あとひとつのキーワード 第18話

 ばこんと頭を叩かれ、痛くて目が覚めた。
 叩いたのはひなりだった。
「やっと起きた。寝坊にも程があるわ」
「靖則にやられたの! 見てたでしょ!」
 なんか身体が痺れて動きにくい。眠らせる他に痺れの魔法でもかけてあるのかと思ったら、畳の上に寝転がされて、数時間経っていた。壁の時計は13時を過ごしすぎたところだ。そりゃ痺れもするわよ。布団に寝かせるくらいしてほしい。
「あんたが起きてくれなきゃ、靖則を追いかけられないから、一生懸命解呪してるのに、ぜんぜん効かなかったのよ」
「靖則のほうが強そうだもんね……」
 差し出されたグラスの水を飲み、喉を潤した。相変わらず外はセミでやかましい。
「で、靖則はやっぱり、沙彩のところだと思う?」
「おそらくはね」
 ひなりは窓際へ歩いて、外を見下ろした。
「どうしてそれがわかるの? それも魔法?」
「……私達は一蓮托生の運命を背負ってるのよ、前世の時から。だから、靖則の気持ちは手に取るようにわかるし、向こうだって同じよ。友情……に近いでしょうね」
「パザン大佐が好きだったの?」
「そんなのどうでもいいわ。私達はお互いを大切にしていた。そして、それを尊ぶあまりに傲慢になっていたことに気づかず、ジョゼを失ってしまったのよ」
「レイナルド王子の真嗣さんは、パザン大佐と貴方の関係を知ってたの?」
「もちろん……」
 ひなりは苦しそうに笑い、前世の記憶なんてあったって仕方ないわねと、キッチンから、私が寝ている間に作ったと思われる昼食を、テーブルへ並べ始めた。朝は洋食で昼は中華か……、しかもおいしそう。ひなりは良いお嫁さんになるだろうに、靖則はそうは見ていないみたい。それは前世の影響なのだろうか。
「御飯なんてのんきに食べてていいの? 今すぐ行ったほうが」
「最終決戦には腹ごしらえをしてなきゃね。ねえ、すみれ」
「何?」
 ひなりはれんげを2つ置いた。
「靖則を許してほしいとは言わない。でも、どうか、憎まないでやって」
 そうは言われても。
 沙彩の魔法で操られていたのはわかっていても、どこかやっぱり腑に落ちない。
「靖則は、本当にすみれが大切なの。操られていたのは、それが唯一の貴女を護る方法だったから」
 聞いてて腹が立ってきた。ふざけるなという怒りがふつふつと湧いてくる。
「沙彩の身代わりにさせられたことも? 好き勝手に身体を弄ばれたことも? 言葉で心に傷つけられたことも? 大怪我をして、足が不自由になったことも?」
 なんにもわかっていないくせに! 怒りに言葉が震えた。こんな身体にさせられてから、実はジョゼは悪い魔女ではなかったと、病院で知らせたのは誰だ? あの頭痛が怖くて沙彩の思うがままになって、いきなり種明かしされた私の惨めさはなんなの?
 ふざけるな。加害者なのは変わりないじゃないの!
 昼食に手を付ける気になれず、ジャスミン茶を口にする。清涼な香気が好ましい。
 ひなりはわかっているのだと謝り、それでも、と、顔を上げた。
「あの後靖則がどういう状態に陥ったか、貴女は知らないでしょう? 数日間寝たきりだったのよ。だから、貴女のお父さんが暴力を振るったと知っても、すぐに行くことが出来なかったのよ。貴女を思う言葉を口にするたびに、優しくするたびに、靖則は命を削っているの。ひょっとしたら、靖則はもう死ぬ気なのかも知れない。私は、苦労し続けの靖則に、前世の罪を償うだけの人生なんて我慢できないの」
「前世でも今世でも罪を作ったのなら、償うのは当然だわ」
「違うわよ!」
 ひなりが大声で怒鳴ったせいで、一瞬蝉の声が止んだ。両隣の部屋は昼は空室だからよかったものの、在室だったらクレーム物だ。
「靖則は、十分すぎるほど償ってる。本当なんだから!」
「貴女は靖則の味方だものね」
「そうよ、そして同時にすみれの味方でもあるのよ」
 湯気の立つ水餃子をテーブルに置きながら、ひなりは私を睨みつけた。
「私も靖則もすみれも、まだ封印は完全に解けていないわ。それはジョゼ、貴女自身が解かなきゃいけないのよ」
「ジョゼが掛けた封印?」
 夢で見た、処刑された部屋に連れてこられた時に書いていた、あの魔法陣のことだろうか?
「沙彩のものよりも、ジョゼが掛けた前世からのその封印が、私達を縛っている。ジョゼは復讐のつもりで掛けたのでないってことはわかってるわ。でも、沙彩はそれを利用して、私も靖則も貴女も甚振っているのよ」
 さっさと食べろとひなりが目で促す。食べ物には罪はないので、水餃子を口にした。気がついたけれど、中華の割には香味野菜がかなり抑えられている。和風っぽくて上品だ。
 クーラーの風が心地良い中、熱い水餃子を食べるのはなんだか変だ。けど、おいしい。
 まるで神に祈るように、ひなりは両手を組んだ。
「すみれ、どうか思い出して……、貴女だけがその言葉を知っているの」
「食事中に言われてもね」
 なんだかだんだん馬鹿らしくなってきた。許すとか許さないとか。どうしたって私の身体は戻りっこないし、社会の私を見る目も変わりっこない。あがいたところでどうなると言うんだろう……。
 チャーハンもぱらりとしていて美味しい。基本、食べられるものは食べるの主義の私でも、文句なしに好きになる美味しさだ。
 食べている時は、相手に刺々しい気分は持ちづらくなる。
 病院ではそれが嫌で、食事を中断したことあったっけ。でも、今この美味しい中華料理を中断するのはもったいない気がする。
「なんか餌付けされてる気分」
 ひなりはふっと笑った。
「向かい合ってるだけだったら、貴女、気を許してくれないもの」
「そうね。だからあのお昼のランチ、わざわざ連れて行ったのね」
 ひなりはうーんと首を傾げた。
「あれはちょっと失敗だったわ。あの店、予約までしたのに、あんまり美味しくなかった」
「確かに!」
 やっぱりひなりもいまいちだと思ってたんだとわかって、ちょっと笑ってしまった。私が笑うと、ひなりはとてもうれしそうな表情を浮かべる。

