白の神子姫と竜の魔法 第30話
白木さんに会いたい。彼女はきっと、オトフリートに詳しいはずだ。だって、私の夢の中へ一緒に入ってきたくらいだし。
私もそんな才能があればなあ。魔力はあるみたいだけど、使い方がさっぱりわからない。
「……ジークフリードに聞くしかないわね。結局、白の神子姫って、なんのための存在なんだろ」
転移する部屋へ向かいながら一人ごちても、前と後ろにいる王后の親衛隊の人は、何も言わない。シャルロッテが居たら、何か嫌味の一つでも言ってくれるのに。
王后の棟を抜け、いくつもの回廊を抜けたところにある、石造りの粗末な小屋が転移専用の建物だった。屋内に床はなく、土が平らになされた剥き出しの地面に、難解な文様と変な文字が円形にのたくっている。
転移陣はその都度書き直すので、土の床が普通使用されるのだ。
「こちらにどうぞ」
親衛隊の騎士の一人が、私を部屋の隅へ誘ってくれた。黒の裾の長いローブを引きずった、魔術師と思しき男性が三人いる。部屋の外も内も親衛隊の騎士が警護して、ものものしい雰囲気が漂っている。
しばらく経って、オトフリートが入ってきた。視線が合うとにこりと微笑みかけてくる。今は正樹さんなのか、オトフリートなのかわからない。
王后が入ってきて一同が敬礼する。
「準備は出来ているようですね」
王后は、人前だと話し方が違う。意識的に使い分けているらしい。
「間もなく、マリクの宰相がこちらに来る。邪な者が邪魔立てせぬように、おのおの注意せよ」
なんか緊張してきた。
ジークフリードに会うの、二週間ぶりぐらいなんだよね。変わってはいないだろうけど……。
しんと室内が静まり返った。
真向かいに立つオトフリートも、隣の王后も、他の皆も、そこに現れるであろうジークフリートを待つ。
転移陣の真ん中には、太陽を現す絵が描かれていた。
帰る時には、あそこへ立つのだろう。
時間にしてみればほんの数分なのに、とても長く感じる。
やっとマリクへ帰れる。ジークフリードと居られるんだ。波乱怒涛もこれまでだ。
ギュンター王子はもう迫ってこないし、私を追い掛け回す事も無い。
マリク王宮の、私に対する認識がどうなったかはわからないけれど、ジークフリードがうまく払拭してくれたはずだ。
静かな風が起こった。とても穏やかで優しい風だ。転移陣を中心にそれは渦を巻き、私たちの髪や服を揺らす。
やがて、太陽の絵の上の宙に光の玉が現れた。そんなに眩しくないからじっと見つめていれば、やがて人の形になって行き、最後にはジークフリードが溶けいるように出現した。
「……フィン」
思わず名を呼んだ私に、ジークフリードは真っ先に歩み寄ってきた。
「お待たせしました、鈴」
うれしくてうれしくて、涙が出そうになるのをこらえる。
人が大勢居る手前、抱きつくわけにもいかない。
だから、頑張って笑顔をつくった。
抱きつきたいのはジークフリードも同じなのが、何となくわかった。ジークフリードも、私と同じ気持ちなんだ。
うれしい。
「兄上、久しぶりです」
王后が頃合を見計らって、ジークフリードに声をかけてくる。
「貴女も。変わりなくお美しい」
「ほほ。相変わらずお上手ですね。兄上こそ相変わらず惚れ惚れするお姿。うれしく思います」
二人の仲はすこぶる良いらしく、見ていて心が温かくなる。
兄妹っていいなあ。
感動の再会の横で、転移陣が書き換えられていく。太陽が月になり、変な字も別の変な字になった。
視線を感じ、顔を向けたらオトフリートと目が合った。
さっきからじっと私を見ていたようだ。わけもなく背中がぞくりとし、思わずジークフリードの袖を掴んだら、わかっているかのように、肩をしっかりと抱き寄せてくれた。
「大丈夫です、鈴」
ジークフリードが耳元で囁く。
転移陣が書き換えられた。
名残惜しそうな王后に、ジークフリードは頭を下げた。
「長居ができませんので、これで失礼します」
王后は寂しそうだ。
「次はいつ、お目にかかれますか?」
「わかりませんが、年内には必ず。この度は私の鈴の為にお手を煩わせてしまいました。お許しください」
「いいえ。私は何もしておりません。でも……どうぞお幸せに」
人前である以上に二人とも重い身分のため、滅多に会えない家族でも、ゆっくりと語り合う事もできない。なんとももどかしそうだ。
私は王后に頭をさげた。
「本当にありがとうございました。王后陛下」
「元気で、鈴。兄上」
私とジークフリード、そしてオトフリートは転移陣の中へ入った。
魔術師たちの詠唱がはじまると、先ほどと同じように風が沸き起こった。転移が初めてで、思い切り緊張している私を励ますように、ジークフリードがしっかりと肩を抱いてくれる。
詠唱が終わった途端、周囲が真っ白になった。
へー……、こんなふうに転移するんだ。
のんきにそんなふうに思っていたら、ジークフリードの手が肩から腰に下がり、きつく抱き寄せられた。同時に宙に思い切り飛び上がられて、首がもげそうになる。
「きゃあっ!」
昨日聞いた、あのいやな金属音が響く。
ちょっと! なんで二人とも剣を抜いてるのよ!
