結城千歳はとある事情で御曹司の世話をする羽目に。その御曹司は出来の良すぎる弟に継ぐはずだった会社を奪われて家を飛び出し、都心から遠く離れた地方都市のおんぼろアパートで一人暮らしをしていた。拒絶する御曹司を千歳は必死に世話をするのだが……。とにかく一途な千歳と、冷たく見えるけど不器用なだけで実はとても優しい御曹司のお話。 注意:心因性失声症の記述が出てきますがあくまでもイメージです。読み物としてご覧ください。またHACCPに関しましても情報が古いのを承知して書いております。ご了承ください。
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結城千歳 25歳 手ひどい失恋をし、シビアに生きる普通の女性。佐藤(石川)将貴 29歳 佐藤グループの御曹司。佐藤佑太 27歳 佐藤グループの社長。佐藤美留 25歳 将貴と佑太の従妹。佑太の妻。佐藤貴明 60歳 佐藤グループの会長。将貴と佑 ...

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 冷房がいささか効き過ぎているスーパーから出た千歳を、夏特有のむわりとした熱気が押し包んだ。入れ替わりに部活帰りの男子学生達が、まるで涼を取りに来たかのようにはしゃいで店内へ入っていく。隣接している駐車場の車はアイドリングなど知らないように ...

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 結城千歳(ゆうきちとせ)は、高校卒業と同時に地方から東京近郷の食品工場へ就職した。地元を離れたのは東京への華やかさに憧れたためでもあり、一方で夢を掴むチャンスが多く転がっているように思えたからだった。夢といっても何かのプロになるとかそうい ...

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「ああ、面接して断られた所に、そういうセクハラする馬鹿建設会社があったね。大気建設だったっけ? 下ネタがんがん飛ばされても笑顔でいないとだめだとか言ったんだってね、そこのクソ面接係。断られて正解だったよ。だって、そういう色気馬鹿ばっかり取っ ...

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「聞いてる?」 記憶の回廊をさ迷っていた千歳は、佑太の探るような声ではっと現実に戻った。多分この佑太という男にはわかっているのだろう。最初から千歳にはYesしか選択肢がないのだと。「お兄さんがまともに食事を摂られるようにしたらよろしいんです ...

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「じゃあ仕事の説明をするよ。まず搬入口。次は倉庫、計量室、野菜室、加熱室、ミックス室、盛り付け室、米飯室、事務所、そして最後に品質管理課へという流れになる。それぞれ朝勤、昼勤、夜勤をしてもらうからかなり体力が居るので体調管理に気を配って欲し ...

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 一週間が過ぎた。 夏なのに分厚いタイツとセーターを着込み、白い作業着を上に着る。そんな千歳を見て、横で着替えていた惣菜室の木村という女性がおかしそうに笑った。「今日から倉庫で作業なの?」「ええ、冷蔵庫の中にいるようなものなので、とにかく寒 ...

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 社食のラーメンセットをトレイに載せて、千歳は休憩室に沢山並べられた机でも一番隅っこにある机を選んで座った。まだ親しく食べる人間がいないのでずっと一人で食べている。この会社は管理する人間だけが社員で、ライン作業するのはパートやアルバイト、派 ...

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 将貴は千歳達にすぐ気付き、靴を脱いで畳に上がりまっすぐ歩いてきた。さっき福沢が言っていた意味がわかった。確かに将貴はどんなぼろを着ていても動きが洗練されていて優雅だ。「思ってたより早かったな。さすがに彼女の帰宅時間が遅いと気になるんだ」  ...

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 外は相変わらずうだるように暑かった。アパートから一番近い田舎の駅から電車で一時間ほど揺られ、千歳はパンツスーツ姿で市街地の大きな駅から出てきた。指定されたホテルは駅前に聳え立つシティホテルだ。ホテル内はクーラーが効いていてとても涼しく生き ...

