天使のマスカレイド 第57話

 結婚式当日は生憎の空模様で雲がどんよりと厚く垂れこめていた。おまけに雪が散らついている。天気予報は午後から晴れ間が覗くと言っており、11時の挙式の時間に雲が退いてくれたらいいなと千歳は思っていた。

 支度を済ませ、後は哲司に連れられて佐藤邸内にある小さな教会に行くだけになっていたが、着慣れないドレスや完璧なメイクを施された千歳は早くも疲れを感じていた。カジュアルな服ばかりを好み、化粧すら最近はほとんどしていなかったしっぺ返しを今頃食らっている。

「別人のようよ」

 わざわざ東京まできてくれた義姉のあかりが嬉しそうに言い、椅子に腰掛けている千歳にストローが刺さったお茶のパックを渡してくれた。部屋の中は女ばかりがいて、あかりの他には義母になる麻理子と実母の美好が遠慮がちに微笑む美留の前で、また自分達だけで盛り上がっている。

「別人ですから」

「またまた。これからもどんどんお化粧をして旦那様を振り回したらいいわ」

「こんな面倒してまで振り回したいとは思いません。皮が一枚増えたみたい」

「実際増えてそうね。でもまだ若いからお化粧は剥がれないと思うわ」

 朝早くから起こされて軽い朝食の後、長い支度が始まった。将貴は頑張ってねと無情にも千歳をアマゾネス達にあずけて出て行ったきりで、内心で千歳は今夜は絶対に一緒に寝ないからと恨んでいた。軽いエステはこの数日受けていたので徹底的に肌を整えられるのは避けられたが、それでも入念なマッサージを全身に施されて、千歳はまるで自分は皮を剥かれた玉ねぎのようだと思っていた。

 家族だけの挙式という事になっていたが、佐藤邸内はプライベートスペースの外でも早朝からざわついていた。将貴の部屋には次から次へとお祝いの花や祝電が運び込まれてくるし、前日からいつもに増して邸内は磨き上げられ、式にふさわしい花々や絵画が至るところに飾り付けられた。

「佑太さんや美留さんの式じゃないんだけどな」

「馬鹿ね。将貴さんは佐藤の一族の長兄よ? いくら内輪だけにしたいと思ってもどうやったって注目を浴びるからこうなるわ。皆祝ってくれてるのね……私、こんな豪華なお式は初めて」

「いいのかな?」

「祝われている側は嬉しそうに幸せそうにしていていいの。皆その幸せの御裾分けを望んでるんだから」

 周囲を見回し、千歳は美留が控えめに美好達の会話に参加しているのを見やった。いつも通りの彼女に見えるが、先日あれからどうしたのだろうとは思わずにはいられない。

 あの翌日、将貴は午前中に調子を崩したのに、千歳の前に現れた美留は泣いていた前夜の気配などみじんも感じさせない笑顔で、千歳のためにドレスを選び出してはあててくれた。聞くものではないとわかっていても、千歳は気になって聞きたくて仕方がなかった。しかし皆その話題をふる隙を与えまいと示し合わせているかのように、次から次へとドレスを運んできては、明るく楽しい話を千歳にするので何も聞けなかった。

 愛し合っていると思っていたのに、一体佑太と美留はどういう夫婦関係なのだろう。麻理子も知っていて周囲にばれないように気を配っているようだ。

 千歳と目がバチリと合い、麻理子が微笑みながら近寄ってきた。

「将貴はもうすぐ来るわよ……」

 最後まで言い終わらないうちに当の本人の将貴が部屋に入ってきた。白のモーニングコートを着て、千歳の持っているブーケと同じピンクの薔薇のブートニアを胸に挿している将貴はいつもに増して神々しくて、一瞬千歳はドラマに紛れ込んだ気がした。

「千歳さんはどうかしら、将貴?」

 千歳は一瞬で将貴の眼の色が緑に変わるのを見てしまい、顔があげられない。どこかきっとおかしいに違いない。やっぱり自分はもっと大人しいドレスの方が良かったんだと後悔の臍を噛んだ。千歳のドレスは、あれこれあててみても決めかねている千歳を見て麻理子が出して来てくれたもので、昔、麻理子が結婚式で着たというプリンセスラインのシンプルな純白のドレスだった。

「駄目だわ千歳さん」

 麻理子がダメ押しの如く言った。千歳はやっぱりとブーケを抱きかかえいたたまれなくなった。ドレスは変えてもらった方がいい……、そう言おうと顔をあげかけた千歳はぴくりとも動かない将貴にやっと気づいた。

「?」

 将貴はわずかに口を開いたまま、じっと千歳を見下ろして動かない。まるで時が止まったようだ。自分にドレスが似合わなくて黙り込んだのかと千歳は思っていたのに、そうじゃなくて将貴の方がおかしいらしい。皆は笑いを含んだ目で二人をじっと見ている。

