あとひとつのキーワード 第23話(完結)

 ものすごく疲れる一日だった。

 早く家へ帰ろうと北山の屋敷の裏口へあの夢乃に案内してもらった。すると、たまたまそこへ屋敷へ帰ってきた父と出くわした。父は私を見るなり顔を顰めた。

「なんだおまえは。何かを物乞いに来たのか?」

 第一声がそれで、この騒ぎのトドメがこれなのかとがっくりときた。馬鹿馬鹿しすぎて、言い返す気力もわかない。

 母はこの父のどこが一体よかったんだろうか。

「だれよこのおっさん」

 よせばいいのに、またひなりが余計なことを言う。沙彩と同じように父は怒り出した。

「何だこの女は失礼な! ここは私の屋敷だぞ。すみれ、お前の知り合いはどいつもこいつも品がない人間ばかりだな。榊原くん、君にも失望したよ。あんな会社ひとつまとめあげられないとはな!」

 その言葉で、私の父だと察したひなりが、合点がいったらしく両手を打ち合わせた。ああもう駄目だ止めようがない……。靖則も止める気がないらしく、繋いでいる私の左手を握り直しただけだった。

「どうもー北山社長。私は、川舟ひなりと申します」

 名前を聞くなり、父は顔色を変え、はは…は、と愛想笑いを始めた。一体何なんだ。

「これはこれは、リヴァーのご令嬢でしたか。ずいぶんとお人が悪い……」

 父の態度の急変ぶりから、ひなりは随分いいところのお嬢様のようだ。知らなかった……。

「へーえ。うちのこと知ってるんだ。失礼な女って言ったわよね〜。兄さんに告げ口してやろうかしら? 沙彩とそのお母さんに頭が上がらない、北山社長にゴミ扱いされたの〜って」

 父は冷や汗だらだらだ。

「ははは。これは手厳しい。どうぞ中へ。おい夢乃!」

 しかし夢乃は知らん顔だ。帰る最中だから当然だ。清々しいくらいの無視に、ひなりは吹き出した。

「悪いけど、リヴァーはこちらさんとは先月手を切ったばかりなの。社長さんなのに知らないの?」

「いや、それは、その」

 しどろもどろに顔の汗をハンカチで拭く父。ひなりは父の私への仕打ちを靖則から聞いているらしく、攻撃の手を緩めない。

「んで、靖則の会社はリヴァーに統合されたのよね〜。うふ。有能な人材と会社の提供ありがとうって、やり手の沙彩とお婿さんに言っといてね〜。ああ、靖則の会社から無能な重役がそっちに吸い上げられたみたい。害虫みたいに食い荒らすから注意ね。あは、私ってば超親切ね」

「は、は、……は」

 いよいよ父は返す言葉もなくなり、ごまかし笑いをするだけになった。こんな小娘にやり込められるなんて、社長としてどうなんだろう。無能で小心者の坊っちゃん育ちの父は、もうどういう対応をしたらいいのかわからないのだろう。本当にこれで社長なんかやっていられるのだろうか。

 ま……、もう会うつもりもない人だ。

 だから、これだけは聞いておかなければ。

「最後にお聞きしたいのですけど、母は、本当に貴方に助けを求めましたか?」

 ぎくりと父の身体が強張るを見た。

 嫌な予感だけが身体を冷たく侵食していく。

 父は目をきょときょととさせて、靖則と目がばちりと合うと、気まずそうに目を逸した。

「ある日、突然病院から電話をかけてきたんだ。それで……」

 そこで初めて靖則が口を開いた。

「すみれが居ない隙を見計らって、沙彩母娘と貴方は病院へいきなり押しかけた。余命僅かな麗子さんを、散々な言葉で笑いながら甚振ったのを、私は見ていますよ? 私は拘束魔法で動けず、貴方は見ているだけだった」

 靖則の目には怒りが燃えており、その時の情景が浮かべたくもないのに浮かびそうだ。

「もう二度と、すみれに関わるな」

「ひいいいっ……!!」

 靖則の怒りに圧倒され、気の弱い父はその場で腰を抜かして失禁した……。夢乃が慌てている。嫌だろうなこんなおっさんの後始末。

 靖則は深いため息をついた。

「帰ろう。こんな場所、すみれにはふさわしくない」

 見ると、靖則の左手の拳から血が滴り落ちていた。

 夕方になっていた。

 

 私のアパートに帰り、ひなりがスーパーに買い出しに行き、靖則とふたりきりになった。靖則は北山の屋敷を出てタクシーに乗った途端私の手を離し、何かをずっと考え込んでいるようだ。

 蒸し暑かった部屋はクーラーですぐに涼しくなった。取り敢えずお茶を出して靖則の前に置いたけど、目もくれずに難しい顔をしている。放っておこう。言いたくなれば口を開くだろう。