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「たっだいまー……っと」 帰宅し玄関のドアを開けると、将貴の靴があったので千歳は口を噤んだ。 将貴は確かにご飯を食べるようになったが、それだけだった。たまにお茶が補充されていて使用された食器がきちんと洗われ棚にしまわれている。それ以外は相変 ...

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 恐ろしい暑さの加熱室で千歳は煮込みの作業をしていた。先週まで冷蔵庫と冷凍庫という極寒地獄に居たのに、今度は灼熱地獄だ。惣菜を煮込んだり揚げたり炒ったりする場所なのだから暑くて当たり前なのだが、仕事場の環境が激変し、千歳は北極からサハラ砂漠 ...

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 それから千歳はさまざまな部署へ入った。そして今日は現場で一番最後だという弁当のラインに入っている。10メートルほどあるベルトコンベアがあり、最初に弁当のトレーが置かれ、十人ほどが個々の受け持ちの担当の惣菜をそのトレーへ詰めていく。すべて収 ...

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 鈴木は闇金融の中でもとびきりたちの悪いところからお金を借りていた。破産宣告をしたら殺すと脅され、自分の貯金から支払おうとしたところ、定期預金がたかしによって勝手に解約されていて、7年かけて貯めていた何百万円という金が消えていた。普通預金も ...

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「今日は大変だったな」「皆さんにご迷惑をお掛けしました」 千歳は隣で運転している福沢に頭を下げた。渋滞する国道の交差点も、午後10時過ぎの今は信号を一回見送るだけで済んだ。もしもこれが夕方の5時から6時だと、信号を4回ほど見送る羽目になる。 ...

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 キャベツをざくざくと切り、かつおぶしで煮出しただし汁に油揚げと共に入れる。忘れていた塩わかめを冷蔵庫から取り出してボールに少量入れ、流水で塩を流したっぷりの水で戻す。あさつきはうすくうすく輪切りにする……のが千歳は苦手だ。一体どうしたら将 ...

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 新幹線に揺られながら、千歳は窓から流れていく景色を眺めていた。隣にはサングラスをして深く帽子を被った将貴が眠っている。 あれから千歳は市民病院へ行って内科を受診した。予約していないのにすぐに診察され、そこで柳田からすべての事情を聞いている ...

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「取りあえずそちらのベッドへ」「あの、いいのですか?」「構いません」 千歳は柳田が将貴を運ぶのを手伝った。将貴の身体はかなり軽いようで、柳田は苦もなく横抱きにして部屋の隅にあるベッドへ寝かせる。佑太が面倒くさそうにつぶやいた。「なんだと言う ...

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 翌朝、目覚めた将貴が起き上がろうとしてふらつき、床に倒れた音でソファで寝ていた千歳は跳ね起きた。「将貴さん大丈夫ですか!?」 まだ将貴の身体は燃える様に熱い。千歳がナースコールするとすぐに看護師が現れ、将貴をベッドへ連れ戻すのを手伝ってく ...

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「で、でも、それだとあのお二人は結婚式があげられないままで……」『家へは戻らないけど結婚式は出るよ。それでいいだろう』「それって……」 それでは意味がない。将貴の家族にとって、結婚式云々はおそらく将貴を家へ連れ戻す為の道具に過ぎないのだから ...

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 将貴が離れて身体が開放されると、千歳は深呼吸をした。今頃になって身体が震えてくるのが困る。「……いつから話せる様に?」「ついさっき。というか……今」「なんだってまた突然に」「そんなの俺にもわからないよ」 将貴はそのまま千歳の横に寝転び、息 ...

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 事務所の仕事は精神力がガリガリと削られるというのは、福沢の誇張ではなく本当だった。広い工場での作業や人が行きかうビルの中での掃除と違い、狭い空間でいつも見るメンバーと四六時中一緒に仕事をしているのだ。友達でも家族でもない人間と、学校のよう ...

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 事務所での将貴の評判は、仕事はできるけど何もかも謎な人……だった。一緒に暮らしてキスまでした千歳ですらそうなのだから、あの露出が少ない会社での将貴しか知らない社員達にとってはさもあらんだ。将貴は自分をなかなか語らないし、自分をわかってもら ...

