囚われの神子 第03話
公爵ではない者の足音が部屋に入ってきた。
「それが身代わりか? 誰にも見られておらぬだろうな」
「ご心配なく。この者は話せない女の囚人です。同じ年頃で、神子と同じ茶色を帯びた黒髪ですからばれないでしょう。召喚時に部屋に居た兵達は全員始末しました。今は東の森で魔物がはびこっておりますから誰も気に留めないでしょう。死体も彼らが始末してくれますし」
「手際が良い……」
恐ろしい話なのに、公爵の声は満足そうだった。
身代わり。
始末……。
死に直結する言葉に心が凍りついた。少しでも命が助かるほうへ行きたいのに、それが他の人の死に繋がる場合はどうしたらいいの? でも私の迷いをよそに公爵は牢獄を出た。
こつこつと公爵の足音が塔の階段に響く。時々見回りの兵が居るようだったけれど誰何されずに公爵は降りていく。ぐるぐると螺旋状に果てしなく続くと思われた階段は、反響する音が消えると同時に終わった。
柔らかな振動に代わり、公爵が塔から出て土の上を歩き始めたのだと、布を被せられて見えなくても分かった。
ほどなくして馬車に乗せられた。馬車だとわかったのは、馬のいななきと鞭を振るう音が聞こえたから。異世界にも馬は居るらしい。車や電気がないのは化学がそこまで発展していないからなのだろうか。がらがらと鳴る車輪の音がしばらく続いた後、ようやく布が頭の部分だけ取り払われた。馬車に乗っているのは私と公爵だけだった。御者はさっきの男と同じようで、かすかに馬に話しかける声が聞こえる。
広大な森の中の一本道を、馬車は月明かりにだけを頼りに走っていた。後ろを向いたらおそらく城が見えるのだろう。
「もう話しても良いですよ。この馬車は私の屋敷へ向かいます。光の神子と国王の結婚式の後、落ち着いたら国境沿いの私の領地へ行きましょう。領地には誰も手出しができませんから。王都の屋敷も同じですが何かと人目につきやすいですからね」
微笑みながら公爵は私の顎に軽く触れた。その手が幾人もの血に染まり、自分の生殺与奪を握っているかと思うと恐ろしい。離れて座りたいけれど、腰には公爵の右腕がきつく巻きついている。
「そんなに大きな眼で怯えないでください。私は貴女を愛している。何故信じられないのです?」
今のこの状況で幸せになれると信じられるのなら、どれだけおめでたい頭だと私は思う。
「まあいいでしょう。いろいろあって疲れたでしょうから、今日は屋敷に入ったらお休みなさい。ああ、領地へ向かうまでは地下室で暮らしていただきますが、貴女用にうつくしく快適な部屋に改装しましたので、何も心配いりません」
「…………」
地下室。
世間から完全に遮断されるような気がした。でも、影の神子である以上仕方が無いのかもしれない。世間にとっては国に災いをもたらす存在を、しかも国王によって抹殺される予定だった者を公爵はこうやって連れ出しているのだから。本当は全然違うのに。
暫くは、この世界を知るまでは、公爵の言いなりになって我慢しているしかない。
とにかく今はじっとしていよう。この恐ろしい男から逃げ出すチャンスは、これからいくらだってあるはず。公爵がじっと見ているので顔はこわばったままだったけれど頷いた。公爵はそれに満足したのか頭に口付けを落としてきた。
まるで恋人気取りだ。でも私は我慢して俯いた。
やがて馬車が止まり、御者が到着を告げた。
公爵の屋敷は当たり前ながらとても広大だった。
月夜に浮かび上がる石造りの華麗な建物は、元の世界のテレビ映像で見たオーストリアのシェーンブルン宮殿を思い出させ、公爵のこの国での権力の程がうかがい知れる。
馬車は表門の前には止まらず、質素な裏門の前で止まった。公爵は私が逃げ出すのをまだ警戒しているのか、両手足の縄を解いてくれなかった。身動きできないまま公爵の腕に抱かれて馬車から降り、御者台から降りた従者の後に続いて屋敷に入った。
きしんだ音を立てて扉が開いた。
中は塔の部屋のような石の壁が続き、至る所にくもの巣が垂れ下がり、公爵が歩くにしたがって鼠の鳴き声が聞こえたりする不気味な空間だった。従者が持っているカンテラによく似た照明器具の灯りがゆらゆら揺れて、このまま得体の知れない闇の世界へ吸い込まれそうな気がした。
「気持ちが悪いのはここだけです。わざと掃除してないんですよ。たまに憲兵が入りますから、綺麗にしていると秘密の何かがあるのではと怪しまれます」
突き当たりの壁まで行くと、公爵は手のひらをそこに当てた。その手からまぶしい光が一瞬溢れ、壁だと思っていた部分が横に開いていく。その内部は磨かれた大理石の廊下があってどこかへ続いていた。
