白の神子姫と竜の魔法 第19話
「黒竜公……」
オトフリートがつぶやいた。
黒竜公って、ジークフリードのお父さんよね? 道理で顔が似てると思った……。すごく怖そうで、雰囲気はまったく似てないけど。
そう思った瞬間、突然目の前が真っ暗になり、気がついたら泉の前にいた。
な、何? いきなり外に出てるんだけど……!
瞬間転移をいきなりしないで!
「オト……」
一体、何、と聞こうとしたら、オトフリートは跪いて、私を泉のそばに下ろした。
「鈴、早く、月の映っている部分の水を掬いなさい」
「え?」
「彼らが来る前に。私が詠唱している間に、この神殿の月の泉を飲む。それが魔法を断ち切る唯一の方法ですっ!」
えええ、そんないきなり!
だけど、オトフリートは詠唱を始めた。戸惑いながらも私は泉へ屈み、満月が煌いている水を両手で掬った。オトフリートの詠唱は密やかで、それでいて異様な凄みがあった。
水を飲む。冷たくって無味無臭の、普通の水だ。
短い詠唱はすぐに終わった。
「………………」
終わった……けど?
これで断てたの? よくわからないな。
オトフリートに振り返ったら、ちょうどその時に三人が現れ、ジークフリードが前に進み出た。
「鈴を返しなさい」
「お断りします。処刑をお望みのそちらへ、彼女を返すわけにはいかない」
オトフリートは私を抱き上げる。ジークフリードは目を細めた。
「今朝、王后をかたった女は処刑された」
え? 何言ってるのジークフリード。私はここにいるのに。
「ふ……ははは!」
オトフリートが、神官らしくない嫌な笑い声を立てた。
「おのれの利権のために、他人を犠牲にする……、冷酷さは見事に遺伝しているようですね」
「それがどうした」
「鈴に触れるな!」
近づいてくるジークフリードに、オトフリートが威嚇する。
「触れる権利がないのは、お前だ」
オトフリートの言葉を無視して、ジークフリードはこちらへ歩いてくる。オトフリートは私を横抱きにしたまま、横へ移動し、突然その動きを止めた。
うわっと……怖いってば揺れるんだって! 何だろうと肩越しに見たら、あの従者が通せんぼするように立っていた。
「観念したら? 黒竜公と宰相様を敵に回すなんて、正気の沙汰じゃないよ?」
人を食った言い方は、まさしくあのギュンター王子の従者だ。
「ルーカス、お前はどちらの味方だ?」
オトフリートは、突き上げる激情に耐えかねた声で尋ねる。ルーカスは肩を竦めた。
「ゴメンネ。私は最初っから、宰相様に使われていたんだ」
「なんだと!」
オトフリートは、二人きりだった先ほどの穏やかな語りぶりが、嘘だったんじゃと思うほどの怒気を発する。
「そもそも、あんたと影の神子のおかげで、宰相様は、まだ完全に回復していない王后陛下を、急遽王宮へお連れしなきゃならなくなって、鈴様を塔にぶち込まなきゃならなかった。一人の女性が亡くなったのは、あんたのせいだよ」
よくわからない。誰か最初から最後まで説明してよ! オトフリートは敵なの? 味方なの?
説明を求めて視線をさまよわせたら、近づいてくるジークフリードと目が合った。ジークフリードはうなずいた。
「鈴。貴女を怖がらせる結果になって、すみませんでした。私たちはウルリッヒ王子一派の目を眩ませるために、貴女を王后の代わりに据えました。その神官が邪魔をしなければ、普通に交代できたのです」
「どうしてばれたの?」
「オトフリートが、わざと夢での接触を、ウルリッヒ王子と王太后に見せたからです。偽の王后を据える行為は、国と国王、そして王后に対する反逆および侮辱罪になります。私としては、貴女のためにも、王后のためにも、貴女に塔へ行ってもらう必要がありました」
オトフリートは、突如、狂ったように笑いだした。
「そうか! それこそお前の計画だったんだな」
「何を言っている?」
「私にはわかっている。お前は、自分の思い通りになる人形が欲しかった。お前は私の行動を見て見ぬ振りをしたんだ……お前はっ……何の罪もない鈴を……」
何故か、オトフリートが私を抱く腕を緩めた。重心がふら付き、私まで倒れそうになる。
ちょっと、ちょっと、落っこちちゃうっての。
私は今、立つ力がないのよー!