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『千歳……』 初めて聞く甘い声に千歳は自分に覆い被さっている将貴を見上げた。ああ緑色の目だ。将貴もきっと自分以上に興奮している。こんな素敵なホテルで将貴と食事もうれしかったが、その後に泊まったスイートの大きなベッドで抱かれるなんて幸福感が半 ...

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 もんもんとしながら自転車を漕いでアパートに戻った千歳は、玄関の靴を脱ぐ場所に女物の靴を発見して驚いた。リビングの方から明るく笑う若い女の笑い声が聞こえる。将貴が女を連れ込むなど想像もしていなかった千歳は、将貴には妹が居たから彼女かもしれな ...

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 美術館を出ると、福沢の車は高速に入った。なるべくアパートへ帰りたくない千歳は遠出は大歓迎だったが、一体どこへ向かっているのかが気になる。なんとなく嫌な予感だけがした。「ねえ……どこへ向かってるわけ?」「ん? 大阪市内」「大阪ってなんでそん ...

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 わずかな金属音を立てて部屋へ福沢が入ってきたのは、それから40分ほど経ってからだった。ソファで寝ている千歳を見つけて抱き上げ、大きなベッドへ優しく寝かせる。そしてそのままバスルームへ入った。再び千歳のスマートフォンが鳴った。長い間鳴り続け ...

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 将貴が大金持ちの家の御曹司であるのは千歳だってわかっていた。それでも都心部から外れているとはいえ、固定資産税が馬鹿高そうなホテルのような、お城のような、白亜の佐藤邸を見て千歳は帰りたくなった。けたが違いする。佐藤邸を目に入れた瞬間固まった ...

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 将貴が千歳を後ろに下がらせ様子を伺った。自分の家なのにいちいち鍵をかけるのは変だが、他の従業員達と一緒に暮らしているのなら当然だろう。向こう側がいつまで経っても開かない扉に声を張り上げた。「おーい、居るんだろ将貴?」「穂高兄さん?」 将貴 ...

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 夕食会が行われる部屋はとても大きな食堂だった。よくある会社の社員食堂ではなく、やはり西洋の雰囲気が多分に漂う白を貴重とした美しい部屋だった。千歳と将貴は呼ばれるまで部屋に居るようにと言われていたので、執事が呼びに来てから食堂に入ったのだが ...

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「慶佑(けいすけ)って言うんです」「すっごく社長に似てますね」「そう思いますか?」 千歳は子供が大好きだ。美留が生まれてまだ数ヶ月のその赤子を抱かせてくれ、ちいさいのにしっかりとした温かさをもった慶佑に千歳は夢中になった。ふと胸に過ぎるのは ...

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 どうして今頃連絡を取ってきたのか。千歳の貯金を全部返すという愁傷な真似を、たかしがするとはとても思えない。千歳はどん底生活の中で、人間の表の顔と裏の顔の違いを嫌というほど思い知らされてきた。いかにもやくざで乱暴そうな男は全く怖くない。やっ ...

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「帰って来いったら帰って来い! 妻の癖に言う事聞けないのかっ」「何それだっさ! 夫の命令第一だなんて今時犬でも言わないわよ」「結婚式の時に誓っただろ!」「あんなもんキリスト教徒でも無い私が本心で誓うわけないでしょ、ばっかみたい。よくそんなん ...

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 品質管理の社員はパートを混ぜて6名いた。初めてその部屋へ入った千歳を、主任の高瀬という男性の社員が紹介してくれた。「今日から品質管理課に配属されました、結城千歳さんです」「結城千歳と申します。なにもまだわからない状況で皆様にご迷惑をかける ...

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 どうやってここを嗅ぎつけたのだろう。薄気味悪いと思いながら千歳は身体を硬くした。たかしは一人ではなく車からもう一人の男が出てきた。その男も千歳がよく知る人間で、思わず千歳は男の名前を口にしていた。「城崎はじめ……」 相変わらず城崎の左の頬 ...