驚いている私に公爵が言った。
「この中へは私の魔法を分けられた者しか入れません。屋敷の者でも知っているのはほんの一握りです」
廊下を進んでいく背後で、石の扉がまた地響きを響かせながら閉じていく音が聞こえた。従者はここへは入らず帰っていったようで姿が見えない。
電気のような明るさに顔を上げると、蝋燭の代わりに石が光っていた。
「あれは光り石と言います。魔力を注げば光る仕掛けです」
「牢獄では蝋燭だったわ……」
「光り石は魔力の塊のようなものですから、脱獄の手助けになる危険から牢獄にはありません。蝋燭だとせいぜい火事を起こす程度ですから」
「……焼死されたら尋問もできないんじゃないの?」
「勝手に死んだらいいと思うのがこの世界です。自死は馬鹿で能なしのする所業ですよ。焼け死んだ頃を見計らって消火されるのが関の山でしょう」
「…………」
説明しながら、公爵は行き止まりになっている扉の前に立った。扉ノブが無く、先ほどと同じように公爵が手のひらを押し当てて扉を開ける。
「…………!」
中は西洋の姫君が住むような部屋だった。曲線美の限りを尽くしたようなソファや、華麗な刺繍が施されたカーペットが広がっている。そして天井から、またあの石が柔らかな光りを落としていた。
私はやっと床の上に立つことができた。
「さあ、領地へ行くまではここが貴女の部屋です。気に入っていただけましたか?」
「……窓がないのね」
窓がないと逃げ出せない。と、内心で思いながら言った。見透かしたように公爵はくすくす笑う。
「ここは完全に地下ですから。半地下で窓を付けたりしては、他の家の者に気づかれる恐れがあります。忘れないでください、貴女は首を切られる運命にあった災いをもたらす影の神子。そのような人間をかくまって愛するのは私だけです」
「…………」
黙りこんだ私を背後から公爵が抱きしめた。それは死神の抱擁にも似て、一瞬で身体が恐怖で凍りつく。それを諾と取ったのか、公爵は熱い息と共に布の上から私の身体を円を描くようにまさぐった。
「ラン、ラン……。愛しています。ずっと夢の中で貴女に焦がれていました。必ず幸せにしますよ。貴女は私に愛されて祝福され、ずっとこの世界で私と共に生きるんです」
私は恐怖しか感じていないというのに、この男は一体なぜここまで夢見心地になれるの? 思い込みが過ぎる狂気が公爵を支配しているとしか思えない。第一愛する人が居る。きちんと言わなければ……。
うなじに口付ける公爵に、私は恐る恐る言った。
「こ……まります。私、まだ……、正樹がわすれられ……ひっ!」
いきなり乱暴に布を剥ぎ取られてソファに突き倒された。裸の私は公爵に縛られたまま圧し掛かられ、動けなくなった。
「……黙りなさい」
公爵の手は握りつぶすように胸を揉み、痛みで固く立ち上がった先端を二本の指先できつく摘んだ。その眼は怒りでギラギラ光っている。
「いた……っ」
「貴女の恋人は私。生涯の伴侶は私だ。他の男の名を言わないでください……」
冷酷な美貌が顔面すれすれで見ていた。恐ろしいのに目を離せない。そのまま噛みつくように口付けられて、それがいやで頭を横に振った。その抵抗で公爵は顔を離した。そして……。
「あ、いやあっ」
足が高く持ち上げられ、剥き出しの局部に公爵の指がねじり込まれた。乾ききっていたそこはひきつれ、指を動かされるたびに私は痛みでうめいた。
「ねえ? 私はとても貴女を愛していますから、結婚式までは貴女の貞操を奪いませんよ。とはいえ我慢ができないので、ぎりぎりまではさせていただきますけれど……」
「う……う」
涙が流れて止まらない。怖い。怖いよ。助けて正樹。助けて誰か……。恐怖で怯えているのに、公爵は嬉しそうにため息をついた。
「なんでこんなに愛しいんでしょうか。見てください。貴女が私の腕の中にいるのを実感するたびにこんなに……変わってしまう」
目の前で公爵がまた黒いうろこに覆われていく。今度は指先まで覆われてしまい、鋭利な剣のような爪が伸びた。それはどう見ても人間の手ではなくて爬虫類の手だった。
「きゃああっ」
その恐ろしい手が頬を撫で、切り裂かれると悲鳴を上げる私に公爵が口付ける。
「大丈夫……。貴女を傷つけません。どれだけ私が変化しても貴女を傷つけたりはしない」
「う……そ」
「ふふふ、それでも食べてしまいたいとは思いますが」
「ひ……」
情欲をはらんだ眼で唇を舐めた公爵を見て、喰われてしまうと必死に身をよじった。そんな指先が触れているのに傷つかないのはどうして? この男の言葉だけがわかるのはどうして? 夢に見ていただけでこんなに求めているのはどうして?
