頼りにしていた家族達に先立たれて呆然としていた宮家の姫、珠子のもとへ、見目麗しい公卿である中納言兼左近衞大将の惇長が現れ、契約結婚を申し込んできた。さらに陰陽師の安倍彰親にも求愛されてとまどっているところへ、闇の妖の気配が忍び寄ってくる。契約結婚のはずなのに惇長を愛した珠子の恋の行方は……。
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珠子(たまこ) 18歳 没落した宮家の姫君 源惇長(みなもとのあつなが) 27歳 左大臣の三男、左近衛の大将 安倍彰親(あべのあきちか)  28歳 陰陽師 一条 (いちじょう) 25歳 惇長の女房。 源有子(みなもとのゆうこ) 23歳 左大 ...

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 平安の御世。政の中心は数百年前から変わらず、玄武、白虎、青龍、朱雀による四神の守護の恩恵を受ける平安京という都の中にあり、帝を中心とした一部の貴族達の摂関政治が行われていた。 唐の都の長安を模倣して造られたと言われる平安京の規模は、南北を ...

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 一条の外れに物の怪邸と言われるほど荒れ果てた宮家の邸がある。無人ではなくつい最近まで女人二人が暮らしていた。一人は宮家の姫で一人は姫に仕える老齢の侍女だった。 そう由綱が車の外から説明するのを、惇長は扇を口元に添えながら聞いていた。「その ...

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 春の嵐が吹き荒れた。 容赦の無い風は今が満開とばかりに咲き誇っていた桜を吹き散らし、花を愛でていた人々はしきりに残念がった。おまけに夜に入った頃、一条の片隅の邸で火の手が上がり、風に煽られた炎は瞬く間に燃え広がって黒煙を巻き上げ、検非違使 ...

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 それから数日が経った。 逃亡しようとして惇長に捕まった珠子は元の局に戻されてしまい、嫌味女房に監視される毎日に精神的に参っていた。 何をするにしても、嫌味女房があれは駄目、これは駄目と指図するのが気に入らない。姫君らしくないというのが主な ...

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「今朝はお静かになさっておいでですのね。昨日は、それはそれは、ご退屈そうにしておいででしたのに」 朝、激しい痛みに、気持ち悪さや吐き気まで感じだした頃、嫌味女房が角盥(両手に持ち手がついている洗面器のようなもの、つのたらいと読む)を持って局 ...

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 初夏に入ってから、じわりと汗ばむ日が続いていた。 珠子は扇を静かに煽ぎながら、早く目当ての場所へつかないかとばかり考えていた。いくら珍しい野趣あふれる山中でも、そればかり見ていると飽きてしまう。 出発した頃は、御簾越しに外の様子が見えるの ...

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 翌日、一条は坂本の実家へ帰っていった。 代わりに惇長の従者の由綱が女房の役目を果たしてくれたのだが、一条と違って男の由綱は御簾内には入ってこれないため、身の回りのあれこれを惇長が手伝ってくれて珠子は恐縮した。本来ならば、惇長ほどの身分の者 ...

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「貴方……」「妖物に魅入られますよ。気づきませんか? 姫の周りは妖の匂いがぷんぷんします」「貴方には嗅ぎ取れるの?」「皆わかっているはずですよ。でも知らぬふりをしている……」 男は低いが聞き取りやすい声で囁いた。珠子は自分に似すぎているその ...

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 雨が降らず、御簾内からでも陽の強さがわかるほど暑い日々が続いている。昼下がりだけあって蝉の声が騒々しい。 風はどこへ行ったものやら、そよとも吹かない。 珠子は生絹(すずしぎぬ)の薄い単衣を羽織り、長い黒髪を重く暑げに後ろへ流しながら、氷水 ...

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 乞巧奠(きこうでん、七夕祭り)が無事に済み、宿直の惇長はなんともなし清涼殿の廂に座り、ふと置かれたままになっている盥の水面に目をやった。 雲がひとつもなく星星の輝きが美しい。 その美しさには、何か心の奥底にある熱いものを引き出さんとする強 ...

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 暴風で、閉められた蔀戸がたがたと震えた。 降り出した雨が縁や庭の草木を叩きつけ、たちまち濡れそぼっていく。縁も風雨によってびしょぬれになり、煽られた御簾の内側まで雨水が入って来た為、大慌てで女房や家人たちが格子戸を降ろしていった。 おかげ ...

