ディフィールの銀の鏡 第52話

 波打つ銀髪といい、青い目といい、神がかり的な美しさといい、どう見てもジュリアスだ。

「王……じゃなかった、ジュリアスは何故こちらに?」

「話せば長いのだが、私はジュリアスであってジュリアスではない」

”私”という自分の呼び方に、万梨亜は眉を顰めた。ジュリアスの自分の呼び方は”余”だ。そして今気が付いたが、左手薬指には指輪がなかった。となると、ジュリアスの兄弟という話になる。しかしそんな話はジュリアスから聞いていない。

「私はずっとここに眠り続け、そなたが起こしにくるのを待っていた。何十年も」

「眠り?」

「そして夢を見ていた。ディフィールの王子として生き、そなたと出会う所も、先日の最後の抱擁も……。皆自分が経験した事のように」

 万梨亜は抱擁という言葉がジュリアスの口から飛び出したので、恥ずかしくなり顔を赤らめた。あの時の自分はいつもにもましてジュリアスを求めてはしたなく乱れたと思う。それを目の前の男が夢で見ていたというのだから、恥ずかしいに決まっている。

「私はソロンと言う。王子ジュリアスの分身だ。兄弟でも親子でもなく同じ生命体が引き裂かれたのだ、父である主神テイロンによって」

「引き裂かれた?」

「我々は全く同じ外見で魔力もあるし、当然父母も同じだから神の子でもある。ただ、二つだけ違う」

 目を凝らしてソロンを見たが、指輪以外に何が違うのかわからない。

「私に”真実の眼”はない。そして私の身体には人間の部分は無く、神としての完全体だ。よって普通のやり方では死なないし殺されない、それが大きく違う」

「…………」

「私にとって今回の目覚めは幸福だが、そなたにとっては辛い事だろう」

「何故?」

 ソロンが見えない何かを宙に見た。

「私の目覚めは、ジュリアスの眠りを意味する。私と逆になるのだ。それはディフィールという国にとっては災難だろう、彼の張った結界も消えてしまうのだからな」

「そんなっ」

 万梨亜は地上に戻らなければと扉に振り返った。だが素早く動いたソロンの手に腕を掴まれて寝台に引き込まれ、力強い腕の中に閉じ込められてしまった。

「離してください!」

「離さぬ。ずっと愛おしいと思っていた万梨亜が目に前に居るというのに、手放すものか」

「貴方はジュリアスじゃないっ」

「ジュリアスでもある。彼が死ねば彼の持っていたものが私の中に還る」

「縁起でもない事を言わないで! や……! 離して」

 寝台の上にそのまま組み敷かれてしまい固く目をつぶった万梨亜の耳に、何故か鳥の翼の音がした。

「ヒュエリア、何故邪魔をする?」

 万梨亜の胸の上に神出鬼没の白い鳥のヒューが居て、翼をばたつかせていた。小鳥のままの姿で威嚇する鳴き声をあげ、万梨亜を守ってくれているようだ。

「聞いておらぬぞ、これは父の鳥のはずだが」

「……パラシドスという方に頂きました。消えたり現れたり大きくなったりする鳥です」

 深いため息のあと、万梨亜は自由になった。起き上がった万梨亜にヒューが喜んでいるのかぴいぴいと鳴いて羽をばたつかせ、小さな風を巻き起こした。差し出した万梨亜の両手にちょこんと飛び乗ってまた鳴き、ソロンに振り返りまた威嚇した。

「私もジュリアスだというのにこの差はなんだ」

「だって、貴方には指輪がないわ」

「そのようなもの無くても本物の分身だというのに。ひどいな」

 苦笑したソロンは降りかかる銀髪を背中に流し、お腹が空いたなと言いながら寝台から滑り降りた。ジュリアスなら有り得ないような優雅な物腰で、一瞬万梨亜は見とれた。別にジュリアスが粗暴なわけではなく、優雅さより素朴さが際立つ気がするだけなのだが。

「外にデキウスの気配がする。私を宝石か何かと勘違いしていたようだったが」

「ええ。言う事を聞かないとディフィールを滅ぼすようにケニオンをけしかけると言われて、私はここに来させられました」

「相変わらず喧嘩早い男だ。父が主神の座を渡さぬのも仕方ない」

 ソロンは左右の手を柔らかく広げ、肩幅ほど離した。呪文も詠唱もなしに何かの魔法を発動したらしく、青い光が神殿中に染み渡っていく。しばらく経って青い光は治まり、術をかけ終えたソロンが振り返った。

「もうすぐ食事が来るゆえ、そこの椅子にでもかけているがいい」

「誰も居ない神殿にどうやって……」

「父に頼んで今派遣してもらった……、ああ、招かねざる男まで来るようだ。うっとうしい」

 ソロンが話し終わらない内に、デキウスが乱暴に扉を開けて入ってきた。万梨亜は何とかして部屋から出てディフィールに帰りたいので、デキウスが現れてホッとした。彼が連れてきたのだから帰す事だって出来るはずだ。しかし……。

「どういう事だっ。何故お前がここに居る!」

「わざわざ起こしてくれる者を派遣してくれてありがとうと言うべきか。それにしてもおかしいな……、そなたのような愚か者が入らないようにしていたのだが。ああ、私が目覚めたら結界は消滅するようにしてあったのか」

「話を聞いているのか!」

 デキウスの怒鳴り声をうるさそうに手で払い、ソロンは万梨亜の隣にゆったりと座った。

「聞いている。詳しい話は主神から聞け。私が目覚めたのだから話してくれるだろう」

「何だと……」

 人の悪い笑みをソロンは浮かべた。

「半神のジュリアスも神のソロンも元は同じで一体。そなたのような愚か者が命を狙うであろうと言う事で、主神が分けられたのだ私が生まれた時に」

「そのような事を」

 わなわなとデキウスが怒りで腕を震わせた。万梨亜はまたあの雷が落とされるのではないかと気が気ではない。こんな部屋の中に落とされたりしたら重い石材の下敷きになって死んでしまうだろう。自分は人間なのだ。思わずソロンに擦り寄ってしまい、気づいたソロンがうれしそうに万梨亜の手に自分の手を重ねた。

