願わくは、あなたの風に抱かれて 第12話
「実は、躬恒を王にした直後、かさねはその場で倒れてしまい、気がついたら数日後の朝だった。誰も側に居らず、一体どうやって自分の寝台へ戻ったのかも覚えていない。
「気とは命そのものです。そう簡単に渡すものではありませんよ。誰にも教わらなかったのですか?」
かさねは首を縦に振る。
「本当に? 誰も?」
「……ええ」
彰親と惇長は顔を見合わせている。深刻な顔だった。寝ていれば治るのだから気にする必要はない。かさねは本当にそう思っていた。実のところかさねの気は通常時に比べて極端に減っていて、死にかけているも同然なのだが、なぜか全く気づいていないのだった。彰親は何かを言おうとした惇長を制した。
「……かさね。もう二度とその力を使ってはいけません。死にます。妖と言えども」
「…………」
寝台に横たわっていたかさねは、無言で彰親を見上げた。
彰親は惇長に言った。
「若君。先に社へ戻っていただけますか? 式神に護らせますので」
「構わぬが、あまりその姫を責めるな。何も知らないようだ」
「ええ、ええ。そうだと思います。事は急を要しておりますので、早く出ていただけますか?」
「ああ……わかった。大体はわかるが無茶はするな。お前こそ命は大事にしてくれ」
「勿論です」
惇長が出ていき、彰親は水瓶から水を汲んできた。
「水を飲まれますか?」
「はい」
そのまま椀を手渡してくれるのかと思いきや、彰親はそれを飲んでしまった。かさねが呆気に取られていると、両手を取られて布団に縫い付けられた。顔が見る間に近づいてきて、合わさって口付けられた。水がなだれ込んできて、飲ませてくれていると頭では理解できるのだが、心はついていかなくて、かさねは混乱した。
「ちょ……、げほ! は…、げっほげっほっ。子供が何するの!」
「もう子供じゃなくなりますので」
「でも子供! 止めなさい!」
「……かさねは結婚しているのですか? とてもそんなふうには見えませんが?」
ズバリと言われ、かさねはしばらく押し黙った。
「いちおう……居るわ。もう何ヶ月もいらしてないけど」
「そういうのは結婚とは言いません。失礼ですが、ただの遊びです」
そうではないかと疑っていたこの数ヶ月、そうではないと思い直しては、疑念に胸が膨らんでいた。確かに世の気は荒れているが、躬恒の気はとても強く感じられ元気だった。戦はない。それなりの情報戦や陰謀はあるのは間違いないが、剣や槍、人の嘆きや、血の気配はまったくなかった。それなら何故来てくれないのだろう。沢山妻が居るのはわかっている。その一人なのだから、その何ヶ月のうち一日くらい来てくれたっていいではないか。何故?
「その男の望みを叶えたのでしょう? その男は卑怯にも、見返りを貴女に渡さなかった。だから貴女は今、こんなに疲れ切って死にかけているんです。用なしと言ったところでしょうか」
「…………」
おおよそこんな少年の口から出てくる言葉ではない。涙を湛えた目でかさねは彰親を見つめた。
「貴女は数百年の時を生きている妖だと思います。妖の寿命はとても長く、人間にとっての100年が1000年に値すると祖父に聞きました。貴女の見かけは、私と変わりませんよ。まだ少女の貴女を死にかけの目に遭わせて放っておくなんて、大人の男として最低です」
「悪く……言わないで」
「本来なら私が今からすることは、その男がするべきことなのですが、気配すらしません。このままでは貴女は死んでしまいます。嫌だとは思いますが我慢なさってください」
彰親はかさねの服を脱がせ始めた。抱く気なのだ。他の男だったら懸命に抗って悲鳴をあげただろうが、彰親からは、好色で淫らな感じはまったくなく、本当にかさねの命を救うという、それだけのためにこんな事をしようとしているのがわかったので、かさねは逆らわなかった。
「……貴方は、もう男なの?」
「今年の春に閨の指導で何度か……。やり方は知っています」
「そうなの? 辛くない?」
「別に。貴女のほうが辛いでしょう。そんな男でも愛しているんですから」
子供らしからぬ物言いだったが、妙に達観しているその瞳には有無を言わせないものがあった。
「……愛してると思うけど……、愛なのかどうかわからないの」
「本当に子供じゃないですか。相手の男、童女と寝るのに抵抗なかったんでしょうかね?」
躬恒を変態だと言われたような気がして、かさねはなんとなく腹がたった。
「貴方だって、その指導の方はいくつだったの?」
「……十ほど上です」
「あと、人間ってそんなに閨をするのが早いわけ?」
