」

 ギュンター王子は王后の隣を通り過ぎ、私の横に立った。オトフリートはさっと横に退く。

 私の姿を見て、王后は目を見開いた。

「……ロザリン!」

 ロザリン姫と知り合いなのか。挨拶するものなのかどうなのか迷う。でも、死んだ人間のはずの私だから、不気味だろうし。

 結局私は突っ立ったまま、王后を見つめ返した。気高さが漂う物凄い美人だ。

 王后は、しばらくじっと私を見て、やがて深い深いため息をついた。

「……ギュンター殿。この者を、后にするのはまかりなりません」

「姉上にはその権限は無い」

「陛下から、じかにその者を私の目で見、判断するようにとの仰せだったのです。他人を受け入れた娘を后になど、他国になんと笑われよう」

 ふっと、ギュンター王子は笑った。

「貴女の母君のいらした世界ならいざしらず、こちらでは、処女性などほとんど重視されません」

「私の母を愚弄するのですか?」

「いいえ」

 うそつけ。あきらかに馬鹿にしてるよこの男。でも、すごい世界だったんだなあ……処女性重視されてないんだ。なんとなく、ギュンター王子の口ぶりでわかってはいたんだけど。

 それにしても母君って……。

 考え込んでいたら、ギュンター王子が私の手を取った。

「驚かせてすみません。この方はクララ王后。あのジークフリード殿の妹君です」

「ジークフリードの?」

 ぜんぜん似てないけど……。美人しか共通点はない。

 王后は、困ったように顔を横に振った。

「他の高位貴族や王族ならまだしも、その者からは、兄の匂いが強く漂ってくる。そんな者を貴方は后にする気ですか?」

「今に私に馴染みましょう」

「愚かな。白の神子姫になると本人が承諾せねば、この秘儀は成り立たぬ。貴方は姫の意思をもないがしろにしているのです」

 ギュンター王子は面白くなさそうに、王后を見やり、ついで私を見た。

 何?

「ロザリン。すまなかったね。こんなふうだから誰にも会わせまいとしていたのだけれど……」

 いや、なんか絶対その人の意見の方が、真っ当な気がするわ。

「ギュンター殿」

 王后が、ため息混じりに、王太子の名を呼んだ。

「はい」

「貴方も、そこの神官も、肝心な部分を知らぬようです。白の神子姫は、男の体液や抱擁を糧とするが、誰でもいいというものではない」

「何をおっしゃいます?」

 ギュンター王子が、わずかに狼狽した。隣でオトフリートも息を飲む。

「白の神子姫を作りだした者、もしくは親兄弟、姉妹以外の体液のみしか受け付けられぬ。急場しのぎにはなるかもしれぬが、ほんの一時のこと。直ぐに儚くなってしまう」

「馬鹿な!」

 王后は、ゆっくりと私に歩み寄ってきた。

「ギュンター殿。神官。私は今朝、そこのシャルロッテに命じて、私の血液を変化させたものを、その者に与えさせたのです」

 ……あれって、王后陛下の血だったんだ。あれよりはマシだけど……なんか、ちょっとつらい。最近、自分がどんどん化け物じみてると感じるわ。

「宰相の匂いと思ったのは……違ったのか。成程、血が濃いほど匂いは似る」

 オトフリートが呟く。

「シャルロッテ、お前……!」

 ギュンター王子は、ぎっとシャルロッテを睨んだ。しかし、シャルロッテは涼しい顔だ。

「お気の毒な殿下。私が間諜でしたの。もうばれてもかまいませんから、今申し上げますわ」

 ぎりぎりと歯軋りしているギュンター王子に、王后は言った。

「とにかく、このロザリンを愛しているのならば、兄に返しなさい。亡くしたくはないであろう?」

 あの馬車の中での余裕が掻き消え、ギュンター王子は切羽詰った表情で私を見つめた。

 執念と狂気がその双眸ににじみ出ている。

 物凄く嫌な予感がする。離れようとした私の腕を、ギュンター王子はつかんで引き寄せた。痛い痛い! さっきからこればっかし。

「エリアス!」

 ギュンター王子に名を呼ばれ、部屋の隅に控えていた、オトフリートの弟のエリアスが飛び出てきた。

 何故か抜刀している。

 うそ! 冗談でしょうっ。王族のいる場所で抜刀するなんて、反逆罪とかで死刑は免れないじゃないの!

 ギュンター王子は、クーデターでも起こす気なの?