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 翌朝、将貴は部屋におらず、キッチンへ行ってみても居たのは朝食を作っている朝子だけだった。朝子は千歳に気づいて振り向き、にっこり笑った。「おはようございます」「……おはようございます」「陽輔と将貴さん、一緒に夜に出かけていったきり帰ってこな ...

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 その日は山本のシフトが休みだったので、千歳は赤塚とストレスなく仕事が出来た。食中毒のクレームもないので、たかしは約束を守ってくれている様で千歳はほっとした。にしても昨日想像していたとおり、今日は社員達のあちこちで交わされる言葉が興奮気味だ ...

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「きゃあっ」 俯いて歩いていた千歳は保冷庫を出た通路の角で、コンテナを持って運んでいた将貴に気付かずにぶつかり、見事に床に転がってしまった。「ごめん、大丈夫か? って千……じゃない、結城さん」 千歳はいきなり将貴に会った事に焦り、すぐに起き ...

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「このままでは貴女の評判は落ちるばかり。あの御曹司も庇い立てはできないでしょう? 手遅れになる前に辞めた方がいい」「山本さんは貴方と繋がっているの?」 千歳は膝の上に握った拳を振るわせた。「さあ? 顧客の名前はいちいち覚えていません」「いつ ...

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 それから数週間が過ぎて年末になった。将貴の配慮のおかげで、千歳は幾分かは仕事がやりやすくなった。赤塚と全く同じシフトに将貴が変更してくれ、仕事に支障をきたさなくなったからだ。高瀬主任に将貴は、千歳はまだかなり不慣れでこの先もミスがあるかも ...

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 赤塚のフォローのおかげでなんとか仕事をこなしている千歳は、なんとか今日も無事に仕事を終えた。明日は給料日だ。いつもはうきうきする日だが、今回はそれをまるごと人に差し出さねばならないのでちっともうれしくない。だがそうしなければ将貴が壊れてし ...

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 城崎はちっとも慌てずのんびりとしている。「佐藤グループの御曹司の佐藤将貴君。高校の同期の久しぶりの再会なのにいきなりそれですか?」「お前の今までの行動は、千歳のスマートフォン越しにレコーダーに録音してある。すでに鈴木たかしは警察に捕まった ...

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 千歳はアパートへ連れて帰られた後、自分の布団で泥のように眠った。夢など見ないと思っていたのに次から次へといろんな顔が出てくる。たかしの人を小ばかにしたいやな顔。美しいキャバ嬢。怒る両親や兄。自分を励ます義姉。美留の優しい眼差しと王の目を持 ...

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 眼に入った光景に千歳は目を奪われた。一面に広がるのは美しい花畑で、七色に輝いていているそれは、水晶の粒を花びらに載せた美しいレースのベールだった。「すご……、なんですかこれ」「千歳は本当に何もかも諦めていたから知らないんだな。若い女性なら ...

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 夜に入ったばかりの佐藤邸はにぎやかだった。メイドや従業員達はまだ仕事をしていて照明は明るく、ひっそりとしているのは佐藤の家族が住んでいる独立した棟……プライベートスペースぐらいだ。佑太夫妻は二階、両親である貴明夫妻は一階に住んでいた。その ...

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 少し離れて買い物しようとした千歳の目論見は将貴にはとっくにお見通しで、余計に引っ付かれる羽目になった。従って目立つカップルとしてスーパーでは定着しつつある。今日も店員達のからかい気味の視線が痛い。さっきなどはスーパーの入り口のベンチに座っ ...

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 翌日、千歳は相変わらず自分を無視する山本に挨拶をしてからパソコンを立ち上げた。顔を上げて山本をちらりと見てから何か違和感に気付き、今度ははっきりと見た。明らかに殴られたようなあざが山本の目元にある。「山本さん、それどうしたんですか?」 山 ...

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 結局山本は壁にぶつけたと言い張り、誰も本当の事がわからないまま彼女は定時で退社していった。思えば彼女は家の事情もあるが残業はほとんどない。もともと残業ゼロを目指して皆頑張っている職場なのだが、追加発注などがあるとどうしても残業になりがちな ...