周囲が、白から美しい部屋に変わった。ジークフリードは敷き詰められたじゅうたんの上へ着地し、オトフリートも剣を握ったまま着地する。
この部屋に転移陣はない。陣から陣へ移動するのが普通なのに。オトフリートがやったんだろうか?
「どういうつもりだ、神官!」
「貴方に恨みはありません。ですが、私にはこうするしかないのです」
部屋の隅に天蓋が付いた大きな寝台があり、綺麗な花が花瓶に生けられていくつも飾られている。客間なんかじゃなく誰か住んでいるに違いない。
まさか……。
考えていたら、該当の人物が天蓋のカーテンを引いて出てきた。
ラン様だ。
「……誰ですか?」
その声に、はっとジークフリードが振り向いた。その隙だった。
私は直ぐそこにいたオトフリートに、腰から抱き寄せられていた。ジークフリードが奪い返す間もなく、私はそのまま大きな窓の前までオトフリートに引きずられていく。
「ちょっと、離してよ!」
もがいてもオトフリートの力は物凄く強くて、その左腕は私にきつく巻きついている。
「オトフリート。お願いだから、離して」
「鈴様。貴女はこのまま、私と一緒に光の神殿へ行くのです」
「は? なんでよ」
「ギュンター王子には失望しました。貴女を深く愛していたくせに、あっさりとその想いを手放すとは。あんな者に貴女を托そうとしたとは、我ながら愚かしい」
「それでどうしてこうなるのよ!」
くそーっ外れない。もがけばもがくほど食い込むよ!
「貴女をお救いしたいのです」
またこれか! いーかげんにしろこの石頭め!
「私はジークフリードと居たいの!」
「それは貴女の本当の想いではない! 貴女は支配されているのだ」
剣が飛んできて、オトフリートは私を抱えたままそれをはじき返す。剣は、ラン様の寝台に突き刺さった。
ちょっとちょっと! ラン様そこに居るってばーっ。
ラン様もおかしいよ。こんな恐ろしい状況なのに、ぼやーとして突っ立っている。本当に狂ってしまっているのだろう。
「私をこれ以上怒らせるな……!」
心底怒ったジークフリードの両手が、見る間に竜化していく。黒のうろこが生え、鋭い爪が光った。
「鈴を返せ」
「断る。彼女の不幸を見ていられない」
「ふざけるな!」
ジークフリードが飛び掛ってきた。オトフリートはその鋭い牙を、ことごとく剣で打ち返す。二人とも尋常ではない速さだ。
ばきりと嫌な音がして、目の前で剣が折れた。
「終わりだ!」
柄だけを持つオトフリートに、ジークフリードの鋭い五本の爪が襲い掛かる。それをオトフリートは、己の竜化した爪で弾いた。
それを見てジークフリードは目を見開き、ばっと後ろに下がった。
「貴様……竜!?」
そう、確かにオトフリートは竜だ。
だけど、その鱗の色は、白でも黒でもなく……鈍く輝く銀色だった。