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 師走も中旬に入り、雪が舞い、凍えるような寒さに、人々は火桶に火を起こして暖を取っている。 京から望む山々はもう真っ白で、雪が降ると何も見えない。 珠子は美徳が持ってきた琴を弾く練習をしていた。 弾いているのは、姫君がよくする「|筝(そう) ...

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 几帳を挟んだ向こう側の縁にいる女房に向かって、「弾いていたのは私です。貴女は?」 と、珠子が警戒しながら返事をすると、「こちらは一条殿の局のはずですが、あ、名乗らず失礼を。私は撫子の御方様付きの女房の中務ともうします」 すぐさま相手は名乗 ...

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 女房達は皆撫子の御方の所に集まっているため、寝殿の孫廂(まごのひさし)に人影はなく、珠子は一人で翠野を抱えて彰親からの合図を待っていた。 外の廂まで一緒についてきてくれた美徳は、不安げな珠子に気楽にやるんだよと微笑んで帰ってしまい、惇長と ...

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 それから惇長は、前のように珠子の所へやって来て、一緒に過ごしてくれるようになった。前と違うのは一緒の褥に入ってもなにもしないところで、本当に自分は愛されていないのだなと珠子は辛く思う。 口を聞いてくれてもよそよそしく、局にいる間は目を閉じ ...

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 優雅に扇を広げ、撫子の御方は面白そうに御簾の向こうを見やった。 騒々しい足音と共に女房達が慌てさざめく声がする。やがて撫子の御方が言うとおりに、惇長が部屋に入ってきた。内裏から急いで帰ってきたらしい彼は、黒い束帯姿のままで、撫子の御方の隣 ...

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 子の刻(深夜0時)。 燈台に明るく火が灯され、色鮮やかな衣装の花が咲き乱れている中、珠子は必死に欠伸をかみ殺していた。 東宮のお召しがない夜は、こんなふうに夜遊びが繰り広げられるものらしいが、いつも早く寝ていた珠子にはとんでもない苦行だっ ...

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「中将の君」 いきなり噂の本人の右京の声がして、珠子はびっくりした。桜が飛び起きて局の奥へ逃げていく。 後宮暮らしで一番慣れないのがこれで、人の行き来がとにかく激しい。珠子が几帳越しに顔を出すと、右京がにこやかに微笑みながら局に入ってきた。 ...

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 陣定の席で、惇長は渋い顔を隠しきれなかった。それは中心となっている左大臣も同様で、先ほどから重い沈黙が場を占めている。「漢文の才を見出されて、かの越前に向かわせたというのに、まったく役に立っておらぬ」 右大臣の追及の声ばかりが響き、左大臣 ...

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 広いようでとても狭い後宮に、あっという間に珠子の恋人は彰親だという噂は広まった。広めたのは当然目の前の右京だ。「本当にお似合いよ。彰親様はもう出世は無理だけれど、とても世に重く思われていらっしゃる陰陽師ですもの。なによりあのお美しいお顔が ...

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 一条に呼び出された彰親は、半刻も経たないうちに駆けつけてくれた。みるみる険しい顔になり、「身体の中に入ったのですね。やっかいな……」 と言い、すぐさま一条に必要な道具を用意させ、それらで手早く妖を祓う処置を始めた。「痛むかもしれません」  ...

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 惇長が、高熱でこんこんと眠っている珠子を抱いて彰親の屋敷へ入ったのは、亥の刻を小半時ほど(午後十一時)過ぎた頃だった。雪が降る中、女房の楓が紙燭をわずかに灯して出迎え、先導する。そして惇長の後ろに彰親が続き、用意された局に入った。 惇長は ...

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 翌日はひどい吹雪だった。邸はみしみしと風を受けて軋み、格子や蔀戸の隙間から粉雪が舞い込んでくる。女房や家人たちは建物の中に舞い込んだ雪を外へ掃きだすだけで、これはとても敵わないとばかりにすぐに屋内に篭っていた。 格子が降ろされたままの暗い ...

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 如月に入り、珠子は内裏に戻った。 淑景舎は以前より明るい声に満ちていて、風通しのいい場所に変わっていた。 妖の病魔が去ったせいもあるが、女房の顔ぶれがわずかに変わったのもある。 珠子の天敵の、あの右京が女房を辞めていたのだ。 すっかり元気 ...