 さすがのオトフリートも仰天したらしい。弟の名を呼んで制止しようとする。

 王后を護る為、王后の親衛隊が身構える。エリアスは彼らをじっと見据えた。

「気が狂われたか? ギュンター殿」

 静かかに王后が言う。刃物が自分に向けられているのに、全く動じていないあたり、さすが一国の王妃だ。

「いたって正気ですよ姉上。私は、どうしてもロザリンが欲しいのです。誰にも奪わせやしない」

 わずかに王后の眉が悲しそうに下がった。

「姫の悲しみがわからぬのか?」

「私が慰めればよいだけです……。エリアス」

 斬れと、エリアスにギュンターが合図する。大勢を前に命じるところを見ると、エリアスは相当なてだれなのだろう。

 部屋に騎士たちが放つ殺気が充満した。

 血を見るのが怖くて、私はとっさに目を瞑る。

 骨に響くような、甲高い金属音がすぐそこに響いた。王后の方からではない。私の直ぐ前だ。

 おそるおそる目を開けたら、何故か、私の前でエリアスが剣を落として床にしゃがみ込んでいた。目のまん前に剣があり、その剣は横に居たオトフリートが握っている。小ぶりなそれは護身用だ。よく弾けたな……! 神官て剣も使えるものなの?

 それよりどういうこと? エリアスは私を殺そうとしたの?

「オトフリート!」

 ギュンター王子が怒りを滲ませて叫ぶ。オトフリートは、すごい力で、私をギュンター王子から引き離した。

「殿下。あんまりではありませんか。手に入らぬのなら殺してしまえ……ですか? それも弟を使って」

「黙れ! お前たちは、私の命令を聞いておればよいのだ。邪魔をするな……!」

 今度は、ギュンター王子自らが剣を抜いた。

 ぎゃーっ! 

 ふたたび肌で判じるほどの至近距離で、金属音が響く。オトフリートは私を守るように抱きかかえ、応戦する。王后の親衛隊は、彼女を守るためにしか存在しないから、加勢はしてくれない。できたとしても、王太子に剣を向けるなど、なかなか難しいだろう。

 もうやだもうやだ。

 なんなのよ、このスリルとサスペンスは!

 命がけの恋愛なんて大嫌い。私はのんびり過ごしたいのよ。何でこんな目に遭わなきゃいけないの?

 だいたい、白の神子姫ってなんなのよーっ!!!

「…………あ」

 心の奥底にある、ロザリン姫の魂の記憶が目を覚ました。

 姫はベッドに横たわっていた。死が彼女の体を覆っていて、今にも命が尽きようとしている……。

 ジークフリードが、悲しそうに彼女の左手をつかんでいる。姫をふったんじゃなかったのかな?

『殿下との婚約を、破棄されてほっとしているわ。私、ずっと、静かに生きていたかったの。静かに、貴方に愛されたかったのよ……ジークフリード』

 ロザリン姫の想いが、私の気持ちと同調した。

『ギュンター様のことは、お兄様のようにしか……思えないの。だから、元の優しいお兄様に戻って欲しいの……』

 痛いぐらいの気持ちが膨れ上がってきて、我慢できない。叫びたいのに叫べない。

『あの方は、私が死んだら再生させようとしているわ。私は嫌。だから、私が変わるしかないの。別の誰かにならなきゃ、お兄様は私を諦めない。はっきりと断らなければ、目覚めてくださらないの。だから、協力して……ジークフリード。お願い!』

 ジークフリードは躊躇っている。冷酷な宰相はそこには居ない。

 ……きっと彼は、周囲に言われるように、ロザリン姫を拒絶してはいなかったに違いない。

 そうなの。

 ロザリン姫。貴女は自分の恋と、ギュンター王子の恋に挟まれて苦しんでいたの。

「別の誰かになりたいの。ジークフリード。貴方を孤独から救ってあげたい。お兄様を狂気からお救いしたい」

 いきなり話し始めた私に、ギュンター王子もオトフリートもぎょっとして剣を止めた。普通なら到底無理な切羽詰った状況なのに、ロザリン姫の声音にはそれを吹き消してしまう威力があった。

「ロザリン、目覚めたのか……」

 ギュンター王子が嬉しそうに言う。あんた、私を今殺そうとしてたでしょうが!

「いいえ、これはロザリン姫の記憶よ。彼女の望みは貴方が正気に戻ることだったの」

「……私は正気だ」

 すると、記憶の中のロザリン姫は否と言う。

 意識していないのに、私の右手が上がった。五本の指先から透明な魔力が零れ落ちていく。今私の体を支配しているのは、ロザリン姫だ。

「ひと時の間お眠りください。目覚めたら……もとの貴方に戻るでしょう」

 透明なその波動が、ギュンター王子を包み込んだ。催眠術にかかったみたいに、王子は床に崩れ落ちる。

 その波動はとても慈悲深く、優しく、ゆるぎない思いに満ち満ちていた。

 誰も何も言わない。言えないのだ。

 ロザリン姫が、記憶の中で幼い頃に戻った。

 そこに居るのはギュンター王子と知らない男の人。多分、アインブルーメ国王だろう。 視界が白くぼやける……。

『貴女の想いは貴女の物よ。鈴』

 ロザリン姫の声だけが響く。

 私は、鈴の姿に戻っていた。

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