「貴族の家に生まれると早熟です。元服が近づいてきたら食われます。まあ、大貴族の姫君はそんなことはないでしょうが……」
世間一般の妻という感覚が、かさねにはない。婆も躬恒も教えてくれなかったし、世の中を覗いていてもよくわからなかった。故意に二人が制限をかけるような覗き方を教えていたせいでもある。そういう淫らな行為を始める輩がいたとしても、さり気なく別の場所へ誘導され、また、かさねも興味を全く持たなかった。もともと興味もなかった。かさねが興味を持って見ていたのは、田畑を耕したり、剣の稽古をしていたり、他愛ない遊び事や、村のみんなで作業をしてその後楽しげに飲み食いをしている姿だった。
だがこれだけはわかっていた。こういう行為は、そうそう特定の相手以外とするものではないということだ。そして、彰親は、今にも死にそうなかさねのために、手っ取り早く効果的に気を分けるために、行為に及ぼうとしている。
彰親が深く細く息を吐き、同じように吸っていくのを繰り返していくと、あの黄金の光が部屋に満ちた。ゆっくりと指が下肢を割り、茂みを掻き分けて、僅かな肉の芽を弄った。同時に唇が重なり、深くなっていく。
不思議な感覚だった。彰親と接触している箇所から、何にも犯されていない真の気が流れ込んでくる。躬恒が教えてくれた快楽とは程遠く、かと言って、不快なものは何もない。また、黒く嫌な気が淀んでいた所が、すうっと消えていく。
ぬかるみが充分になると、猛った固いものが押し入ってきた。彰親の動きがじれったいほど遅くなる。快楽のためにやっているのではないので、当然のことだったが、さすがにここまで来ると昂ぶってきたかさねは、彰親をきつく締め付けて、貪欲に彼を吸い上げようとする。
「あ……、もっと……っ!」
「かわいそうに。ここまでとは」
引きずられて吐精しそうになり、彰親はぐっとこらえた。この段階が閨の指導で一番辛かったことを唐突に思い出し、同僚達が叱られていたのを思い出す。快楽に流されずに己を律することは、何よりも大切なことなのだ。
閨を指導した女は、
「気を分け与える時は、快楽を拾っても分け合ってもいけません。相手が昂ぶって要求してきても情けをかけてはなりません。常に宇宙を見つめ、その真の気のみを与えねば、相手を助けることは叶わないのです」
と、言っていた。
一方のかさねは、どれほど強い快楽を要求しても、まったく動じない彰親に気も狂わんばかりに乱れていた。並の男ならとっくに我欲の虜になっていただろう。二人はすでに汗で肌をしとどに濡らしており、傍目には貪欲に相手を貪り合っているように見える。
充分な真の気を確保した彰親は、やっと吐精した。瞬間、かさねは女性の身体ではなく、本体である妖の姿になった。きらきらと輝く黄金の枝葉を茂らせ、荘厳さと高貴さを漂わせる瑠璃色に輝く花を咲かせて、散っていく。
その姿を、かさねは夫である躬恒に見せたことはなかった。
いや、見せたくなかった。
何かが真実の姿を見せることを躊躇わせた。
一向に訪れない躬恒を、それでも愛している。
彰親には悪いが、こうしてくれているのが躬恒でないことが、かさねには何よりも辛いのだった。彰親が言った。
「気に病む必要はありません。ただの気を分ける行為です」
「そうね」
程なくして彰親が離れ、自分の衣を羽織った。まだ少年の域を抜けない体躯は、気だるささえも感じさせていなかった。彰親は自分を媒介として宇宙の真の気をかさねに与えたに過ぎず、失うものは何もないのだった。涼しい顔をしてかさねの身体を清拭し、用意していた白湯を飲ませてくれた。
「ありがとう」
かさねが言うと、彰親は僅かに微笑んでくれた。川でのあの子供っぽさは綺麗に消え去っていて、ともすると、躬恒よりも大人に見えた。しばらく二人は黙り込んでいた。もう、秋の午後の陽射しがだいぶ低くなっている。
「もう、気軽に気を与えてはいけませんよ。貴女はとても心優しいために、自分で補うことができないのですから。使い捨てにされて死んでしまいます」
「わかったわ」
かさねが頷いたのを見て、彰親は安心したようだった。
その時だった。
大風が室内に突然吹き荒れた。咄嗟に彰親がかさねを抱き込んで何かを唱えたので、二人とも直撃は免れたが、屋根が吹き飛び、壁が崩れ、辺りから何もかも消えた。
「な……何?!」
かさねはびっくりして、彰親にしがみついた。彰親もしっかりと抱きしめ返してくれた。
「大丈夫です。取られそうになって初めて帰ってきたようですよ」
意地の悪い言い方は、素直で曲がったことが嫌いなこの少年にふさわしくなかった。
以前よりも神々しい、夫の躬恒がすぐ側に立っていた。