私の考えを読んだのか、公爵が私の頬を猫がミルクを舐めるように舐めた。
「貴女がこの世界で話ができるのは元の世界の人間か、数少ない竜族だけ。そのように魔法をかけました。だってそうでしょう? 貴女には私だけがいればいいのですから……ね」
「……っ」
気を失ってしまいたいのに、公爵のされるがままになって我慢するしかなかった。公爵の愛撫は執拗でいて甘く、男を知らない私は為す術もなく乱れに乱れて公爵を悦ばせ、さらに深い愛撫へ誘われていくという悪循環を辿った。
「ああ素晴らしい。想像以上だ」
悦ぶ公爵から私の心は遠く離れていた。
それから、毎夜毎夜公爵に好きにされる日々が始まった。
時計がない上地下の部屋では太陽が見れないから、いつが朝で夜なのか判らない。でもそのうち、公爵が昼に王宮勤めをしているのを知り、それで彼が現れる時間が夜だとわかった。
文房具が無くて何も書けないから、ここへ召喚されてから何日経ったのかメモが出来ない。こんな生活を続けていく中、月日も時間の感覚も狂っていった。この世界の暦もわからない。公爵以外、この世界について何もわからないのだ。このまま公爵の愛玩物として一生を終えるのかと恐ろしくてたまらなくなると、示し合わせたように公爵が部屋に現れたりするので、それについて考えないようにしていた。それですらも公爵の調教じみた偏愛なのかもしれない。
元の世界に居た頃は頻繁にこの悪夢を見ていたのに、この世界に来てからは何も見なかった。公爵に攻めに攻められてくたくたの私は夢を見る暇さえなかった。
だから、それは本当に久しぶりの夢だった。
それは美しい夢だった。闇の夢ばかり見ていた私には珍しいもので、今度は光に満ち溢れたとても眩しい夢。目が慣れて人が立っていると気づくのに時間がかかった。
『そこから、私が助けるから……待っていて』
あの綺麗な女性……、光の神子が私に言った。
でも私は首を横に振る。
『私は死んだの……』
『死んでないわ。だってこんなふうに話しかけられるもの』
『でも私に関わると恐ろしい目に遭うかもしれないわ』
うつむく私の両手を、光の神子は優しく取った。
『大丈夫よ、陛下は私のお願いは何でも聞いて下さるから。絶対悪くはならない。させないから!』
そうじゃない。行きたくても行けないのよ、公爵が常に見張っているのだから。……ああ、また闇が包んでくる。
黒い霧が目の前に広がったかと思うと、公爵の両腕が私を包んで光の神子から引き剥がしてしまった。
『光の神子よ。ここは貴女の居るべき場所ではない』
『貴方ね! 影の神子の私さんを閉じ込めているのは』
光の神子は怒りを隠そうともしない。
『人聞きの悪い。お救い申し上げ愛しているだけです。私が救わねばこの方はもう殺されていたのです。貴女が愛している陛下にね』
『そんな……』
『影の神子をお救いしたいというお優しさは結構。しかしランの生存が露顕したらこの方はすぐさま殺される。覚えておかれよ、貴女の幸せは影の神子が流した血の上にあるのだと……』
光の神子は頭を横に振った。
『させないわ! 陛下は私のお願いは何でもお聞き下さるもの』
公爵は小さく笑ってゆっくりと私の頭を撫でた。私を非難しているような彼女を見ていられず、公爵の腕に視線を落とした。
『向こうの世界でも、王女のように何不自由なかった貴女にランは救えない』
『馬鹿にしないで。私だって辛い時は沢山あったわ!』
かっと顔を赤くして怒る光の神子に、情け容赦ない言葉を公爵は投げつけた。
『貴女の不幸など誰の同情もひかない……。苦労しらずの姫君』
『だからと言って、蘭さんを閉じ込める貴方は間違っているわ!』
はははと公爵は笑った。
『貴女だって、国王の黄金の檻に閉じ込められているではないか。そして薔薇の花と砂糖菓子のような甘い毒に浸されて生きる、それが貴女のこれからのさだめだ』
明らかにそれは光の神子を馬鹿にしていた。当然光の神子の口調はさらに尖ったものに変わった。
