見つめないで 第17話
いつもの意地悪な忍さんだ。
「原、お前、誰が犯人だと思う?」
お客様を呼び捨てにした忍さんに、私も小寺みちるも驚きを隠せない。でも原様は、先ほどまでの怒りはどこへ行ったのか、忍さんのからかいをたしなめる様に小さく笑っただけだった。
「リネン室に行けばわかると思います。……減っていないスイートのシーツが、答えを教えてくれるでしょう」
それは、暗に犯人が和田チーフだと語っていた。
小寺みちるも、私も、忍さんも、原様も、飯坂部長も、一斉に和田チーフを見た。
「おかしな事をおっしゃいますね」
和田チーフの顔は相変わらず落ち着いていて、何の変化もない。
「いつも午後一時に、クリーニングに出されたシーツ類は戻っています。逆にクリーニングされたシーツで、増えているかもしれません。変なお疑いは止めてください」
忍さんの目が鋭く光った。
「残念ながら、今日のクリーニングの搬入と回収は、クリーニング店の機械の故障で三時間ほど遅れている」
「なんと言われても、私はやっておりませんので」
真剣で斬り合う様なぴりぴりとした空気に、私と小寺みちるは、ハラハラと成り行きを見ているしかない。落ち着いている部長たちを不思議に思う余裕もなかった。
「君は、最終チェックなどしていない。本当は盗品を三杉さんのロッカーへ入れる為に、どこかに隠れて様子を伺っていたんだろう? 大方ロッカー室の近くにある、使われていない会議室か? あそこなら、ロッカー室に出入りする人間が、一目瞭然だからな」
「存じません。第一副支配人の呼び出しの後、仕事をしていた私がなんで……」
「それなら、換えられたツインのシーツはどこにある?」
忍さんの言葉が鋭い刃になって、和田チーフに突き刺さった。
「……それは」
和田チーフのポーカーフェイスが、そこで初めて崩れた。それを見逃さずに、忍さんはさらに問い詰める。
「換えられたなら、リネン室の、クリーニングに出す専用の袋に入っているはずだな? 12階のツインのシーツは全て水色。クリーニング店はまだ来ていない。そのシーツを今から出してもらおうか。換えた分増えているはずだからな」
ここまできたら、小寺みちるにも私にも、忍さんたちがすべての証拠をつかんだ上で、和田チーフに自供を迫っているのがわかった。小寺みちるはめずらしく、あの嫌みったらしい笑顔を浮かべず、異様に冷めた目で二人を見つめている。それがやけに綺麗に見えて、癪に障った。
忍さんの鋭い眼光に、和田チーフは顔色を変えて後ずさり、目を泳がせた。
「私は……」
忍さんはソファから立ち上がる。
「君が三杉さんのロッカーを開けて、盗品を入れる所の映像証拠もある。三杉君のロッカーのドアの通気口から、盗撮したものだが?」
「そんなものなかったわっ!」
叫んで、和田チーフはハッと両手で口を押さえた。
語るに落ちてしまったのだ……。
ふうと、忍さんは大きなため息をついた。
「三杉さんの悪いうわさをばら撒いてたのは、周一郎の指図だろう? 君と周一郎が、愛人関係だってのは小寺から聞いてるんだよ。そろそろ君のロッカーも盗んだ備品でいっぱいだろうからって、挑発してみりゃ早速君は引っかかった」
忍さんは、そうとう怒っているようだ。
当然だろう、彼女はホテルの品質を疑われるようなまねをしたのだから。
それにしてもいつ鍵を盗られたんだろう。思い返して浮かんでくるのはお昼にぶつかった時ぐらいしかない。考えてみればあれは、待ち受けていたように彼女がドアの外にいた。
「私……は。私は……」
和田チーフが、顔を両手で覆って泣き始めた。
「俺の声がかりで入った三杉さんに、君は立場を奪われるかもと不安になったんだろう? そこに、周一郎が近づいたんだな? 馬鹿だな。そんな事しなくても、優秀な君の代わりになんて考えてなかったのに……」
