ディフィールの銀の鏡 第41話

 ケニオンを中心とした戦火は小さくなりはしたが、依然として平和が訪れる気配は無い。各国はさまざまな取引をして戦争を終わらせようと躍起になっていた。何故なら戦争が起きるたびに農地や街が焼かれて国庫が軍事費に消え、働き手である男達が戦場に駆り出され、どんどん国がやせ衰えていくからである。反対に武器商人達が台頭し、裕福になっていく。戦争をするには武器も人材も必要だ。しかし長期化すれば、無限でないそれらを補給するのに骨を折る。よしんば勝利し相手国を支配できたとしても、あるのは焼け野原と遺体ばかりで負債を背負うようなものになってしまう。

 ディフィールでは膨大な魔力の保持者であるジュリアス王子と、最強の魔力の石を持つ万梨亜が帰還したおかげで、なんとか小康状態を保っていた。二人が居ない間はしょっちゅう他国から攻め込まれていたのだが、ジュリアスが帰還したと聞いた途端に、大半の国はその魔力を恐れて次々と撤退して行ったのである。

 国王テセウスを始め、貴族や兵、国民達はこぞって二人の帰還を歓迎した。しかしジュリアス夫妻は王宮には住まず、あの粗末な家に住んでいる。人がうじゃうじゃいる場所では落ち着かないとジュリアスが言ったからだった。貴族達が彼の魔力におもねようとしてこぞって押しかけたため、テセウスがジュリアスの館のある森の中へ入れないように処置を施したくらいである。

 

「俺は王子にまたお目にかかれて、むっちゃうれしーですっ。当然お后様にもまたキスできる……ひえっ」

「そなたはまだ余の万梨亜にいかがわしい気持ちを抱いておるのか。いいかげん似たもの同士の魔族と一緒になってはどうか?」

 万梨亜にどさくさにまぎれて抱きつこうとしたニケは、抱き着く前にジュリアスに髪を引っ張られた。目に青い炎が宿りそうになり、万梨亜はそそくさとジュリアスの腕を押さえた。

「おう……じゃない、ジュリアス様の席はこちらですよ」

「万梨亜、余はこの痴れ者に罰を与えようとしていたのだが」

 なにやらごねつくジュリアスに、万梨亜はワインのグラスを押し付けた。

「このワインはテーレマコスさんのとっておきだそうですよ。今日樽から出したばかりだとか」

「いや、待て万梨亜」

「はいどうぞ」

 酒壷からなみなみと手際よく万梨亜はワインをグラスに注いだ。そうなるとジュリアスは何も言えず、黙っておとなしくワインを飲んだ。ワインは赤でやや熟成しすぎのように思われたが、それが返って味に深みを持たせていてひどくうまかった。

「これはよい。テセウスが贈り物に使う酒を悩んでいたから勧めても良いな」

「光栄ですが、それでは嫉妬を買いますのでご勘弁を」

 テーレマコスはにこにこ笑いながら、万梨亜を手伝って焼肉を切り分けていた。彼は最近テセウスの相談役のようになっているので、貴族達に嫉妬されやすくなるべく目立たないように配慮しているらしい。

「そうか。まあ……、では少しぐらいわけてやれ。酒豪だから」

「かしこまりました」

 テーレマコスの小さな農家の庭で、万梨亜、ジュリアス、テーレマコス、ニケの四人が二人の帰還祝いをしていた。テセウスが王宮でおおがかりな宴をしようとしたが、ジュリアスは断った。一番の理由は目立ちたくないから、二番目の理由は万梨亜を嫌っている王妃マリアに配慮したからだ。貴族達に二人の不仲を見せるのは良くないと悟ったテセウスは、ジュリアスに従った。