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 翌日、山本を見舞った千歳を出迎えたのは二人の姉妹の笑い声だった。個室に入っている親子三人は久しぶりの親子水入らずの時を過ごしているようで千歳は心から安心した。救急車で運ばれている母親に二人はしがみついて離れず、千歳は救急隊員に頼まれて二人 ...

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 アパートに帰った千歳はキッチンでお茶を入れながら思案に沈んでいた。どちらかというと困惑に近いものがあるがこの場合は思案のほうがふさわしい。原因は当然、いきなり現れた千歳の父親の哲司の事だ。白髪交じりのごましおの髭に日焼けした小柄な体躯…… ...

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 二時間ほど経った頃、将貴の声がした。「ほらほら、真っ暗な部屋で何をやってるのかな? ごちそう作ったから早く食べようよ」 将貴は照明をつけて入ってきて、部屋の隅で丸くなっている千歳の横に座った。エプロンをかけたままなので将貴からはおいしいも ...

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 将貴と千歳はシフトを調整して休みを同時に取り、千歳の家へ挨拶に行く事になった。総務の仕事をしているおかげで事情を知っている矢野に、千歳は時間をずらしていたのにもかかわらずに昼食時に捕まり、またいつもと同じように質問攻めに遭っていた。「そん ...

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 ほぼ一年ぶりの故郷だった。将貴が運転するクラウンに乗り、見慣れた町並みが見えてくるに従って、千歳は懐かしさとともにその優しい物が果たして今までどおり受け入れてくれるかどうか心配になってきた。小さな田舎町だ。千歳の事件はあっという間に広まっ ...

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 その後、男女別にご飯を食べて、千歳は美好とあかりの三人でゲームをしたりして盛り上がった。もっとも妊娠中のあかりは眠りづわりなのだと謝りながら、先に休むと言って夜も早く部屋に戻ってしまったが……。男女別なのはこの辺りにも理由があるようだった ...

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 それから一週間ほど経った頃、比較的に貴明の容態が落ち着いているという事で、千歳の両親と千歳は、将貴の運転するクラウンで東京の佐藤邸へ挨拶のために赴いた。挨拶という名目だが結婚式の打ち合わせが主だった。二人は一週間の有給休暇を取って、この休 ...

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 夕食をメイドが運んできてくれた頃、将貴がその気配で目覚めて天蓋のカーテンを開けた。配膳を手伝っていた千歳は、将貴に振り向き、「寝過ぎです。今何時だと思ってるんですか?」と、笑った。将貴も微笑してわざと壁掛け時計を見上げ、「……夜の7時半か ...

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「離して!」 美留が佑太の腕を振り払い、びっくりしている将貴と千歳の方へ後ずさった。嫋やかな美留の恐ろしく冷たい雰囲気に、千歳は自分に言われたかのような錯覚を受けた。見上げる将貴は厳しい顔をして事の成り行きを見ている。「まるで僕が悪人みたい ...

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 結婚式当日は生憎の空模様で雲がどんよりと厚く垂れこめていた。おまけに雪が散らついている。天気予報は午後から晴れ間が覗くと言っており、11時の挙式の時間に雲が退いてくれたらいいなと千歳は思っていた。 支度を済ませ、後は哲司に連れられて佐藤邸 ...

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 式は厳かに執り行われ無事に終わった。その後の大広間での会食は、厨房チーフの池山が期待してくださいと言っただけあって、すばらしいものだった。雪の中で咲く花をイメージしたというカクテルはうっとりするほどきれいなものだったし、オードブルから始ま ...

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「佑太、……お前が先だ」「なんでしょう?」 やっぱり俺が先だろうというふうに佑太がチラリと将貴を見た。「人目が有る所で喧嘩をするなと言ったはずだが、先日は前の廊下で将貴と喧嘩をしたそうだな。目上に立つ者は感情に流されるなといつも言っていただ ...