 また二人は泊まるだろうと思ったので、浴槽を掃除して湯を張った。入ってさっぱりして出てくると、靖則が待ち構えていて入れ替わりになった。なんだ、ちゃんと見てたんじゃないの。

 封印が解けても無口だし、無愛想ぶりは地なんだろうな。

 本当、昨日と今日と怒涛の一日だった。もう二度と味わいたくない。

 甦った前世の記憶も凄まじいし、沙彩の病的な執念ぶりは恐ろしいし、父は相変わらず馬鹿だし。馬鹿すぎて沙彩も魔法はかけていないみたい。

 髪を拭いていたら電話が鳴り、出たら会社からだった。会社都合による解雇らしい。ひなりも同じだ。正直、かなりほっとした。

 さて……明日からどうしようか。

 変な魔力だけあるけど、使う気にもなれない。靖則も同じ気持ちだろう。

 ここは前世ではないのだ。

 冷たいお茶を飲みながら壁際に座り込んでいると、靖則がバスルームから出てきた。

「電話が鳴っていましたが?」

「会社。会社都合で解雇だって。ひなりも」

「そうですか。上手く事が運びましたね。来週からはひなりと一緒にリヴァーで働いてもらいますからね」

「は?」

 そんな話は聞いていない。

 靖則は勝手に冷蔵庫からお酒を出して、グラスに注いだ。

「ひなりを通して、ひなりの兄であるリヴァーの社長から、引き抜きの打診が来ていたのですよ。やっと北山が許可を出したようです。今後、北山たちが貴女に手を出すことはあまりないでしょう。興味が失せたようですから」

 あまりってあたりががっくりくる。

「それより私、面接してないし会社もどんなところかわからないのに」

「北山の会社より風通しはかなりいい。大丈夫だ。気にいると思う」

「私の意思はないの?」

「万全の体制が整えられる自信があるところに、すみれを働かせたい。貴女は、私に縋りたくないだろうし、お金は自分で稼ぎたいのでしょう? 言っておきますが、リヴァーは引き抜きなんてめったにしません。ひなりの兄は仕事にはかなり厳しいので、私やひなりが口添えしたところで、眼鏡に敵わなければ絶対に雇ってはくれませんでしたよ」

「……そう。私の仕事ぶりなんて、大したことなかったと思っているけれど」

 靖則はそうじゃないと私に優しく言った。

「大したことあるから、ひなりが兄に引き抜きを打診したんですよ。自信をお持ちなさい」

 靖則に異様に優しく言われると気味が悪い。何かを企んでいそうで。

 それが思いっきり顔に出ているものだから、靖則は妙に寂しそうに笑う。それがまた捨てられた猫か犬みたいで、見ていておかしくなる。

「ジョゼの封印の下で、黄泉の魔法は使いづらかったでしょう?」

「おかげで100年も無駄にしました。もっとも、思ったほどの悪政もありませんでした。あのあとすぐにまたクーデターが起きて、今度は民主化しておりましたから」

「そうなの」

「ええ。宰相が国王になった途端好き放題を始めて、レイナルド王子を惜しむ声が大きくなりすぎましたね。宰相の手下になっていた貴族の半分は、無理に従わざるを得なかった弱小貴族でしたから。そういった者たちが豪商や他国と連携して、クーデター及び、革命が起きました。私はそれをずっと見ているだけでした」

「…………」

 靖則はふふと思い出し笑いをした。

「ねえ、すみれ。いや、ジョゼ?」

「はい?」

「貴女はパザンがすぐに天国に連れて行ったから知らないでしょうが、あの後、貴女を酷い目に合わせた両親と兄が、あの処刑の間に現れて、何度も何度も謝っていたんですよ」

「まさか」

 記憶の中ではかなり虐められてたけどね。特にあの継母がねえ……。

「革命が起きてから、生前ジョゼが粛清しまくった悪い貴族たちの領民や仕えていた使用人たちが、救われたと感謝しに入れ代わり立ち代わり、三人に礼を言ってくるので、良心に耐えかねたのでしょう。あのあとは心を入れ替えて、人に慕われながら良い人生を送ったようです。ジョゼの兄が、貴女の母の麗子さんです」

「!」

「残念ながら、彼女は私に会う直前まで前世の記憶はありませんでしたし、魔力も失っておいででした。もとからなかったのかもしれません。病院訪問の日、沙彩親子と北山社長に用事があると嘘をついて先に帰らせ、私だけ部屋に戻ったんです。麗子さんは、私を見るなり、『レイナルド王子。どうか、ジョゼを、すみれを守ってやってください』と、仰ったんです」

「そんな話、母からは……」

「ええ。その一瞬だけ記憶は戻って、すぐにまた消えてしまったんです。ですから、それ以上の接触はありませんでした」

 靖則は真顔になり、正座して私に頭を下げた。

「あんなに麗子さんに頼まれていたのに、私はひどい仕打ちを繰り返しました。ですから許してほしいなどとは思いません。今日これ以後、貴方の前には姿を現さないようにします。ですが……なにか困ったことがあったら……っ!」