『陛下は私を愛して下さっているわ。それに皆も……』
『私もランを愛している。この絆を誰も断ち切れないほどに』
『彼女は幸せそうには見えないわ』
光の神子にじっと見つめられた。ああ、なんて慈悲深いまなざしなんだろう。これが光の神子たる由縁かもしれない。でも公爵は相変わらずだった。
『それが貴女の苦労しらずの傲慢さだ。自分の物差しでしか人を判断できぬとは、あきれ返るほどの視野の狭さよ』
『な……っ』
『立ち去れ! 我らの夢に土足で立ち入りは許さぬ。次に無断で踏み込んだ時は……光の神子と言えど殺す!』
闇が光を制し、周囲は真っ暗になった……。
目覚めると、公爵が絡みついて眠っていた。そうだった……昨日も散々嬲られて、疲れて寝てしまったんだ。私が動いたのを感じ取り公爵も目覚めた。間近に見る漆黒の目に胸がどきりとする。ときめきではなく、それは恐怖だった。
「……駄目でしょう? 私以外の者を夢の中でも思ってはいけない」
「?」
不思議に思った私に、公爵は言った。
「夢の中で、光の神子と話をしていたでしょう」
私は息がとまりそうなくらい驚いた。もしかして……。公爵の手がゆるゆると私の背中を撫でる。
「夢は現実です。私は貴女の夢の中にも自由に出入りできる。光の神子が入れるように」
「うそ……」
夢が現実というのなら、先程の夢は現実に起きたことになる。光の神子は私が生きていると知っている。どういうこと? そしてどうやって私の夢の中に入ったのだろう……。
「光の神子は貴女と違って神に似た力を与えられるのです。それゆえ国王の妃となって代々権勢を振るう、しょうしょう厄介な存在となります。影の神子の恵みは物質的なものなので殺しても消えませんが、光の神子の恵みは気象や人の心なので殺すと消えてしまう。生かすしかないのです」
「…………」
恵みが消えなければ、光の神子も殺す世界なのだ。神子に人権はないらしい。
「挙式が近いというのに彼女は暇なようですね。一度釘を刺したほうがいいかもしれません。貴女の生存を国王の耳に入れたりしたら、厄介です」
「…………」
黙り込んだ私に、公爵は優しく微笑んだ。
「心配はいりません。偽りの愛と賞賛の中で生きる飾り物に何ができるものか」
「偽り……?」
「そうです。光の神子は気象や人の心を幸福にし、国の繁栄を導く存在ですから大切にされるのです。でも大切にされるだけで、誰からも本当に愛されるわけではない。哀れなものですが本人が気づかないだけ幸福というべきでしょう」
「…………」
公爵の手が身体を撫で回し始め、肌がまた粟立っていく。
「その点貴女は幸せだ。この私に深く愛されているのだから」
言われるなり胸に吸いつかれ、絶望とも嬌声ともどちらともとれるような声をあげた。しかし公爵はそれ以上は何もせず、いつの間にか用意されていた朝食のテーブルの席に私を座らせた。
食事はいつも気がついたらテーブルの上に置かれていて、食べ終わったら消えている。お風呂は元の世界と同じように浴槽に湯が湛えられている。大きな浴槽の湯の入れ替えはどのようになっているのかさっぱりわからない。いつも綺麗で澄んだ湯だった。
歯ブラシや石鹸、タオルなどは元の世界と同じようなものがあり、誰の説明が無くても使用できた。
誰も現れないのに、誰かが私の世話をしている。一体この屋敷はどういう仕掛けになっているのだろう。
公爵は母親が竜族だと言っていた。竜など実在するとは思っていなかったけれど、あのような姿を見たら本当だと信じるしかない。魔法と竜が実在する。ここは本当に異世界なのだ。
「おいしいですか?」
「…………」
毎回公爵はおいしいかと聞く。それに対し私は頷くだけで何も言わない。
朝食を食べ終えた公爵は、まだ食べている私の頬に柔らかくキスをした。
「ではまた今夜」
「…………」
彼は毎日私と一緒に朝食を摂って王宮へ出仕していく。そして夜まで私にとってつかの間の休息が訪れるのだった。