その言葉には、和田チーフに対する哀れみが、わずかに含まれていた。
和田チーフはその場にしゃがみ込み、力なく謝罪を始めた。飯坂部長がそんな彼女に近づいて、さらに聞き取りをするために、総支配人室の続きの部屋へ連れて行った。
「一件落着。良かったわねぇー」
小寺みちるが、うれしそうに笑いながらビールを飲んだ。この女が白だとわかっても、私はこの女を好きになれそうもない。大体なんでこの女と、忍さんのマンションで食事を共にしなきゃいけないのよ。しかもやっぱり作るのは私だけで、忍さんも小寺みちるも見てるだけだし。
「そう怒りなさんなって」
「どうして早野チーフまで、ここにいるんです?」
「だって、春香ちゃんの疑いが晴れた記念パーティーだから」
「そんなのしませんよ!」
まあまあと言いながら、早野チーフは食材を適当に取り出して、つまみを作っていく。料理ができるのか。意外だな。
「純のおつまみはおいしいのよー」
のんきな小寺みちるに、私は対面キッチンから振り向いて怒鳴った。
「あんたも手伝いなさいよ!」
「おーこわあっ。将来妹になるんだから優しくしてよ」
「……笑えない冗談はよして」
私は、すき焼きの鍋で肉を焼きながら、頭痛を感じていた。
一番嫌な流れに話が流れようとしている。小寺みちるはその私にきょとんして、横でビールのグラスをあおっている忍さんに向かって、大きな目をぱちくりさせた。
「あら、忍兄言ってなかったの? 私が妹だって」
「面倒くさいから言ってない」
「……ひっど。意地悪ぅ」
その自分勝手で意地悪なところなんて、あんた達本当にそっくりすぎるわよ! 私と千夏なんて目じゃないわ!
「大体、なんで姓が違うのよ?」
私が文句を言うと、小寺みちるが説明してくれた。
「小寺は母の姓よ。忍兄しか岩崎を名乗るのを許されてないの」
成程。正妻が頑張ってるんだな……。
肉が焼けたので、切った白菜やねぎ等を入れた後、だし醤油を注いだ。
「周一郎兄は根性悪すぎるんだよね。和田チーフはすっかり騙されてたみたい。30過ぎのお局様だから、男性経験なかったのかなぁ」
私は、ずっと不思議に思っていた事を、聞いてみた。
「なんで原さんの部屋に、和田チーフが何かするって思ったんですか?」
空になったグラスに、忍さんは手酌でビールを注いだ。少し入れすぎて泡が盛り上がってわずかに零れていく。
「原は友達でもあるけど、うちとつながりが深い会社の御曹司でね。あいつが宿泊したら、周一郎が俺の信用を失わせようと、何か画策すると睨んだんだ。和田チーフがずっとブス子とペア組んでたのは、どうやってさらに信用を失わせるかたくらんでいたからだ。ま、面白いくらいに決めてきたな」
和田チーフは懲戒免職された。
人望が篤かった人だけに残念がる人は多かった。だけど、盗みを偽装した罪はとても重く、引き止める人はいなかった。驚いたのは清掃係の同僚達が、私を誤解していたと謝りに来た事だ。やっぱり私が、泥棒だと思われていたらしい。
「それにしても忍兄の趣味って地味ー。三杉さんのどこがいーのよお」
小寺みちるが、忍さんの頬をつついてからかった。忍さんはそれを嫌がって腕を振り上げ、殴るまねをする。
「うるさい。お前らさっさと帰れよ。デートしに行け!」
「ご馳走食べたいのにぃ」
「分量が明らかに足りねえだろが! 純。お前、作ったしりから食ってんじゃねえよ!」
見ると、確かに作られていたおつまみが、半分くらいに減っている。いつの間にか、早野チーフは私の缶ビールを勝手に開けて飲んでいた。料理を作るだけマシかと思っていたのにこれだ。
「勝利の美酒は美味しいのにな、みちる?」
「ねー?」
「もう飲んだだろ? 二人とも帰る帰る」
忍さんが早野チーフと小寺みちるに、手をひらひら振って帰れと急かした。
「お姉さん、玄関まで見送ってよお」
「は?」
お姉さんとは私のこと? 冗談ポイすぎる!