「お前! 顔が同じなら構わんのか!」

 デキウスの怒りの矛先が、何故か万梨亜に変わった。万梨亜はデキウスの下世話さが嫌になり、目をすっと怒らせた。

「いいえ。私が愛しているのはジュリアス王子のみです。私は逃げようともごまかそうともしませんでした。主神の宝石はあの棚の奥にあるかもしれませんが、こちらの方の持ち物らしいので、貴方が勝手に持ち出すのは泥棒と言えるのではありませんか? それにもう私の役目は終えたはずです、早くディフィールに帰してください!」

「うるさい! 隠したなお前達が」

 万梨亜の代わりにソロンが答えた。

「隠してなどおらぬ。その宝石は即ち私の事であろう。万梨亜がこの部屋に入るまでは、まさしく青い宝石で居たからな。それに万梨亜を帰す事はならんぞ」

 ソロンは涼しい顔で言い、万梨亜の手をゆるりと撫でた。羽毛の柔らかな毛で撫でられるような感覚に身体が熱くなり、万梨亜は顔を赤らめてさっと手を引いた。すると今度は膝の上に抱き上げられ、首筋をきつく吸われた。

「んっ……」

 ヒューがばさばさと飛んでくる音がしたが、今度はソロンの腕は緩まなかった。デキウスは呆気にとられているようだ。他人が居るのに何をすると心は叫ぶのに、身体中の力が抜けて動けなくなった。さっきのしびれと同じだ。

(どうなってるの、これ)

「はな、離して!」

「食事の支度には時間がかかろうから、先ほどの続きをするか。デキウス、お前は邪魔だ」

「お前っ……!」

 デキウスが怒り、ヒューが甲高い鳴き声で威嚇した。ぼんやりとしている場合ではないのに頭に霞がかかったようになった万梨亜は、それが幕の外の別世界のように思えた。

「そなたらがうるさい。出て行け」

 ソロンの手が一人と一羽に向かって振られた途端、部屋が静かになった。再び寝台に運ばれた万梨亜はソロンにのしかかられて、こんなのは駄目だ心で叫びながらも動けない。

「ジュリアスには消えてもらう」

「それは……どういう……」

 ろれつが回っていない万梨亜に気づき、ソロンが万梨亜の額に手のひらを当てた。

「力を抜き過ぎたか。少し戻してやろう。……主神テイロンの跡を継ぐ息子は二人もいらぬ。一人で十分だ。ましてや半分が人間のジュリアスなど必要ない」」

「嫌、そんなの……」

 ディフィールに帰らなければ。今頃ジュリアスは青い石になって転がっているはずだ。そして張られていた結界が消えて、ケニオンや周辺諸国の侵攻が始まっているかもしれない。自分は結局人々を不幸にしてしまった。止めなければ。デュレイスに頼んでどんな事でも聞くからと言えばきっと聞いてくれる。自分はどうなったって構わない、ジュリアスを救いたい。

「デュレイスの許になど行かせぬ。そなたは今日より未来永劫私の傍に居るのだ」

 衣擦れの音と共に結んでいた紐が解かれた。弱弱しい万梨亜の両手はそれを止められない。

「お願い……。私を、ディフィールへ帰してくださ……」

「今頃帰ってももう遅い。無駄だ。そなたと私は共に生きる。早くジュリアスを忘れて、この私を愛するがいい。それが運命だ、逆らうな」

 まとわりついていた服が脱がされて横に押しのけられた。そして同じように裸になったソロンに強く抱きしめられ、万梨亜は愛おしいジュリアスを思い出して胸が張り裂けそうになった。身体だけは同じだ、性格も似ているのかもしれない、でも違う。甘い気分にはなれない。分身は分身でこのソロンは自分が愛したジュリアスではないのだから。

 まるで開けてはならないと言われた箱を開けてしまった、ギリシャ神話のパンドラのようだ。パンドラの場合は最後に希望が残った。今の自分に希望はあるのだろうか。

(このソロンが、ジュリアスを縛る者……)

 自分を縛るものを断ち切ってきて欲しいと、ジュリアスは言った。それはこのソロンを殺して欲しいという事だろうか。そんなはずはない。ジュリアスがそんな酷過ぎる話を万梨亜に持ちかけるわけが無い。

「万梨亜は私が嫌いか?」

 覆いかぶさっているソロンが寂しげに顔を歪める。万梨亜は左右にゆっくりと首を振った。嫌いではないが愛していない。しかし、彼女の意思とは反対にソロンの愛撫は力強さと甘さが増していく。自分を愛でる手の動きはジュリアスそのもので、いやがおうにも思い出した身体が反応してしまう。力が抜けている万梨亜はそれを幸いに思った。何故なら愛撫に応えて熱くなっていく自分への言い訳になる……。

「私のものだ。私だけのものだ、ジュリアスになど返さない!」

 話す言葉までもそっくりで、熱く甘くとろけていく身体とは正反対に、万梨亜は心の中で涙を流した。ジュリアスに会いたい。会って、いつものように意地悪に傲慢に奪って欲しい。意思の疎通が出来ると言ったのはジュリアスなのに、一向にジュリアスの声は聞こえない。嘘つき、と万梨亜は胸のうちで文句を言った。

 燭台の蝋燭の火が静かに揺れ、聞こえるのは二人の男女の吐息と交わりの音だけになった。

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