 そうね……。あんたってば、北山の会社でも、憎まれ口みたいなの叩きながら、何時も構ってくれてたものね。多分、貴女の話は真実なんだと思う。
 ひなりは信じてもいいだろう。
 私の中のジョゼが、そうだと頷いた気がした。


 私の見た前世の夢はほんの少しだけ。
 殺される所。
 沙彩が靖則を操って見せたという、悪行を働くジョゼ。
 何かの仕事帰りに、レイナルド王子と夜明けを一緒に見る所。
 ソフィアに突き飛ばされ、パザン大佐に助けられる所。多分レイナルド王子に抱かれている所。
 そして……あの処刑される部屋で、魔法陣を書いた所。
 思えば本当に少ない。魔法の存在がなかったら、何かの映画か物語の影響だと思うぐらいだ。でも、事実に違いない。
 こうやって並べると、無理に作られた悪女のジョゼはありえない。明らかに作られたものだ。

 納得がいかないのは、どうしてジョゼは、レイナルド王子とパザン大佐たち、二人の手によって殺されたのか。ということ。
 レイナルド王子が、ジョゼを后にすると嘘を言っていた(としか思えない)時、すでに殺される運命だったのだろうか。 
 殺される時、ジョゼは、言ってくれたら自死したのにと悲しんでいた。最後までレイナルド王子を愛していたわけだ。

 食事を終え、お皿を洗い終え、沙彩の家へ向かうために支度をしていると、誰かがインターフォンを押した。ひなりと顔を見合わせる。
 出ないほうがいいわ、とひなりが声を出さずに言う。私は黙って頷いた。ひなりは誰かわかっているんだろう。
 動かずにいたら、がちゃがちゃとドアノブを回す音がする。古いアパートなので未だに古風なノブは防犯性がいまいちだ。ひなりも気になったらしく、詠唱を始め、それでも同時にそれが破られる金属音が響いた。
 ひなりが私の前に立ちはだかる。
 ドアが開き、入ってきたのは、あんなに会いたいと思っていた真嗣さんだった。
 真嗣さんがこんな、やくざみたいな行動をするなんて……。
「これはこれは上塚の婿君ではありませんか。そんな方が何故今頃こちらへ? しかも不法侵入ですよね」
 ひなりの嫌味は全く届いておらず、真嗣さんは土足で上がってくると、私達の前に立った。
「迎えに来たんだよ。沙彩のところへ来ると、榊原が言うのでね」
 背後から黒服にサングラスの男たちが、数人現れた。
「へえ、不法侵入の上に誘拐ですか? 貴方も随分な輩に落ちぶれたようですわね。沙彩なんかと結婚するからよ」
 真嗣さんは、花もかくやと言わんばかりの笑みを浮かべた。
「彼女は最高のパートナーですよ。彼女と居ると全てが思いのままに動くようになる……」
 ぱちりと真嗣さんの指が鳴る。
 男たちが出てきて、私を引きずり出そうとする。ひなりが応戦しようとするのを抑えて前へ出た。
「お手伝いは不要よ」
 怖くなんか無い。
 ああそれより……。
 あんなに焦がれていたのに、昨日と今日とで、こんなに私の心は違う。まるで真嗣さんへの恋心は、錯覚だったと言わんばかりだ。
 何もかも色褪せて見えるのは、どうして?
 それには真嗣さんも気づいたようだ。
「人が変わったようですね、すみれさん?」
 真っ直ぐに私は真嗣さんを見上げた。
「連れて行ってちょうだい。靖則のところへ。だから乱暴な真似は不必要よ」
 はははと、真嗣さんは笑った。
「それでこそ君だよ。愛おしいジョセフィーヌ」