王宮では光の神子と国王との結婚式が明日に迫り、最後の詰めで女官も文官も武官も準備に大わらわだった。その中をアレックスは黒の軍服で悠々と歩き、光の神子の部屋の扉を兵に開けさせる。部屋の中に居た女官達が出て行き、背後で扉が静かに閉まるとアレックスは挨拶をした。
「お呼びでしょうか、陛下」
豪華の一言に尽きる部屋の中で、国王であるグレゴールは光の神子の膝に頭を凭れさせていた。光の神子はアレックスを見ると顔を嫌悪で歪めたが、グレゴールは彼女の細い腰に腕を回し、そのままアレックスににやりと笑いかける。
「異様な話を小耳に挟んでな」
「?」
グレゴールが手招きをする。アレックスが間近に寄ると囁くように言った。
「この光の神子が……ユイがな、昨夜影の神子と話をしたと言うのだよ」
「は?」
「昨晩な、夢に見たそうだ」
アレックスは、すっと顔を上げて結衣を見た。横になっている国王の話を聞くため膝をついているアレックスを、結衣は挑戦するように見下ろしている。
アレックスは、ふ……と小さく笑った。
「めでたき日を明日に控えているというのに、これはまた不吉な夢をご覧になったものですね」
「夢ではないわ。確かに見たもの。貴方、自分の屋敷の地下の部屋に彼女を捕らえているでしょう?」
「想像力が豊かでいらっしゃる。我が屋敷にそんな場所は存在しません」
「うそつき。私は見たのよ。あれは現実だわ」
結衣が鋭く詰問するのを、グレゴールは微笑みながら聞いている。彼にとってグロスター公爵アレックスを、光の神子が問い詰めているのは面白い見世物だった。
アレックスはその非道さと冷酷さで人をいつも畏怖させる。戦場では悪鬼のごとく敵を屠り、また敵と同じように任務に失敗した部下を容赦なく斬り捨てる為、暗黒将軍と恐れられていた。アレックスの部隊はいつも先陣を切る為武勲をあげやすいが、同時に他の部隊よりも死に極端に近い為、大貴族の男子達は絶対に彼の部隊には配属されなかった。おかげで彼の部下は下級貴族や平民ばかりである。
一方でアレックスの美麗な容姿は国王グレゴールに次いで貴婦人達に人気がある。しかし、アレックスは決して特定の恋人を持たなかった。彼の持っている地位と武勲を欲しがる女達は懸命にアレックスの気を引こうとするが、アレックスはずっと独身を貫いている。
「貴方みたいな人に囚われている影の神子がお気の毒だわ! 早く開放なさい!」
男達に恐れられ、女達には羨望の的のアレックスは、結衣には嫌悪の対象であるらしかった。……竜族を下等な存在とみなしている国王と同様に。
次から次へ非難する結衣を押しとどめ、アレックスはいつものように感情のかけらも無い声で言った。
「陛下。いくら光の神子と言えど、私に侮辱を与えるのは良くないと教育されるべきではありませんか? 影の神子は数日前に処刑されたはず」
「そう聞いているが、それが別人であったならどうする」
アレックスの冷たい表情に変化は無かった。そのままゆっくり首を傾げる。
「本当だとしたら、青光の塔を管理しているティルベリヒ少将の失態になりましょう。彼をここに呼んでお聞きになったら良い」
結衣が焦れた。
「しらばっくれる気?」
「たかが夢の中の話で私を愚弄するとは、世間知らずもいい加減にされるがよろしい。わが公爵家に泥を塗られる気か? この屈辱、裁判にかけたいぐらいだ」
「貴方……っ」
怒りに震える結衣を、国王が起き上がって抱きしめた。
「落ち着けユイ。そなたはこの世界に来たばかりでまだ慣れておらぬのだ。アレックス……悪かったな。もう下がってよい」
「はい。では明日を楽しみにしております」
騎士の礼を優雅に取ると、公爵は国王に抱きしめられている結衣をじっと見つめた。彼女は大きな瞳から長い黒髪、細く優美な体つきから何から何まで美しい。……だが美しいだけだった。
光の神子の部屋を出ると場所が後宮であるため、すぐに貴婦人達の視線が投げかけられてくる。その中で唯一彼に話しかけられる身分である、妹にあたる王女サヴィーネが嬉しそうに近寄ってきた。