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 火葬された貴明の骨壷が祭壇に戻され、ようやく告別式は終わった。ひと月後に教会の隣のお墓に埋葬されるとの事だった。千歳と美留は麻理子を手伝い、弔問客を見送った。後片付けは従業員達が大わらわで行っている。一段落ついたのは夜の9時を回った頃で、 ...

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 ※43話の直後の話です。 弟に皆奪われた馬鹿御曹司。 ありがたくも無い、ひねりが足りない情けない自分の代名詞だ。 部屋が明るい。時計は朝の10時を指していた。将貴は布団からそっと抜けて、隣でまだ寝ている千歳に冷たい空気が触れる前に素早く上 ...

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 身を切るような冷たい風が頬を撫でた。 どこまでも続く田舎の一本道を将貴は一人でとぼとぼと歩いていた。道を取り巻いている裸の田畑にはたっぷりと雪がある。家がある東京は暖かく、雲ひとつ無い青空が広がっていたのだが、このあたりはどんよりと厚い雲 ...

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 やがてやって来た鈍行電車に乗り、がらがらの座席のひとつに座ると、将貴は何故か心が開放されていくのを感じた。外はとても寒いのに車内は暖房が効き過ぎて暑いくらいで、来ていたコートを脱いで膝の上へ置いた。通路を挟んだ斜め向こうに小学生くらいの男 ...

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「うわ、超美少年。どこで拾ってきたのこれ」「人を物の様に言うんじゃない。熊が出たって向こうの華の屋旅館の連中がうるさいから、支配人とうちの連中で山に入ったんだ。そしたらこの子が寝てたんだ」「自殺でも考えてたのかな? 今はまじで熊出るかもしれ ...

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 厨房はかなりハードな仕事場だった。アルバイトをした経験がない将貴はとまどうばかりで、言葉遣いひとつでも沢山注意を受けていた。朝の4時から8時まで働いたあと休憩を沢山挟んで、午後の4時から8時まで懸命に働いた。やらされるのは食材を運んで洗っ ...

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「将貴どうしたんだ?」 料理長の稲田が不審がって聞いてくれる。なんでもないとは言えない。幼い頃から叩き込まれてきた感情のコントロールは今の将貴にはできなかった。そこへ朝子が将貴を呼びに来た。「将貴さんお客さんだって。支配人が呼んでるわ」 将 ...

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 将貴は帰りたくなかった佐藤邸の自分の部屋で目覚めるまで、眠り薬を飲まされた事に気付いていなかった。あの居心地のいい旅館の寮とは違う薔薇の匂いと妙にやわらかいベッドで目覚め、見覚えのある天蓋に心が一気に冷えた。頭痛が酷く眼を再び閉じる。そし ...

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 ある日、麻理子がにこにこ笑いながら言った。「将貴、一度ニードルレースでベッドカバーを作ってみない? デザインはまかせるわ」『サイズは?』「シングルでいいわ。素材はコットンの方がいいの。あのね、貴方が作ったドイリーをデザイナーの方がとっても ...

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 何度目かの電話の音で将貴は目覚めた。時計は午後の10時を指していた。何故か出る気になった将貴は懐かしい名前を耳にした。音声アプリで返事をして、フロントまで降りた。そこには記憶の中の彼女より大人びた朝子が立っていた。将貴を見るなり、朝子はに ...

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「ほら、仏頂面」 車を運転していた佑太は、妻の美留に耳を引っ張られ、危ないじゃないかとその手を払った。もう、佑太の兄の将貴夫婦が住んでいる市に入っており、この田んぼ道をもう少し行けば二人の住むアパートはすぐだ。 田んぼは稲がさらさらと青い葉 ...

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 その日の夜は主に千歳と美留がわいわいと盛り上がって、将貴と佑太がそれに追従する形で楽しく過ごせた。最近ぐずってどうしようもなかった慶祐も始終ご機嫌で、それが佑太にはとても嬉しかった。 車で来たのだから疲れているだろうということで、お開きに ...