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 琴の音や人の笑い声などが、遠くから微かに聞こえてくる。 粉雪が舞い散るこの寒い夜に、弘徽殿で雪を見る為の管弦の宴が催されていた。 弘徽殿には、撫子の御方の姉に当たる保子中宮がお住まいになっており、中宮はとても明るく活発な方と世間では評され ...

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 厳重な人払いがされた。 撫子の御方は気分が優れず暗い顔だった。珠子の兄の美徳に対しての約束が守れなかったのと、次から次へと起こる自分の殿舎での不手際が腹立たしいのである。中務も同じように思っているらしい。惇長は宙の一点を見つめたままだ。  ...

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 珠子の局は、主が居ない為ひっそりと静まり返っていた。 猫の桜はおそらく彰親が連れ帰ってしまったのだろう、いつもの畳の上にその愛らしい姿はない。 衣擦れの音がした。 珠子の留守に入ってきた人影は、極端に細く絞った紙燭(細くねじった紙の先に火 ...

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 雪がしんしんと降り、恐ろしく冷え込む夜の都を、美徳と彰親はゆっくりと歩いていた。 ともに、粗末な傘を被り蓑を羽織って身をやつしている。歩いているのは、二条にある右大臣の屋敷の塀に面した道だった。盗人や強盗が以前より徘徊する物騒な世の中にな ...

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 瞬く間に日が過ぎ、主上の譲位と共に東宮が新たな主上になられ、二の宮で御年一歳になられる永平親王が東宮に御立ちになった。落ち着くべきところに落ち着いたというのが大半の貴族達の意見で、異義を唱える者は少なかった。 少数派だった惇長は、当てこす ...

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 右大臣の屋敷は、朝から妙に騒々しかった。 なにか宴でも催されるのだろう。珠子は関係ないわと思いながら、刺繍をして気を紛らわせていた。 おかしなもので、珠子は右大臣家の暮らしに慣れてしまった。怖いには怖いが今のところ平穏そのものである。 話 ...

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 夜が明けた。 とはいえ、几帳や御簾や格子で隔てられた屋内は、まだまだ薄暗い。 美徳は瞑想をやめ、ゆっくりと目を開いた。 瞑想は、半日に及ぶ日があればすぐに終わる日もある。今日は前日の深夜から、寝ずにそのまま朝を迎えていた。 結局、桜の老木 ...

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「おお……これは素晴らしい」 院が楽しそうに笑まれたのを、惇長はうれしくお見受けした。 珍しく青空が垣間見えていた。御簾越しに見える庭は四季おりおりの木々が趣き深く、こしらえられた池にかかる橋も優美で、敷き詰められた石も宝石のようなまばゆさ ...

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「これはどういう事か説明いただきたい」 惇長は、中納言義行に向き直った。 官位は同じでも、惇長の方が遙かに重く思われていて貫禄もある。 惇長を子ども扱いしている義行には、それが癪に障って仕方がなかった。「どういう事? それはこちらが聞きたい ...

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「やれ! なぜやらんのか。どうなっておるのだ、呪は効いている筈なのにっ」 哉親がどれだけ妖をそそのかしても、触手達は源晶を攻撃しない。 彼の唱える経が恐ろしく清らかで、その音波の前に妖は無力になってしまうのだ。 源晶は触手がうようよと漂って ...

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 彰親の屋敷の庭にも、やはり桜の木があった。 今年は、満開の頃は屋敷の住人はそれを愛でる余裕はなく、何故かいきなり続出したけが人達の対応に追われていた。そして若葉にとって変わられた今、皆一息つけるようになったのだった。 初夏に入った今日は蒸 ...

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 陽が、湖の向こうへ沈もうとしている。 茜色に染まった空と金色に輝く陽を湖が映して、それはそれは美しい光景であるにもかかわらず、百合は鑑賞する気にもなれず大きなため息をついた。「……嫌だなあ。今度の新月の夜か」 家の前を流れる川から水瓶にた ...

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 いよいよ妻問いが行われる日が来た。 今日は、村の若い者が総出で川掃除をする事になっていた。この間の屋敷の掃除のように、あきらかにお見合いの様なもので、昼の間に男はそれとなく女に同意を得たり、気持ちをほめのかしたりする。当然ながら誰も百合に ...

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 百合は、粗末な家の中の、また粗末な褥に美徳を誘った。 全てが使い古されたもので、今日の夜にはふさわしくはない。それが百合にはとても恥ずかしかった。  夜這いの日でなければ、家の中は古くても綺麗に掃除し整頓しているので、見苦しいなどと恥じ入 ...