「兄上様。珍しいこと、後宮においでになるなんて……。皆、貴方様の訪問を楽しみにしているのですよ」
「側妃の方々には、私よりも陛下のご訪問のほうが重要でしょうに」
そっけなく言う兄に、サヴィーネは扇を口元に当ててくすくす笑う。
「……下賜されるなら位が高いほうがよろしいでしょう? 兄上様のように地位も容姿も優れている方に自分を売りたい者が多いのです」
「そんなものですか」
「そんなものです。兄上様はいつもつれないから、貴婦人方から顰蹙を買っておいでです」
「軍を預かる私が女にかまけている暇など無い。貴女も婚約者殿を悩ませないように行動されるように」
歩き出そうとするアレックスを、サヴィーネが強引に自分の部屋へ招き入れた。サヴィーネの美しさの裏にある恐ろしい本性を知っているアレックスは、仕方なく指し示されたソファに腰掛けた。
カールされた美しい金色の髪を扇で扇いで揺らしながら、サヴィーネは文句を言った。
「あの光の神子。兄上様が影の神子を匿っているなどと言っていたのですって? 異世界人って本当に下品だわ。あの女、なんとかならない?」
「恐れ多い。そのように神子を見下げておっしゃるべきではない」
まったくそうは思っていないことは、アレックスの顔を見れば明らかだった。
「平気よ。皆、神子など軽く見ているのだから。影の神子とどう違うというの?」
「とにかく今陛下はあの神子に夢中であらせられる。少なくとも陛下の前では慎まれるが良い」
「でも皇太后もおっしゃっていたわ」
「どちらにせよ、です。では私は忙しいのでこれで……」
立ち上がろうとしたアレックスは、つと歩いてきた黒髪の儚げな少女に行方を阻まれた。サヴィーネは自分に振り返ったアレックスに不敵な笑みを浮かべた。
「彼女はいかが? まだ男を知らないそうよ……」
「……何と交換条件に?」
「兄上様の部下が数人の兵を斬り捨てたのを見たのがその子。何のためかしら?」
サヴィーネにばれている。部下の失敗をアレックスは知った。素肌が透ける服を着せられて震える少女を乱暴に抱き寄せながら、アレックスはサヴィーネを見る。心得ているようにサヴィーネは頷いた。
「兄上様が抱くのを条件に喉を潰したわ。彼女は誰にも話せない。でもそれでもお兄様の子供が欲しいそうよ。ふふ」
「……お前は恐ろしい女だ」
「兄上様ほどではないわ。私は彼女の望みを叶えてあげるし、殺さない。でも兄上様は……」
「隣の部屋を借りる」
アレックスは少女の腕を引っ張って部屋を出て行く。その後姿にサヴィーネは苦しそうに息をついた。どんなにアレックスを愛しても実の妹である以上結ばれる日は来ない。アレックスと同母のサヴィーネは、自分の中に流れる竜の血が疎ましくてならなかった。
「わかっているのよ。兄上様が影の神子を匿って溺愛されているのは」
サヴィーネは隣の部屋を覗き見られる、小さな覗き窓から二人を覗いた。アレックスは気づいているだろうが構いはしない。サヴィーネが何らかの形で女をアレックスに差し出し、アレックスが抱くというのが年に数回繰り返されていた。
アレックスは乱暴に少女の服を引き裂き、少女の膨らみきっていない乳房を力任せに揉みしだいて背後から少女を攻め立てている。
愛撫はあきらかにやる気が無いと見て取れる。サヴィーネが覗き見た限り、いつもアレックスは女を唯の性欲処理の対象にしか思っていないようだ。
(影の神子は違うのでしょうね)
それは血を同じくしているゆえなのか、はっきりとサビーネは確信できた。あの冷め切った冷たい目に情欲が滾り、義務的に女の肌を苛む大きな手も龍の手に変わっているのに違いない。見知らぬ影の神子を執拗に攻める実の兄を想像したサヴィーネの手が龍の手に変化していく。
「兄上様……」