「どうしたの将貴さん?」

 それでも将貴は動かないので、千歳は将貴を揺さぶろうと思い立ち上がった。白無垢に比べてマシだと美留が言ってくれても、やっぱりドレスは動きにくいし重たい。おまけに普段は履かないハイヒールを履いているので、体重の移動がうまく行かなくて、なぜこんな歩きにくいものを花嫁に履かせるのか理解不可能だ。そしてそのよろめく千歳を見ても将貴は動かないのだ。

 麻理子がくすくすと笑いながら言った。

「やっぱり駄目だわ。将貴ったら千歳さんが想像以上に素敵すぎて思考停止しちゃってるもの」

「それって……」

 わかっていない千歳がまたおかしく、麻理子が笑うのに釣られて美好も美留も笑い、千歳と将貴を除いた全員が大笑いした。その笑いで将貴は呆けていた自分に気づき、気まずそうにコホコホと咳をして何かをごにょごにょと口の中でつぶやいた。

 耳まで赤くして将貴がようやく言ったのは、じゃあ後でという彼らしくないそっけないもので、呆気に取られたままの千歳を放置して部屋を逃げるように出て行った。その後姿があまりにも情けないものだった為、さらに女達は笑い転げ、まだ状況がよくわかっていない千歳だけがぼんやりとしている所へ、黒の礼装の哲司が部屋へ入ってきた。

「もう時間だから千歳を迎えに来たぞ。将貴君が顔真っ赤にして廊下走ってたが、何かあったのか?」 

「千歳が綺麗すぎて恥ずかしかったみたいですよ」

 まだ笑いながら美好が言い、ふーんと言いながら今度は哲司がじっと千歳を見た。べらんめえな哲司の礼装姿はなかなか格好が良かった。タキシードなどは胸で着ると言われているが、哲司は仕事柄全身がかっちりとしていて見苦しくない。

 これで口を開かなければ素敵なおじさまで済むのに、哲司が言ったのは、

「なんだ。お前女だったんだな」

という、情緒もへったくれもない言葉だった。それが照れ隠しだとわかっている千歳は女なのよと微笑み、哲司が差し出した手を取った。女達は二人を教会で出迎えるために、二人より先に部屋を出て行った。

 歩きにくいハイヒールで危なっかしい足取りの千歳を、哲司は慣れない手つきで懸命にエスコートしてくれた。いつもはそんなの軟弱男がやる事だと言っていたエスコートを、今日だけはやってくれるのが千歳はひどく嬉しかった。二人を見る従業員たちは皆拍手をしてくれた。

 教会は裏庭を通り過ぎた、佐藤邸の北側の一番奥に立っていた。豪華で大きなものではなくこじんまりとしているその教会は、森のなかの素朴な建物のようで千歳はひと目で気に入っていた。

「しばらくお待ちください」

 案内してくれた執事に言われ、扉の前で千歳が寒さに震えながら入場を待っている間、哲司はよくわからない世間話をしてくれた。緊張しているのはお互い様なようで、どうやら哲司は千歳以上に緊張しており、気を紛らわせるために話しているらしかった。

「ここの庭は見事なもんだが、ちょっと詰めが甘いんだよな。俺にやらせてくれたらもっときりっとさせるんだがなあ。日本人はやっぱり自然を大切にしてるんだなと思うぞ。裏の庭の方が見事なもんだ。まあお前みたいな女にはここの裏庭の良さは理解できんだろうがなあ」

 などとどうでもいい話を繰り返している。千歳の言葉を待っている風でもないので千歳は黙って聞いていた。どちらにしても緊張と寒さで口を開くのも困難だ。

 あの美しいレースのベールをさげて、花嫁として立っている自分が信じられない。これは夢で目覚めたらアパートの部屋で横たわっているのではないかとさえ思う。そして城崎達が借金の返済を迫るのだ。

「……匿名の祝電が一通だけあった」

 とうとう話のネタが尽きた哲司が言い、千歳はなんだそれはと思って真正面の扉を見ている哲司を見上げた。

「誰だか知らんが、洋館から祝杯を一人であげさせていただきます。だそうだ。わかるか千歳?」

「そんなのわからないわよ。間違いじゃないの?」

「いいや、結城千歳様とあったからお前宛だ」

 本当は直ぐに分かった。洋館などと言うのはあの大嫌いな城崎以外有り得ない。自分の行動を未だに追っているなんて、まるでストーカーのような男だ。いい加減に警察にでも相談に行った方がいいのかもしれない。そう考えている千歳に哲司が苦笑して、ベールの上から頭を柔らかく撫でてくれた。

「ま、どっかの馬の骨がお前を諦めるって感じで祝ってくれたんだろうな」

「なんでそんなのわかるのよ」

「一人で祝杯って感じが捻くれてて諦めみたいなもんを感じねえか? ったく、どこの軟弱野郎か知らねえがな」

「ふーん。それならいいけど」

 嫌味で不気味な男だ。こんな所にまで出てくるなと千歳は心の中で毒付き、それを忘れ去るためにピンクの薔薇をゆっくりと顔に近づけた。義母の麻理子がわざわざ作ってくれたこのブーケは、品が良くて清らかなものに包まれる気分になれる。

 やがて扉が左右に開かれた。

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