天使のかたわれ 第42話

 深夜、貴明は眠っているところを、麻理子に起こされた。
「……誰だ?」
「ソルヴェイさんです」
「…………」
 差し出された受話器を受け取り、貴明は何だと言った。
『察しがついていると思うけれど、アウグストを無事に返してほしかったら、一億円用意なさいな』
「無事? 人質か? 恵美はどうした?」
『彼女なら奏と結婚したから、それにふさわしい夜をお過ごしいただいてるわ。すごいのよ彼女ったら、無我夢中で奏のプロポーズを承諾したの。余程そちらが嫌だったんでしょうね。うふふふ』
「成程。雅明を売られたくなければ、結婚を承諾しろと言ったのか。鬼畜極まるやり方だな」
『いいじゃないの。奏は貴方に匹敵するほど財も権力もある男よ? 一族の爪弾き者で貧乏な画家の妻より、余程幸せだわ』
 麻理子が気遣わしげに見ているのを感じながらも、貴明は言った。
「雅明は返してもらわなくて構わない。好きにしたらいい」
『なんですって!?』
「貴明!」
 麻理子の責める視線に、貴明の声はいよいよ冷たくなった。
「好きにすればいいと言った。売るなり買うなり、なんとでもすればいい。僕には関係のない話だ」
『へ、へえ……。貴方が私寄りの人間とは思わなかったわ。兄よりお金が大事なのね?』
 主導権が握れないソルヴェイの声が乱れる。
「足を引っ張る人間はいらない。お前の望み通りにしろ」
『……! ええ、好きにしてやるわ!』
 ソルヴェイの腹立ち紛れの声と一緒に、通話が切れた。貴明は黙って麻理子に受話器を渡した。
「本当によろしいのですか? 喧嘩で怒っているだけなら……」
 麻理子の声は貴明を責めていた。当然だった。しかし貴明は首を横に振る。
「あいつもいい大人だ。自分でしでかした事だから、自分でなんとかするだろうよ。こんなくだらない事で一億も出せるか」
「でも恵美さんは」
 貴明の返事はない。
 麻理子の目には、貴明が恐ろしく冷たい人間に映った。ひょっとすると、自分が誘拐されて身代金を要求されても、きっとこんなふうに切り捨てるに違いない。この人は変わってしまったと麻理子の心が冷えた。
「……貴方を、軽蔑してしまいそうだわ」
 それに応えず、貴明は背を向けてベッドに寝転んだ。
 麻理子は受話器を置いて、そのまま部屋を出ていく。自分の部屋で眠るのだろう。
 そこで初めて、貴明は盛大な舌打ちをした。
「この借りは高くつくぞ……!」

 一方雅明は、別のホテルに連れ込まれていた。後ろ手に縛られたままベッドに座らされ、横でフリッツが肩を押さえつけている。
 ソルヴェイが腹立だしげに受話器を叩き置くと、雅明はだから言ったろうと言った。
「あいつは家族よりお金や仕事が大事なんだ。恵美や麻理子を誘拐したって、こんなふうにあっさり切ってしまう」
 ふんとソルヴェイは笑った。
「ずいぶん余裕ね? 貴方はこれからどうなると思ってるの?」
「お前が約束を守るとは思えない。私を調教して売り飛ばすんだろうが?」
「ええ、もちろんそうさせてもらうわ。アネモネ、オークションを再開して」
「はい」
 アネモネが再びノートパソコンを開いた。それを横目に見ながら雅明は言った。
「ソルヴェイ……。こんなことをして幸せになれるのか?」
「お金が入るのなら幸せよ。私は貧乏な画家の妻など絶対に嫌」
「私はそんなに甲斐性がないか?」
「弟に比べたら皆無よ。佐藤貴明は何億もの資産やコネクションを持っているのに、貴方ときたら、何よこれ。預金通帳の残高……百万もないじゃないの!」
 数冊の預金通帳が雅明に投げつけられる。勝手に引き出そうとして、あまりに低い金額にソルヴェイは手を付けなかったらしい。
「百万近くもあればいいだろうが」
「全然足りないわ! ああ……そうそうアネモネ、オークションにミハエルもかけておいて」
 雅明が顔色を変えた。
「お前! 子供まで売るのか?」
 ソルヴェイは笑った。
「当たり前でしょう? 貴方ほどではないけれど、その手の趣味の男や女はたくさんいるの。本当はドイツへ貴方達を連れて帰って売ろうと思ってたんだけど、ここの方がやりやすいようだしね。まったく、あの恵美という女にはいらいらさせられたわ」
「止めるんだ。お前はどうしてそんなことを……」
「貴方が、おとなしくシュレーゲルを継がないから悪いのよ。そうしたら売ったりしなかったわ」
「結婚しようがしようまいが、シュレーゲルはお前を認めない。だから」
 一瞬、二人は見つめ合った。お互いの心の底を覗くかのように……。
「だから駆け落ちをした、でしょう? ばっかみたい。まだ家に居た方が裕福に暮らせたわ。なんにも持たない、顔だけの男と家を出るなんて、馬鹿だったわね」
 ソルヴェイは男達の一人に洋酒をグラスに注がせ、一気にあおった。そしてまた洋酒をなみなみと注がせる。
「貴方とのお話はもうおしまい。アネモネ、さっきのお薬をアウグストに注射して」
「はい」
 アネモネが薬箱を持ってくる。
「ソルヴェイ!」
 雅明が声を枯らして叫んだ。
 絶望が多分に入り混じった絶叫に、ソルヴェイは愉快でたまらない。こうでなければならない。こうやって抵抗して藻掻いて、それでも敵わなくて落ちていく人間を見ていくのは最高の気分だ。
 暴れても藻掻く雅明を、フリッツがベッドに押さえつける。そこへアネモネが注射器を持って近寄り、雅明の肌を消毒して針を刺していく。
「止めろ! 私は……!」
「残念。もう貴方は、廃人になるお薬を注射されてしまったわ」
 ソルヴェイが楽しそうに笑う。
「ソルヴェイ! ……ぁ、…………────」
 すぐに効き出した薬に、怒りに染まっていた雅明の薄茶色の瞳が霞がかっていく。程なくしてぐったりとして、ベッドに沈んだ。
「物凄い効き目ね。これもセットにして売りつけて頂戴」
 薬箱に入っている薬に目をやりながら、ソルヴェイが命令する。
「はい」
 アネモネが、オークションに追加条件を打ち込む。それでも入札金額はどんどん上がっていく。
 後ろ手に縛っている縄をフリッツが解いていく。傷つけない繊維の縄を使っていたので、怪我はない。大事な商品だから傷をつけてはならないのだ。服をびりびりと破いて脱がせると、ため息が出そうになるほどの、美しい真珠色の肌が現れた。男のくせに雅明は女のように美しい。
 確実に高く売れると、ソルヴェイは満足だった。
「フリッツ。素晴らしい性奴隷に仕立てあげてちょうだい。期限は一週間よ」
「はい、フラウ」
 フリッツはうなずき、雅明の腕を引っ張って起こした。とろんとした目の雅明はフリッツをぼんやりと見つめ、黙って横抱きにされる。そのまま浴室に入っていくのを見送って、ソルヴェイはグラスを置いた。程なくして雅明の喘ぎ声が響き始めた。
「まあ、気持ち悪い。あとはまかせたわねアネモネ。予想外のことが起こった時だけ連絡を頂戴」
「はい。あの、仙崎奏はどうされます?」
「ああ、恵美との約束を破った事? 気にもしないわよ。婚姻届にサインさえさせれば、あの女も諦めるでしょうからね」
「そうですね」
 うなずいたアネモネは、再びパソコンに目を落とした。ソルヴェイは部下数人と部屋を出ていく。