覗き窓の向こう側で、アレックスが少女を背後から貫いた。ろくに愛撫を施されていない上に男を知らない少女は苦痛に涙を流している。しかしアレックスは容赦なく少女を揺さぶっており、見ていても早く終わりたいと思っているのが丸わかりだった。
きっと影の神子なら、肩に執拗に吸い付いて、あの乳房に置かれたままの手も何度も何度も押し上げては先を摘んで、片方の手は神子の肉の芽をいらうのだろう。それが自分であったならとサヴィーネは思う。
やがて少女が気絶し、アレックスがゴミを捨てるように少女を離した。少女は痛々しく膝まで破瓜の血を流したままだ。
ほとんど服を着崩していなかったアレックスは、服をわずかに整えただけで、少女に掛布を掛けてやりもせずに部屋を出た。そして再びサヴィーネの部屋に戻る。
「お早いこと」
「つまらぬ女を宛がうお前が悪い。湯殿を借りる」
あくまでも義務を果たしたという感じのアレックスは、サヴィーネの部屋に隣接している湯殿へ入り身体を洗い流して直ぐに出てきた。サヴィーネは軽食の用意をして待っていた。しかしそれにアレックスは見向きもしない。
「もっとゆっくりとしていらしたら?」
「もうここに用はない」
蘭に見せている執着の欠片も見せないアレックスは、名残惜しそうにしているサヴィーネを置いてさっさと部屋を出ていく。
「兄上様……」
サヴィーネは悔しそうに閉じられた扉を睨みつけ、そばに控えている侍女二人を怒鳴りつけた。
「何をぐずぐずとしている? さっさと片付けなさい!」
「は、はい」
侍女達は癇癪を起こした女主人に怯え、アレックスのために用意された軽食を片付けに入る。少しでもサヴィーネの気に触ったら恐ろしい折檻が待っているのだ。
アレックスはまっすぐに屋敷へ戻り最愛の蘭の元へ向かう。一刻も早く、他の女の匂いを消し去りたかった。
蘭は外が見れないにも関わらず体内時計に合わせて、寝台で眠っていた。そっと肩を揺するとたちまち目覚め、身体を固くさせた。しかしアレックスが上掛けをめくり着ているものを脱がせ始めると、諦めたように目を閉じた。
アレックスは震える頤に指を掛け、唇を合わせて貪る。
「ん……んふ…………ん」
舌が絡みつく水音と蘭の苦しそうな息にキスがさらに加熱し、その震える唇をアレックスは堪能する。魂までも吸い尽くそうとするキスはアレックスの想いの深さに比例していた。
ようやく唇を開放され、代わりに力づくに組み伏せられた蘭が震えながら涙を流した。
「……許して、ごめんなさい。今日は、今日は嫌……」
「私と身体を重ねるのがそれほど嫌ですか? 元の世界など帰れませんよ。会える望みも無い男など早く忘れなさい」
アレックスは、蘭の恋人の影が憎らしくて仕方が無かった。この世界に居たならとっくに殺して骨まで消し去っていただろう。
首に手をかけられた蘭が、ひゅっと細い悲鳴をあげる。だがその手は緩やかに首筋から肩へ吸い付くように撫で下ろされただけだった。
「帰りたいの。帰りたいの……お願い」
「困った方ですね。召喚はあれど逆の魔術は存在しないのです。もういっそ元の世界の記憶を消し去って差し上げましょうか?」
蘭の目が恐怖に凍った。それに暗い愉悦を覚えながらアレックスは蘭の頬にキスをして、そのまま楽しむように頬ずりをする。震えている肌の心地良さに微笑みながら、固く立ち上がった欲を彼女の腹部に押し付けた。
「やっ……しないって」
「しませんよ。でもこれくらい構わないでしょう……。ああ、早く貴女とひとつになりたいものだ」
アレックスは何人もの女を性欲処理として抱いたが、顔は誰一人として覚えていなかった。先程の少女も同様だった。幼い頃からアレックスが見ているのは蘭だけであり、心の中は彼女しか住まわせなかった。
夢の中で一瞬で恋に堕ちた愛しい女……、誰にも触らせはしない。
「!」
ふと、幾重にも張り巡らせた結界に触れる気配に、アレックスは眉を顰めた。
(光の神子か。性懲りも無く……。早くせよ国王、抱いてめちゃくちゃにしてこちらに気が向かないようにしろ!)
