白の神子姫と竜の魔法 第06話
起きたら、隣にジークフリードがいなくてほっとした。
「痛!」
起き上がった途端、もんのすごい激痛が下半身を中心に走った。
身体を少しでも動かしたら痛むものだから、起き上がるだけで精一杯で、自然に涙が盛り上がってきた。
今日はいい天気みたいで、明るくてさわやかな朝だ。
お部屋はお姫様の部屋みたいに綺麗。
あの高そうな花瓶のお花は、今日も元気に咲いてる。
でも私はぼろぼろだ。
まだ高校生なのに、好きでもない男と変な契約のために寝なきゃいけなくて、(身体は大人になってるけど)好きな人と初めてをするんだと思ってた夢は消えちゃった。
思ったより怖くはなかった。名前は違っても、高校三年間一緒に過ごした稔だったから。
だけど。
くやしいよ。
脅されて初めてを失うなんて最悪でなくてなんだろ。
お父さんもお母さんも悲しむに決まってる。
ノートの呪縛が解けたら元の世界の元の時間に戻れるって言ってたけど、私の初めても戻ってくるんだろうか。
戻ったとしても、記憶が残っていたら初めてじゃない。
魔法のノートがベッドの脇に置かれていて、開いてみたら、白紙部分はあと百ページ以上はある。
まだ当分帰れそうもない。
なんとなく気になって、着せられていたやわらかい白の寝間着のすそをあげ、目に入った物に仰天した。
「なにこれ……」
いたるところについてる赤い斑点。
あいつ変態?
竜の契約ってやつは、こんなふうにしなきゃいけないわけ? 腕をまくってもついていて、もうなんか気持ち悪い。
トントンとドアをノックする音がして、誰かが入ってくる気配がした。天蓋のカーテンでうっすらとしか見えないけど、多分テレジアさんだ。
「お目覚めですか?」
「は、はい」
「朝食の前に、湯浴みをなさいますか? 開けてもよろしいでしょうか?」
「したいです。どうぞ」
裾を直して言ったら、テレジアさんが静かにカーテンを開けた。彼女の背後に二名、若い侍女さんが立っていた。
でも、立てないのよこれが……。
察したテレジアさんが、背後の二人に目配せしてくれて、私は二人の手を借りてなんとか部屋の一角にある浴室にたどり着いた。そこで二人が脱がせようとするから、必死に断って自分ひとりで痛みと戦いながら服を脱ぎ、身体を綺麗にした。
浴室はそんなに大きくなく、浴槽も三人くらいが入れるくらいのものだ。シャワーはないけど、石鹸もシャンプーもいい匂いで、お湯にもなにかいい匂いのするハーブが入っていて気持ちいい。
お湯に入ると、気持ちがほぐれていく……。
湯船ってどう考えても日本人の感覚に近い気がするな。これも今までの神子姫たちの要望でできたんだろうな。
湯浴みの後、朝食を食べていたら、顔も見たくもないジークフリードが現れた。
「何の用?」
「これから先一週間で、このマリク国について詰め込む必要があります。その役目を陛下と交代で私がします。と言っても、今は陛下は多忙でいらっしゃいますので、ほとんどは私がすることになりますが」
「ふうん。暇な宰相さまね」
嫌味はジークフリードには通用しなかったらしい。
「私が働くのはほとんど外交で、今は部下に任せられるものばかりですから。内政は陛下がされています」
「平和なわけ?」
「少なくとも三百年前よりは」
テレジアさん以外の侍女たちは、ジークフリードがはいってくるのと同時に出て行ってしまったので、部屋の中に入るのは私とテレジアさんとジークフリードだけだった。
ジークフリードは、私の真向かいの席に座った。
その顔はいつもと同じで、こちらは必死に昨夜のことを思い出さないようにしているのに、無性に腹が立ってきた。
まあそのお綺麗な顔なら、いっくらでも女の人を食べられて、経験も豊富なんだろうけどさ。私もその一人に付け加えられてるだけだろうし。
こっちは股は痛いし、あられもない声をあげた記憶がふいによみがえってきて恥ずかしいし、なんなのよこの差は。
それもこれもみんなこの男のせいなのに。
「……王妃の部屋にやたらと来たら、いろいろと勘ぐられるんじゃないの?」
「ご心配なく。日参していましたから」
「はあ?」
「リン王妃の教育係をしていたのは私です。陛下より私と話す方が多かったのですよ。誰も怪しみなどしません。ちなみに眠り病に罹られてからも同様で、午前の数時間はこのように参っておりましたから」
「何していたの?」
「もちろん、リン王妃の御為になることを。最近は、貴女の世界へ行っていましたがね」
「分裂してたんじゃないの?」
「そんな魔法はさすがに持っていません。都合のいい時間に行って、ノートを読める者を探していました。ノートは学校を指していましたから、入学して、適当に授業を受けて……」
「サボリ魔だった謎がようやく解けたわ」
「それはよかった」
にこりとも笑わずジークフリードは言った。こちらが本当の性格なんだろうな。思い切り無愛想。
押し殺すような笑い声がしたので、見ると、テレジアが可笑しそうに笑っていた。
ジークフリードは顔を思い切りしかめた。
「テレジア、はしたないですね」
「失礼をしたしました。そんな宰相様は久しぶりで。リン様、宰相様はとても緊張されておいでなのですよ。わかりにくいでしょうけど」
「余計な話をするな」
緊張?