 浴室から、フリッツがさらにぐったりとした全裸の雅明を抱いて現れた。
「手荒にしていないでしょうね?」
 アネモネの問いに、フリッツは自分の裸を隠そうともせずに答えた。
「商品価値が下がるだろう?」
「正気の沙汰じゃないわね」
「命令だ。仕方ない。言われた通り、調教風景を撮影しろ」
「わかったわ……」
 カメラを数台用意し、ベッドを中心にさまざまなアングルから撮影できるように、アネモネは設置していく。本格的なアダルトビデオの撮影ではない。素人っぽく撮れというのが命令だった。
「今はいくらだ?」
「もうすぐ二千万円。終了は三日後なのに、どれぐらい釣り上がるのかしら」
「さあな。アネモネ、傷は絶対につけないから、見ているのが嫌なら出て行け」
「嫌だけど見てるしかないの。我慢して頂戴。貴方、見られながらできるの?」
「慣れてる」
「へえ……」
 潤滑オイルをフリッツが手のひらに垂らすと、花のように甘い匂いが広がった。それを雅明の慾や双玉、アヌスへ塗り込めていく。媚薬が配合されているのでうずくのか、雅明が舌っ足らずな声で何かをつぶやいた。唇を重ねると、雅明の両腕が首に絡まり、深く口付けてくる。まるで恋人同士かなにかのような激しさは、大男が自我を奪われた美しい男を犯しているという、背徳的なオプションまで加わって、見る者の嗜虐心を強く刺激させるに違いなかった。
 吸い付くような滑らかな肌に、フリッツは感嘆の息を漏らす。
「素晴らしいな。さすが、ベルギーの娼婦を夢中にさせるだけはある」
「アンネ・ボーデね。彼女の性技がその身体には刻まれてるわ」
「価格がつり上がるわけだ」
 フリッツが雅明を犯している画像は、オークションのサイトとリンクされていて、また入札価格が上がっていく。閲覧数も増えた。音声はないうえコピーは禁止されている。した者は、この人身販売オークションから、多額の違約金が請求されるシステムだ。もちろん、売られる人間の人権になどに配慮しているわけではなく、買う人間が商品の価値が目減りするのを嫌うためだった。
「く……っ…………、ふぅっ……あああっ」
 手慣れた愛撫に雅明が狂ったように悶えるのに、さほど時間はかからなかった。入れてくれとせがむのを、焦らしに焦らしてフリッツが己の慾を挿入すると、閲覧者数が跳ね上がった。
「……っは、……ん……んッ!」
 夢中で腰を振る雅明に、フリッツは調教に慣れているはずなのに、引きずられそうになる。甘美な締め付けと、妖艶な光を放つ双眸、そして男女ともに魅了するその美貌は魔さえ潜ませて、多くの者を今まで狂わせてきたのだった……。

Posted by 斉藤 杏奈