愛だと信じていた 第18話(完結)
十年の歳月が過ぎた。
私は、東京から少し離れた地方都市の、少し大きなブックショップの事務をして働いている。
二十九歳になっていた。
当然恋人もおらず、結婚もしていない。物好きな男性が告白をしてくれた時もあったけど、いつも丁寧にお断りしていた。若くない私は、十年前に比べて商品価値も下がってしまっただろう。
自分のことを商品だなんて、相変わらず私は性格が悪いなぁ。
搬入された伝票と、本が入っているダンボールをチェックしている部屋は、冷房が効いていなくて暑い。真夏は暑く、真冬は寒い。冷暖房を完備してくれないものだろうか。
本にとって暑さや寒さよりも、湿気の方が大敵なのは知っているけど。
「石上さん、悪いけれど、女性週刊誌、棚に並べてくれる?」
「はい」
担当のパートさん、お子さんが熱を出したとか言ってたな。雑誌は重いから嫌だなあ。なんてことはもちろん言わない。若くない私は、もうパートのおばさんと同じ扱いだ。来た当時はちやほやされたものだっけ……。
ま、いいや。
雑誌が入ったダンボールを開け、雑誌を取り出し、その表紙を見て驚いた。
……貴明様だ。
”佐藤グループの社長の佐藤貴明氏、ついにご結婚!”
すっかり大人になった貴明様が、凛とした美しい女性と微笑んでおられた。白の正装は結婚式のものだ……。
雑誌はお嫌いだから、あまりお見かけしなかった。だからほとんど十年ぶりにお顔を拝見したようなものだ。
貴明様は、相変わらずお美しくて、自信に満ち溢れた男性になっている。圭吾様が死去されてから、お若いのに苦労されて、社長職をされていたと書いてあり、圭吾様が亡くなられたのを今頃知って、私は驚いた。恵美様はどうされているのだろう。
それより……。
……やっと、愛する女性と巡り合われた。
うれしい……、本当にうれしい。
涙が出そうなほど、うれしい。
「ちょっと石上さん何やってんの。早くしてよ」
「あ、ごめんなさい」
あわてて店舗へ入り、雑誌コーナーへ並べた。表紙の写真の貴明様と目が合うのは、なんだか恥ずかしい。
この雑誌、絶対に買おうっと……。
そう思っていたのに、仕事が終わるころ雑誌は売り切れていた。
「あー佐藤グループの社長の結婚特集のやつね。即売り切れよ。何? あんたもファンだったの?」
レジのおばさんが言うのに、私はファンと言うか、なんというかと口を濁した。
「あんな雲の上の人間を追っかけてないで、地道にいい男捕まえなよ。あんた美人なんだし、告白を断ってないでさ」
「はあ……」
「仕方ないな。私のだけどあげるわ」
なんとおばさんは、ちゃっかり自分の分を買っている。でも悪い気がしてお断りした。
よく考えたら、私はお屋敷を辞める時でさえ、お写真のひとつももらっていなかった。本当に身一つで出てきたのだった。
夕方になってもまだ暑く、駐車場はアスファルトがまだ熱を持っていて、むしむししていた。この調子だと今日もアパートの部屋は蒸し風呂になってるだろうな……。
やれやれ……。
ん? なんだろ、私の軽自動車の横に、大きな外車がある。お客様かな、ここは従業員専用だし。そう思っていると、後部座席のドアが開いて男性が降りてきた。
スーツをきっちりと着込み、めがねをかけた男性に見覚えがあった。
一瞬誰かわからなかったのは、十年前にはなかった貫禄が、野太く彼を包んでいたからだ。
「……中宮さん」
「待ちきれなくて、来てしまいました」
「待ちきれなくてって……」
十年も経ってから言うかと、いささか呆れた。
「御曹司が……、社長が結婚するのを待っていたんです。御曹司一筋の貴女のことだから、彼が結婚するまでは迎えに行っても無駄だと思って」
「私が中宮さんと結婚するために、北海道へ行くとでも? うぬぼれが相変わらずお強いですね」
つんと鼻を逸らしたら、中宮は私の手を引っ張り、大きな車の助手席へ押し込んだ。中宮が運転席に座り、車は静かに道路へ出た。車内はクーラーが効いていてとても涼しい。
「この十年、一日千秋の思いで、ずっと待っていました」
「うそ。忘れておいでだったのでしょう」
「いいえ、一日たりとも忘れていませんでした」
中宮の車は、この町で最近できたばかりのシティホテルに入った。予約してあるのか、車から降りて建物の中へ入り、まっすぐエレベーターは上へ昇り、客室のひとつに連れ入れられた。
「佐藤社長のお相手は、嶋田麻理子さんという、令嬢です。お年は社長より二つ下でしたか。お屋敷のメイドをされていたんですよ」
「お嬢様なのに?」
「そのへんは、いろんな事情が絡み合っているようです。披露宴に招かれましたが、まあ凄まじい溺愛ぶりでしたね。それなのにしっかりした女性で、立派にあの社長を御しておられましたよ」
「まあ……」
本当にいるんだ、そんな人。と思い、目をやたらと瞬かせてしまった。中宮も同じように思っていたようで、笑った。
「そこで社長に聞かれたんです。どうして、あすかさんと結婚していないのかって。結婚していると思って招待状を用意したのに、いまだに独身とはどういうことかって」
「…………」
「だからこう答えました。これから迎えに行くんです。やっと振り向いてもらえそうですからと、言って」
「…………」
中宮と私は、二人がけソファに並んで座った。
何のためらいもない。十年の歳月がそうさせた。
「貴女がずっと独身でいたのは、私を待っていたからだとうぬぼれてもいいのですか?」
「相変わらずですね」
大した自信だ。でも、そのふてぶてしさと細やかな気遣いが同居しているのが、中宮という男なのだ。
十年前の私は、中宮を幸せにできるかどうか、また、幸せのなり方がわからないとか、本当にどうでもいいことで悩んでいた。
本当に何も知らない、世間知らずの小娘だった。
幸せとはしてもらうものではないし、またしてあげるものでもない。なり合うもの……、分かち合うものなのだ。
この十年間、何度も他の男性から告白されて、正直心が揺れた。いっそ応えてしまおうかと思ったりもした。
だけど、中宮が賭けたように私も賭けた。
敢えて北海道へ行かず、若さを失った私が、果たして愛される存在でいられるかどうかを。
ずっと、ずっと、中宮を私は待っていた。
「言いたくもなる。貴女はこの十年で、さらにいい女になった。自分を信じられるいい女にね」
私は満面の笑みを浮かべて、中宮にしがみついた。
その自信をくれたのは中宮だ。
「貴女に最初言った言葉を取り消しましょう。貴女は最も辛い時に御曹司から離れなかった。貴女は本当の愛を持っていたんです。うれしい誤算でした」
「ええ、あの時は疑いましたけど、あれは確かに愛でした。でも、そう教えてくれたのは中宮さんです」
「それはまた、うれしいご褒美ですね」
キスしていいですかと律儀に聞く中宮に、笑ってうなずいた。
貴明様を愛していた。
中宮を愛している。
過去から現在、未来へ向かって、それらは深まっていくのだろう。
それから私は十年勤めた会社を辞め、北海道へ移住して中宮と結婚した。
時折、思い出すのは、私たちを結ぶきっかけになった美しい天使。
仰ぎ見る青空に、私たちは幸せを放つ……。
【愛だと信じていた 完】