と思ったら、さっと近寄ってきたジークフリードが、私が床に落ちる寸前にキャッチしてくれた。
ふうう……セーフ……なのかな。
オトフリートは、床にしゃがみこんで震えている。ルーカスがニヤニヤしているところを見ると、こいつが何かしたんだろう。
「貴方一体なんなの? ギュンター王子はどうしたの?」
「俺は兄と一緒にあんたを護るように、宰相様に言われただけさ。表向きはウルリッヒ王子に仕えているけれどね」
「……兄ってまさか」
「そう、あの関所の小隊長さ」
やっぱり。なんか似てると思ってたんだよね。
「ギュンター王子は、アインブルーメの奴らに引き渡した。暴れて大変だったよー。ロザリンロザリンってうるさいのなんの。そこの神官みたいに、すぐに観念してくれたら楽だったんだけど」
「そこまでにしておけ」
ジークフリードが、終わりそうもないルーカスのおしゃべりを止め、私をやさしく抱えなおした。
「鈴、先ほどその男が言っていたように、貴女は精を補充する必要がある」
いきなり言うか! つうかどこから聞いてたのよ! それにさらっと他の人間がいる場所で、そんな台詞を吐かないで欲しい。見てよ、従者のお前ら面白いわって顔を!
「……魔法を断ち切ったわ、私。だから当分必要ないと思う」
「断ち切れていません」
「は?」
なんじゃそら。
オトフリートが辛そうに顔を上げ、ジークフリードを睨んだ。
「嘘をつくな宰相。詠唱の間、わが神殿の光の泉に移った月の水を飲めば、その魔法は解けるのだ」
ジークフリードは何も言わず、あのノートを広げてオトフリートに向けた。オトフリートはそれを目にした瞬間、大きく目を見開いて叫んだ。
「馬鹿な!」
何が馬鹿なの? ジークフリードは私にもノートを見せた。
「え……」
【え……】
言葉が、白紙のノートに浮き上がった。
【鈴は、ジークフリードに魔法のノートを見せられた。そこには変わらず文字が映し出され、魔法が継続されていることが示されていた】
うろたえるオトフリートに、黙っていた黒竜公が口を開いた。
「神官。お前が知っているのは、白の竜族に伝わる魔法、黒の竜族では勝手が違う。種類の違う魔法は、手順を踏んでも解けぬ」
「そんな……!」
「そこまでして我等が憎いか? オトフリート・ラルフ・フォン・ヘッセル」
フルネームを言われたオトフリートは驚き、後ろに後ずさった。黒竜公の睨みは、人をその視線で焼き殺しそうな苛烈さを宿している。
私には、何故オトフリートが、そこまで驚くのかわからなかった。
ジークフリートが言った。
「黒の竜族の魔法では……、作った竜が死ぬまで解けない。竜本人が相手の死を望まぬ限り」
私は、ジークフリードの父親の、黒竜公の領地にある城へ連れて来られた。
アウゲンダギャッズからそこまでは、ジークフリードに聞くところによると最西から最東と遠いらしい。瞬間転移で移動したから、あっという間だったけれど……。
月明かりにも、黒竜公の領地は緑に溢れていて、砂漠の中にあったアウゲンダギャッズとは、ぜんぜん違う肥沃な土地に見えた。そんな中に建てられた城は堅固な作りで、美しさよりとことん実戦用の厳しさが漂っている。国境にある領地だ。戦争に備えているのだろう。
城の周囲はぐるりと水掘が取り囲んでいて、私たちが着くのと同時に跳ね橋が重そうな金属音を立てて、ゆっくりと降ろされた。
「しばらく滞在すると良い。ただし、南の館には近づくな」