私はぽかんとして、ジークフリードを見た。ジークフリードは無愛想な顔に戻り、緊張なんて感じられないんだけど……。
「テレジア、ここはいいから、他の仕事にうつってはどうか」
「はい、そうさせていただきましょう。よろしうございましたね、意中の君と契約おめでとうございます」
「何を言っているのかわかりませんね。早く行きなさい」
「はい」
くすくす笑いながら、テレジアはお邪魔いたしましたと言って、部屋を出て行った。
なんのことやらさっぱりだ。
意中の君ってなんだ?
でもジークフリードは、私の質問に答えてくれそうもない。さっそく詰め込み会に取り掛かってきた。
「さて、鈴、このマリクについて教えようか」
マリクについての説明はこうだった。
身分がはっきりしており、王族、貴族、庶民、奴隷の位があり、それによって職もわけられていること。
今は戦争はないが、起こる可能性があること。
食べ物は、ほぼ元の世界の西洋のようなものであること。
電気、ガス、水道はなく、代わりに魔法が使われていること。
魔法が使えるのは、魔力がある竜族と限られた人間のみで、魔力のない人間が多いこと。
この国は、黒の竜族という竜と、影の神子、光の神子に護られた、小さいながらもそれなりの勢力を誇っている国だということ。
「竜がいない国もあるの?」
「竜の代わりに、翼を持つ獅子や、角をもつ白馬がいたりします。もっとも、竜が一番魔力が強いです」
魔力が人より強い黒の竜族は、ジークフリードのお父さんの世代の戦争でたくさん死んだらしい。けれど、今はそれなりに数を増やし三百を超えるのだという。そしてその黒の竜族の長というのが、このジークフリードなのだそうだ。
影の神子、光の神子は、国に富と平和をもたらす存在で、普通は自然に召喚されるのだけれど、必要とされると思われた時に、いけにえを犠牲にして召喚される場合もあるらしい。
「いけにえって……可哀想ね」
「栄光な死と言われていますが、それには同感いたします。残された家族は手厚い保護が約束されておりますが、やりきれないものはあるでしょう」
「貴族から選ばれたりしてるの?」
「当然です。選定に不公平があると国が乱れます」
「どちらにしても嫌ね」
「ええ」
ジークフリードは顔をわずかに歪めた。それを見てなんとなくほっとした。脅しつけてきたり卑怯だと思っていたけど、人並みの良心を残しているようだ。
今回の召喚は自然なものだったらしい。
「昔は今より戦争がさかんで、神子が死んだりすることが多かった為、いけにえによる召喚が必要だったのだと思います」
「ふうん……。どこの国でも神子っているの?」
「異質な神子になります。国によって神が違いますので当然ですが」
「へえ」
「ですが、隣のアインブルーメ国だけ、わが国と同じ神を崇めております。したがって、あちらに神子が召喚されればあちらが栄えたりもするわけです」
「それって結構問題があるんじゃ」
「それが今の王妃問題です。マイを王妃に仕立て上げて、支配しようとしているのがアインブルーメですから。前回の召喚はあちらで思いのままにできたでしょうに、欲が深いあちらの国王には閉口しております」
「でもこちらの国の神子なんでしょマイさんは。どうやって隣の国の人が近づけるの? そんなにおおっぴらに歩いているの神子様」
「……陛下の母君がアインブルーメの王女なのです。陛下は前国王の前妻の御子になります。そしてその後妻のアインブルーメ王女……、現皇太后アントニアがお生みになったのが、弟君のウルリッヒ王子です。彼が大層な野心家でしてね。マイを使ってなんとか王位に就こうと必死なのです」
「成程……」
「アントニア様とウルリッヒ様には十分気をつけてください。彼らは白の竜族の血が流れておりますから、強力な魔力もちです。何を仕掛けてくるかわかりませんから」
「竜族って……白と黒とあと何があるの?」
「確認されているのは白と黒だけです。あとは伝説の存在である銀の竜ですが……、伝説に過ぎませんね」
ジークフリードは話し疲れたか、用意されていた水を自らグラスについで飲んだ。
「私が必要になったのは、そのウルリッヒ王子への牽制のためなのね?」
「ええ。同時に隣国アインブルーメへの」
きな臭い話だ。どっぷりつからざるを得ないのが激しく嫌だけど、協力しないと元の世界に帰れそうもない。
早く帰りたいよー。
今ので数ページはいったよね?
なのに、期待をこめてノートを見て仰天した。
”鈴は、宰相に国の説明を受けた”
の、一行だけ。
たったの一行って……。
「ちょっとなんなのこれ! 克明に台詞を書いていくんじゃないの?」
「ああ、時々そうなるようですね」
今日はじめて、ジークフリードがくすりと笑った。
冗談じゃないわよ! 私の苦痛の授業はたった一行で終わり?
腹が立ってノートをべしっとテーブルに叩きつけてやると、おやおやとジークフリードはからかい気味に笑った。
「だって、貴女も昨日の夜を詳細に残されていたら困るでしょう?」
「え? そりゃ、それはまあ」
いきなり気にしていたのを思い出し、したくもないのに顔が赤くなった。
ていうか、なんでそんな話を普通の顔でできるのよこの男は! だから美形って嫌いなんだ。経験豊富で変に冷めてるから!
今言われて、いきなり昨夜がどう記録されているのか気になってきた。
だけどこの男の前でだけは見たくない。
そんなのどんな羞恥プレイよ!
果たして、ジークフリードの顔はもっと意地悪なものに変わった。
「気になるならご覧になればいいのに」
できるわけないでしょうがっ!