嗚咽を繰り返す蘭の唇を貪りながら、アレックスは指を蘭の秘唇にゆっくりと沈めた。アレックスを嫌っていても蘭の身体は彼の愛撫に反応していて、蜜で潤んでいる内部が彼の指を熱く包み込む。
「あ、ああっ……やっ」
「……可愛い、愛してます」
「私はっ……、あ、あ、指……」
「よくほぐしておかないと、私の欲を入れる時辛いですから……ね」
アレックスは入れる指を増やしながら、もがいている蘭の身体に片腕を回して自分に密着させた。柔らかな乳房が公爵の固い胸に押しつぶされ、その感触の甘さに公爵はうっとりする。これで繋がれたら幸福感は倍増するだろう。
我ながら恐ろしい気もするとアレックスは思う。何故蘭にだけ執拗な想いが募るのか、独占欲が激しいのかわからない。竜はなかなか発情しないが、一旦発情するととどまる所を知らない。性に淡白だとアレックス本人は蘭に出会うまで思っていたくらいだった。
それがどうだ。蘭を手に入れてからは毎日欲しくていつも血が滾っている。
国王はこれほどの想いを光の神子に抱いているだろうか。答えはあきらかに”否”だ。今はもの珍しさで通いつめているようだが、じきに飽きるだろう。あの程度の美しさはごまんといる。グレゴールは誰も愛さない。アレックスが蘭を想うのと同じぐらいの想いを抱かせる女が出現すれば別だろうが、少なくともそれは光の神子ではない。
「おねが……。ああっ! ああ!」
固く立ち上がった肉の芽を優しくなでると、蘭は敏感に反応して一段とよがった。迫り来る愉悦が恐ろしいらしい。上気した甘い肌に吸い付きながらアレックスは冷たく思いを巡らせる。
お祭り騒ぎが静まり次第領地へ向かおう。折りしも秋で収穫の時期だ、誰も検分へ出かける自分を怪しみはすまい。最近のグレゴールはアレックスの一挙一動を監視している。多くの戦争を制し、自分を脅かす存在になりつつある弟を警戒しているのだ。それ自体は痛くも痒くもないが、面倒な芽はなるべく生やさないに限る。
「いい……ああああっ!」
達した蘭が、身体中を上気させて荒い息をついた。睫を震わせながら悲しそうに自分を見る姿がたまらない。気持ちは無くとも、彼女はアレックスを確かに見て、アレックスの腕の中でもがいているのだ。
「……ランの目は、不思議な色ですね。光の神子と同じ人種でしょうに、緑にも茶色にも灰色にも見える…………。髪も完全な黒ではなく茶色がかっていますし」
頬を撫でながら口付けると、蘭はつらそうに目を伏せた。アレックスには何もかも分かっている、その色素の薄さが彼女の苦痛のひとつであることを。夢を通して何もかもアレックスは見ていた。
だからこそ自分以外見なければ良い。そうすれば誰も蘭を傷つけられないのだから。
「もう少しの我慢で綺麗な場所にいけます。だから、それまで大人しくしていてくださいね」
蘭は答えない。
「光の神子がなんと言ってきても、絶対に答えてはいけません。彼女は貴女が殺される運命である事実を知らされていない。答えたら最後、貴女は今度こそ殺されてしまいます」
「……わかってる……わ」
その時、アレックスが張った結界を何者かが押し破った。
アレックスは蘭にシーツを巻きつけた。同時に轟音が響いて屋敷が地震のように揺れ、蘭はその振動に驚きながら悲鳴を上げる。
「何?」
まぶしい光と共に現れたのは、光の神子である結衣と国王グレゴール。
「これはこれは……驚いた。ユイが真実を語っていたとは」
「…………」
にやにや笑うグレゴールの前でアレックスは強く蘭を抱きしめ、きつく睨みつけている結衣を冷たく見返した。蘭は何が起こったかわからず、アレックスにシーツごと抱きしめられているしかなかった。