黒竜公はそう言って、私には目もくれずに城の中へ入っていった。
……まだ挨拶もしてないんだけど、いいのかな。
ジークフリードが私を抱いて連れて行ってくれたのは、城の西側にある館だった。外からは厳つい感じの城なのに、内部はなかなか華麗な作りで、御伽噺に出てくるような美しい紋様が彫刻されていたり、そこかしこに花がいけられたりしていた。途中で、何人も使用人らしき人とすれ違った。大勢がここで暮らしているみたい。
ひとつの部屋に入り、ジークフリードは私を奥のベッドへ寝かせてくれた。
「ジークフリード……」
名前を呼ぶと、ジークフリードは私の右手を両手で握り、片足を立てて膝をついた。
「何ですか?」
「オトフリートさんは、大丈夫なんでしょうか?」
「貴女が心配する必要はありません。父も私も、あれが小者なのは承知している。貴女に想いを寄せていても、彼はもうなにもできませんよ」
小者って、ちょっとひどくないかな。いい人だったのに。
私を好きだってのは、よくわからないけど。
「余計な情は不要です。彼が夢での接触をわざと見せ付けなければ、貴女を塔に入れたり、連れ去らせたり、危ない橋を渡る必要はなかったのですから」
「でも……」
私を神殿から見送るオトフリートさんは、とても辛そうだった。私に対しては物腰がかなり低かったし、悪い人だったとは思えない。
ジークフリードは、私にたくさんの隠し事をしている。オトフリートさんはその一部を暴いてくれ、私を解放しようとしてくれただけだ。まあ、かなり穴があったけど。
ジークフリードは、瞼をふせた。
「鈴、恐ろしく辛い目に遭わせてすみませんでした。他人の目を欺くために、わざと今まで貴女を護れなかった私を許して欲しい」
「私を殺そうとしたのは……」
ぎゅっと手を握り締められた。
「めくらましです。世界中の人が滅んでも、私は絶対に貴女を殺さない。私は貴女を愛している……」
「私は作り物の人間なのでしょう? 学校の記憶も何もかも嘘なんでしょう?」
「そうです。あれはリン王后の望んだ夢。貴女のものではありません……。でも、貴女は貴女だ」
ジークフリードは熱っぽく、私の右手の甲に口付けた。
じわりと身体の内部が熱くなる。
私も、ジークフリードを愛している。
でも。
今の言葉は、本当だろうか? 信用してもいいのだろうか。
心の中で、警鐘が鳴り続けるのは何故?
「私、ずっとこのまま、あの、ジークフリードに……抱かれなきゃいけないの?」
「嫌ですか?」
右手の指がジークフリードの指と絡み、電流のように熱い何かが流れ込んでくる。これがジークフリードの魔力なんだ……。
「わからないわ……」
立ち上がってゆっくりと屈み込んだジークフリードに、優しく口付けられた。たちまち深くなるそれに、甘く私は蕩かされていく。
だって本当にわからないの。
惹かれているのは確かだ。
だけど、リン王后の髪と夢の記憶と、ロザリンの魂でできている私。彼女たちが、ジークフリードを愛しているのかもしれない。私の気持ちは、彼女たちのものかもしれない。
ああでも……、今はジークフリードに抱かれたい。
何もかも飲み込んで、優しく包んで欲しい。
「……この顔、嫌なの。元に戻せない?」
「もう、元に戻っています。向こうの鏡を御覧なさい」
顔を横に向けると姿見に私が映っていて、本当に元の私に戻っていた。
「……本当だ」
ジークフリードは微笑み、呆気に取られている私に再び口付けた。