「魔界のほうはどうだ?」

「あー……、またなんか魔王が企んでそうですね」

 ニケはワインを一気にあおってから、さらにつけたした。

「なんか神々と接触しているともっぱらの評判ですよ」

「神々だと?」

「ええ。魔族は神々の気配に敏感ですからね。おそらく城の鏡かなんかで接触してるんじゃないですかねぇ」

「……そうか」

 ジュリアスは万梨亜にワインを注いでもらいながら、何かを考えているようだった。テーレマコスが心配げに言った。

「何か見えるのですか王子?」

「見ようと思えば見えるが、やたらと見まくっては余が疲れる。第一人の心を覗いたりするのは本来の世の理に反しているからしたくない」

「ははあ。しかし、魔王は王子達によからぬ事しかしませんので」

 それは万梨亜も納得だ。いつもいつも魔王は災いばかりをもたらすのだから。するとジュリアスは重々しく首を横に振った。

「確かにあれは災いをよくもたらすが。自分の思い通りにいかないのがよくないという考えはおかしい」

「えー? だって魔王は万梨亜様を陰の気で操ろうとしたり、デュレイスの后をそそのかしたり、悪さしかしないじゃないですか?」

 ニケが反論する。

「さような。確かにそうだ。だが、その結果万梨亜は余の気持ちをはっきりと自覚したし、自分自身にも目覚めた。結果的にはよい方向に終わった」

「結果論に過ぎません。それは王子や主神テイロンのご加護があってこそです」

「どちらにせよ、臆病にびくびくと人を覗きたくって疑心暗鬼になっても仕方あるまい。それこそ奴らの思う壺やも知れぬ。備えはするべきだが必要以上するのはどうか」

 この辺りがジュリアスの王族としての自覚が欠けるところだと、テーレマコスはため息をつきたくなる。ジュリアスが言っているのは一般論だ。平民たちはそれでいいが、王族は国を守る義務がある。守りの備えはいくつあってもいいものだし、警戒も過剰なぐらいでちょうどいい。

 国の要に立つ人間は、常に不測の事態を考えていなければならないし、戦略を立てるにもいくつもの代替案を考えておくのが当たり前だ、多ければ多いほどいい。

(やはり、国王の器ではないか……)

 魔力はディフィール随一でしかも主神テイロンの息子、さらに后が強力な魔力の石を持つ万梨亜。普通ならジュリアス王子のほうが国王にふさわしいと思うだろう。だがこの考え方は平民か世捨て人そのものでとても国王としては無理だ。いつぞやテセウスが言っていたように、国が滅ぶと見えたなら、それも良しとしてしまいそうだ……。そんな国王の下で誰が命がけで戦うだろう。思えば自分が命がけで護ったのは、ジュリアスの深い信頼があったからだった。

(わかってはいたが、残念だ)

 二人が幸せそうにしているのはいいものの、国の平和を思うとテーレマコスはどことなくやりきれないのだった。

 神々が住んでいる天上界は、当然ながら魔界とも人間界とも違う次元である。異世界で一神教なるものが幅を利かせているが、それは異世界での話でこちらでは神は多数いるのが当たり前だった。そして万能でもなく、いずれの神々も欠点や美点が混在している。それはほとんど人間と変わらないのだが、美しさと能力と不老不死と言う点が神々の神々たるゆえんだった。また、天上界に四季は無く、常春でいつも花々が咲き乱れていて平和そのものだ。それが退屈な神々は、時々気まぐれに人間界に降りて厄介事を引き起こしたりする。下手をすると魔族と手を組んでよからぬ魔法を作り上げたり、魔物を生んだりするので、人間にとっては厄介な存在でもあった。それゆえ人間界では神々の神殿をこしらえて祭り、年に数度いけにえなどを捧げて平穏無事を願うのだ。

 美しい水晶の神殿の中で、一人の神が水鏡に向かって寝転びながら話をしていた。水の神のデキウスという。

「だから聞いておるのか。主神テイロンはよりにもよって半神のジュリアスを次の主神にと言ったのだぞ」

『聞いておりますとも。デキウス様には面白くない話でありましょう』

「当然だ。なぜ私と言う存在がありながら父はあのような者を」

『さあて、やはり最愛のペネロペイア女神の息子であるからとしか』

「ふん! あのような女神、一番不細工ではないか。母のフローレと比べてみよ」

『デキウス様は大層なお怒りで……』

 水鏡の中には黒い影と赤い二つの目が揺らめいているだけだった。しかしその声は間違いなく魔王ルキフェルのものだ。

「そなたはずいぶんと奴に詳しいらしいではないか。ヘレネーが言っていた」

『妹と貴方様がお知り合いとは驚きです』

「この間あの女の蛇を借りただけだ」

 デキウスは神々だけが飲む事ができる神酒をグラスであおり、大きく息をついた。

「腹が立つのがこれに反対する者がおらん事だ。みな父テイロンの威光に押されて……ええい、いまいましい」

 腹立たし気にデキウスはグラスを水鏡に投げ込んだ。それは水鏡という媒介を通して、魔境でデキウスと話をしていたルキフェルの手に落ちた。受け取ったルキフェルは、精巧なカッティングが施されている水晶のグラスを見て妖しく笑った。

「水の神である貴方のほうが、次の主神にふさわしいと我も思います」

『そうであろうが! そなたもそう思うだろう?』

 愚か者めとルキフェルは内心で思うが決して口には出さない。神々の内紛や人間界の戦争はルキフェルの最高の遊びだった。できるだけ盛大に起こしたいものだ……。

「とっておきの策がございます」

 ルキフェルは、水晶のグラスに赤い酒を満たした。その禍々しい赤は人間界で流される血のような色をしていた。

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