「いーでしょ、忍兄ぃー?」
「ブス子、しょうがないから頼む。面倒くせえよこいつらは」
どうやら忍さんは、小寺みちるが苦手らしい。
私は仕方なく二人と玄関へ向かった。
「二人はつきあってるんですか?」
以前、早野チーフがそれとなく漏らしていたのを、私は思い出した。早野チーフは靴を履いた。
「酒飲み友達。時々寝るぐらいかな」
「純とは結婚したくないわねぇ。スマホの中、女だらけだもん」
「みちるも似たようなもんだろう?」
どうやら馬が合うらしい。こうして見ると、美男美女でよく釣り合っている。性格の腹黒さも同じぐらいだろう。
小寺みちるはハイヒールを履きながら、私ににやりと笑った。
「あんたさあ、地味なくせに男泣かせよね?」
「?」
小寺みちるが言っている意味が、さっぱりわからない。泣かされているのは私だ。
「周一郎兄も忍兄もあんたに夢中だよ。周一郎兄もとんでもないよねー、妻の妹に本気だなんてさ。だーから忍兄が取られまいと強引に押し切ったのよねぇ」
わけのわからない話に、頭の中がクエスチョンマークが飛び交う。それなのに早野チーフまでうなずいた。
「なみなみならぬ執心を抱かれてるのは、間違いないね。春香ちゃん、面白いから仕方ないけど」
「何の事よ! だいたいなんで、強引に押し切られたって知ってるの!」
「あら当たったんだ。忍兄の行動パターンだと、そうかなと思っただけ」
「あんたまさか、最初から知ってたの?」
「知ってるに決まってるでしょ。周一郎兄が調べてることは、私に筒抜けなのぉ。私、周一郎兄のスパイだからぁ」
「なんですって!?」
「って見せかけて、こっちについてんの」
かすかな金属音を立ててドアが開いた。もう季節は夏に向かっているから、夜風が気持ちいい。早野チーフが先に出て、小寺みちるも廊下に出たのでドアを閉めようとすると、華奢な手がドアの角を掴んだ。大きな目は小悪魔じみてきらきらしている。
「周一郎兄も忍兄も、サドだから気をつけなよぉ。まだ子供みたいでねぇ、好きになればなるほど苛めるから。災難よねぇあんた」
「はた迷惑だわ……」
「三杉さんのロッカー、開けた時はびっくりしたわ。想像はしていたけどきっちり整頓されて盗品が入っているんだもん」
「……どういうつもりで開けたの。私にお弁当を……なんて親切心はないわよね」
「パンドラの箱を開けるみたいで楽しかった。そうそ、隠しカメラ、あんたの着替えとかばっちり撮れてると思うから、忍兄ぃのおかずになってたりしてっ」
「本当につけてたの!! 外したんでしょうねっ」
「ばーか。あんなの忍兄ぃのハッタリに決まってるでしょっ。じゃあまた会社でねえー」
ばいばーいと手を振り、小寺みちるは早野チーフと腕を組んで、楽しげにエレベーターへ入っていった。向こうは言いたい事だけ言って満足そうだけど、私はたまったもんじゃない。どういう事なのよ!
周一郎さんは、私が好き?
対抗心を燃やしている忍さんは、取られまいとして私を無理やり……? でも、周一郎さんは、私みたいなのは嫌いだって言ってた。
でも、でも、……ああもう考えるのやめやめ!
深呼吸を数回してキッチンに戻った。また考えそうになるのを、沸騰し始めたすき焼きをじっと見る事で阻止する。アクがでたら捨てないと、にごって不味くなるから気をつけないと……。
「ブス子」
「…………」
「おい、無視すんな」
しぶしぶ向こう側の忍さんに顔を上げて、ドキリとした。
澄んだ目が私をじっと見ている。
私は見るのは好きだけど、見られるのは嫌い。注目されるのは大嫌い。
千夏と比べられて、がっかりさせてしまうから本当に嫌。
でも忍さんの視線は、私から絶対に外れない。
「あ……」
鍋が沸騰し始めたので、火力を最小に弱めた。アクを取り終わった私の手に、隣に来た忍さんの大きな手が重なる。
「なあ……、今日、いいだろ?」
耳元で囁かれた、甘さを多分に含んだ忍さんの声に、私の体は熱を帯び始める。忍さんは何も言わない私に、了承したとみなしたのか、抱き寄せてキスする。重なった唇からぬるりとした舌が忍び込み、腰が蕩けそうになった。
キスはとても長かった。抵抗らしい抵抗をしない私はそのまま抱き上げられ、続いているリビングのソファに引き倒された。
「お前が欲しいんだ」
強いまなざしで見つめられて、私はおかしくなる。私が私でなくなって忍さんになってしまいそうな、そんな錯覚。
お願いだからそんな目で見ないで。見つめないで。
忍さんの唇が私の首筋に吸い付き、私はその疼きを逃そうとして、忍さんの背中にしがみついた。