 思いっきり私に横に引き倒されて、私の下になった靖則は背中を打って痛そうに顔を歪めた。受け身を取れなかったらしい。

「馬鹿なの? あんたは私の婚約者なんでしょう? 逃げないで、今までの分を挽回するつもりで、必死に私の幸せのために生きなさいよ。大体いつまで婚約期間なの? 結婚はしないつもりなの?」

 きょとんとした靖則の顔は見ものだった。一瞬何を言われているのかわからなかったらしい。

 それをかわいいと思う私は、頭をどうにかしてしまったようだ。

「……私の妻になるというのですか? 本気で?」

「あの世に行く直前に、許せるかどうか決めてあげる。だから残りの人生をかけて、私のために尽くしてよ。簡単なことよ、一緒に暮らしてご飯食べて話をして、時々旅行して、子供が生まれたら良いお父さんになってくれるだけ。……普通の幸せでいいの」

「すみれ……」

 靖則は泣き笑いの表情を浮かべた。うーん、もともとはこういう男なのかも知れないな。ひなりが本当は素直だったと言ってたような気がする。

 ああ、私ってやっぱり根性悪い。

 男を泣かせるのも楽しいて思うなんて、やっぱりそれは沙彩の姉だからだろうか。

 靖則の手が伸びてきて、私の顔にかかり、見る間に口付けられた。

 ごろりと反転し、私が下になる。

「誓いましょう。貴女を必ず幸せにします」

 いうなり服に手をかけてくる。

 ……レイナルド王子と同じでがっつくのね。記憶が戻ったら全てがはっきり甦ってる。都合のいい女扱いだったせいか、レイナルド王子はジョゼを抱きたい放題だったようだ。ソフィアが怒っても無理ない気がする。でもあの国で、王族は他の女に手を出すのは当たり前だったし、悋気は抑えるしかなかった。それが後の悲劇を生むことになるんだけど……。

「なんか、性急すぎるわ。貴方、大体盛り過ぎなんじゃないの? 玄関でやったりとか、初めてがお風呂無しとか、ありえないわ」

「いつだってほしかったし、今もほしいものですから」

 あっという間に私達は裸で抱き合っていた。

 手練手管が凄いのは何時もと同じだ。好き放題に私をよがらせて、くたくたになったところを攻めまくってくる。この辺りも全く変わらない。

 ……沙彩の魔法がなくても、靖則はサディスト気味なのかも。

「あの…ね、ひなりが帰ってきたらよくない、から」

 貫かれながら、息も絶え絶えに訴えても、靖則の顔は涼しいものだ。

「察しがいいので先程ドアを静に開けて、弁当だけを入れてとっくに帰りましたよ。有能な幼馴染ですから」

 同時に耳朶を噛まれ、たまらない気持ちで身体を震わせる。胸の先を意地悪く摘まれた。

「や……。ど……して、教えてくれないのっ!」

「普通教えませんよ」

「あ……あぁ!」

 靖則に抱かれながら、私は泣いた。

 悲しいからじゃない。

 私は、こんなに愛されていたんだって、信じることが出来たから。

 

 翌日、靖則が出ていった頃を見計らったかのように、ひなりがご丁寧に赤飯などを炊いて持って来てくれた。恥ずかしくてたまらない。

「夕方に結婚届を出すんですってね。靖則ってば惚気けまくってたわよ」

「……私達にかまってないで、自分も彼氏とか見つけたら?」

 布団の中で私は文句を言う。

 靖則が抱き潰してくれたせいで、今日は布団から出られないのだ。

 信じられないわあの絶倫男。今まで沙彩の魔法のせいもあって、かなりセーブしていたらしい。

 靖則は、ひなりのお兄さんに呼ばれ、朝もそうそうに部屋を出ていった。

「やっだー、何この消し炭魚と、野菜をちぎっただけサラダと、真っ黒トースト。靖則でしょ! 組み合わせも調理法もめちゃくちゃ」

 ……くそまずそうな朝食をローテーブルに置いて。

「そうよ。食べる気もしないわ。捨てちゃって」

「努力の跡は認めるけどねー」

「そうね、努力は認めるけど……」

 普通、食べ物を使えば食べ物ができるはずなんだけどな。

 靖則は仕事はできるけど料理は壊滅的にだめらしい。

 朝、二人分こしらえて、普通の顔をしてこのまずい御飯を食べて、さも幸せそうに出ていった後ろ姿を思い出す。

 ひなりはそれを見て、本当に彼氏を見つけなきゃねーと笑った。

 同じように笑って、ふとタンスの上のお母さんの写真が目に入った。

 お母さんは、いつも私を優しく見てくれている。

 

 お母さん、この世に産んでくれてありがとう。

 感謝を込めて手を合わせた。

 【あとひとつのキーワード 終わり】 

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